多様性と構造と、それから個人
ここ数年、特に一企業や産業、或いは社会を論じる文脈で「多様性」(diversity)の重要性が強調されるのを目にすることが増えた。しかしその中の多くはビジネスに関するもので、多様性がイノベーションをもたらすとか、もうちょっと小利口な理屈をつけられて「生物学(生態学)において、個体の多様性が種全体の進化を後押しした。だから人間の社会にも多様性が重要なんだ」といった主張がなされたりする。
私個人が「多様性」という言葉を意識するようになったのは、かつて通っていた大学の、青山通りを隔てて向かいに立つ国連大学(UNU)の、その大きく聳えるような校舎の目線の高さの壁面に「diversity」と大きく書かれたパネルが2、3枚架かっているのを目にしたことがきっかけだった。あれは2013年頃だったろうか。おそらくその年のUNUのモットーというか、特に意識する言葉が「多様性」だったのだろうと推察している。私なりにその言葉の意味するところ、そこに込められているものを解釈しても、UNUが言おうとしていた多様性というのが巷で言われているような「メリット」に基づく多様性とは違うのではないかと思われてならない。
歯車の論理
世間で言われているような文脈ではなく、もっと別のところから「多様性」というものを論じることはできないだろうか。もう少しいうと、「イノベーションをもたらすから」とか、「進化にとって重要な役割を果たす源泉であるからこそ多様性は重要なのであり、したがって社会に暮らす色々な人の個性の違いを受け入れよう」という論理とは違う論理を示すことはできないかと思う。それらの論理はつきつめれば、「こうこうこういうメリットがあるから多様性を大事にしましょう」ということでしかない。だから「それではもし、多様性にそういうメリットがなければ、個性の違いを尊重しなくてもよいのか」ということになってしまう。そこに私の違和感がある。
そのような論理は、私に「時計」を連想させる。多くの歯車が絡み合い、そのうちの一つでも不具合があれば、時計はひとつの全体としてうまく動かない。そこではひとつひとつの歯車が等しく重要な意味をもっている…。そういうことの隠喩として、時計を連想するのだ。こういう時計の隠喩によって社会における個人の価値を論じるものを私はこれまでに何度か目にしたことがある。それらは「多様性」について自覚的に語っていたわけではなかったが、個々の歯車がそれ自体としてはちっぽけなものであったとしても、それが全体の中で果たす役割はみな等しく重要であり、したがってひとつひとつの歯車が重要なのだと、いささか詩的な調子で語りかける。こうした論理を、私はいま仮に「歯車の論理」と名付けることにする。しかしそうではないと思うのだ。歯車の論理に沿って言えば、仮に個々の歯車になんらかの自明なメリットなり機能なりがなくても、依然として多様性は尊重されるべきだと私は思うのだ。時計を分解し、それぞれの歯車がもはや何の機能も果たさなくなったとしても、依然として個々の歯車にはそれ自体としての価値があると思うのだ。
マルクスの貨幣論
ここでいささか突飛に思えるかもしれないが、カール・マルクスが貨幣について『資本論1』(岩波文庫)*1の中で論じたことを考えたい。それは先日書いた言語論を扱う記事ともつながる視点であり、歯車の論理とも明らかに結びつくものであるためだ。マルクスは、ものの価値は使用価値でなく交換価値によって決まると考えた。「使用価値」とはものそれ自体がもつ価値であり、「交換価値」とは交換によって生じる価値だ、とここでは言っておくことにする。
たとえばここに、私がとても大事にしている一冊の本がある。Jeremy