思想
都市に生きる人間は、人工的に作られた環境に囲まれて暮らしている。だから自分たちが自然の中から生まれてきたこと、或いは自然と連続性をもった存在であることを意識させられることがほとんどない。都市に生きる人々は、いつもいつも人間関係のことばかり…
今日は久々に大学時代の友人と会って話をした。話は多岐に渡ったので、話題ごとに切り分けて記事を書いていこうと思う。まずは「要約」、論文でいうと「アブストラクト」(abstract)について。 人が何かを書くとき、実はその文章或いは作品がすでに「要約」…
ここにあるプログラマーがいる。彼は昼夜逆転の生活を送り、昼頃からもぞもぞと起き出してきて、コーラを飲みながら画面とのにらめっこを始める。そういう生活スタイルが、彼の描くコード(プログラム)と完全に無関係とは言えないのではないか、とふと思っ…
ここ数年、特に一企業や産業、或いは社会を論じる文脈で「多様性」(diversity)の重要性が強調されるのを目にすることが増えた。しかしその中の多くはビジネスに関するもので、多様性がイノベーションをもたらすとか、もうちょっと小利口な理屈をつけられて…
霊、妖怪、化け物、エイリアン、モンスター…。国は違えど人間は恐怖の対象に形を与えずにはいられないものらしい。それは「形がない」(対象自体を認識できない)という事態を少しでも解消したいという欲望がそうさせるのではないか。それらは姿形が与えられ…
汚い字に共通するのは、ある文字が画数によらず、線が離れ切っておらず、続け字のように連続的になっているという特徴をもっている点である。それは「止め跳ね払い」がしっかりしていないという言い方もできる。それに対して美しい字というのは離散的である…
次から次へと新しい記事や本を読むということが自分にとってはどんな意味をもっているのかについて、最寄り駅から自宅に戻る途中で、特にセブンイレブンの近くを歩きながら考えたことについて書こうと思う。 新しい言葉や言説を読むと、それがきっかけとなっ…
ロードバイクでアルバイト先の校舎まで通勤しているとき、途中で前を走る男性がいた。30代後半から40代ほどの年齢だろうか。彼もロードバイクで走っていた。いくつかの交差点を通過したとき、私は彼を追い越して、彼は私の後を走った。私が交差点で止まるた…
以前に母と電話で話していた時、母から送られてきた小さな仙人掌のことが話題に上った。仙人掌というのは、鉢の大きさによって、もっと正確に言うと植わっている土の広がりによってどこまで大きくなるかが変わるらしい。私の自宅には今、3つの仙人掌があり…
塾で授業をしていてふと思ったことがある。「方程式に数値を代入する」という考え方は、もともと人間の中に「自分だったらどうか」とか「あのときこうだったら今どうなっていたか」と想像してみる能力があったから生まれたのではないか。逆にいえば、そうい…
ある学問で言われているからといって、あえて自分の意思に反してその説かれている通りに行動したり考えたりする必要はない。自分がAと思うのならば、学問的にはBであるとされていてもAと答えるのが本当であろうと思う。自分で考えた結果が、学問の説くとこ…
多くの人がブログやSNSという形で、インターネットを日常に不可欠のものとして使うようになって以降、ものを書く人が増えた。かつてはパブリックな場で見ることのなかった周縁の、或いは末端の「声なき声」は、日常的に可視化され、記録に残るようになった。…
Googleで私が私のiPhoneで「タミル語」と検索するのと、別の人間がその人のiPhoneで同じ語句を検索するとき、その2つは違うものだとみなされる。それぞれの検索履歴上に「タミル語で検索し、これこれのページを見た」という記録が残り、そこから先の検索で…
情報の時代だとか情報爆発などと言われる。私個人についていえば、フィード購読アプリFeedlyを使って、毎日色々なメディアの記事をチェックしている。精読するのはごく少数の記事に限られるけれども、それでも色々な記事を読むことになる。新聞を隅から隅ま…
『なぜ選ぶたびに後悔するのか オプション過剰時代の賢い選択術』*1という本を書いたバリー・シュワルツ(Barry Schwartz)という人がいる。TEDで講演*2もしている。私が彼のことを知ったのはTEDの「The Paradox of Choice」(選択のパラドックス)という講…
「レールの上を進む人生」という表現がよく使われる。レールとはそもそもは鉄道のレール(線路)のことだから、これは隠喩である。隠喩とは、「まるで〜」とか「〜のように」という表現を付けず、何を例えたのかはっきりさせないままで使う比喩表現である。 …
Feedlyでこんな記事を見つけた。鍵を鍵穴に差し込んで回すとそれがスイッチになってTwitterでツイートできたり、Uberでタクシーが呼べたり、とAPI連携を利用していろいろなことができるようになるというデバイス。IFTTTやmyThingsなどとも連携できるらしい。…
「もっと他のことを考えたい!」という欲求から、いろいろなことを「自動化」(=習慣化)していきながら、そうやって習慣化されたことは無意識に沈殿し、意識の領域に影響を及ぼす。 意識の領域で考えられることを増やすために習慣化したのに、皮肉なことに…
休日ということで、昨日はハロウィンで盛り上がっていたらしい渋谷を一応今日も避け、近場の吉祥寺にロードバイクで出かけた。 東急の近くにある駐輪場に自転車を駐め、そこから歩いてコピス吉祥寺の中のジュンク堂書店に入り、面白そうな本を買い、また外へ…
井の頭線吉祥寺駅の改札近くにスターバックスがある。久しぶりにそこで読書をしながら過ごしている。窓際の席だから、窓から駅の構内を移動するいろいろな人が歩いたり走ったり誰かを待っていたりするのが見える。 さっき、金髪で深緑のコートを着た女性が駅…
「記憶」(memory)ということについて、EvernoteやDropboxなどのクラウド上にデータを保存するサービスを使っていてたまに考えることがある。 EvernoteやDropboxなどのサービスを使ってクラウドに保存したものは、保存した人間自身も自分の頭の中に記憶して…
アカウントにログインするとき、私はアイデンティティを自覚させられる。つまり私は他ならぬ私自身なのだということを突きつけられる。メールアドレスやアカウント名(ユーザー名)とパスワードを打ち込み、自分のアカウントにログインすると、そこには自分…
塾で高校生に英語の授業をしていた時、いつもの調子で何気なく生徒が言った「うまく言えないんだけど〜」という表現について、ふと考えていた。 言葉というのは、「空気を読む」や「やばい」など、特定の言葉をみんなが使うようにしておくことで、話し手と聞…
「ブログ」というと、リンクを貼ったり図を入れたり、ツイートを埋め込んだりと、いろいろな「付け足し」をしながら書いていくものとされているところがある。そういうものが「リッチなコンテンツ」などと呼ばれ、持て囃されたりもする。少なくともPVの数を…
高校生の現代文で出てくる評論の文章からは学べることがかなりあるのでたまに読み返してみたりする。昨日も若林幹夫「メディアと市民的公共性」という文章を読んだのだが、メディアと人間の関係について改めて考えさせられるいいきっかけになった。こういう…
自宅の近くに餃子とラーメンが食べられる(定食もある)店がある。さっき久しぶりにその店で食べてきた。 注文した札幌ラーメン(味噌)とチャーハンを待っている間、店の入り口に並べられた漫画の中から面白そうなものを探していると、以前から書店で見知っ…
先日アルバイト先の塾でこんなことがあった。いつもの様に高校生の授業をしていたら、担当している生徒が「高校の英語の先生が面白くて、宮崎駿に似ている」という話をし始めた。写真があるというので見せてもらったら、髭をたくわえたおじさんではあるもの…
10月10日から日本テレビで始まったドラマ、「いつかティファニーで朝食を」の第一話をHuluで見た。あるシーンを見て吐き気がするほど気持ち悪いと感覚を抱き、一度見るのをやめてしまったのだが、「そんな風に何かを途中で投げ出したり切り捨てたりするのが…
少し前の記事に書いたように、最近は自分の関心がコンピュータ科学の領域に絞られてきた。 plousia-philodoxee.hatenablog.com そこで人工知能に関する書籍のうち、いわゆる「人工知能は人類を滅ぼす」というような思想方面の書籍は避け、機械学習やディープ…
普段ニュースといったらSmartnewsとNewsifyというアプリの2つを中心に使っている。ちなみにテレビは見ない。そのNewsifyで読んでいた記事の中に、「Newsphere」という見慣れないニュースサイト(記事は日本語)があった。 newsphere.jp そのサイトをMacBook…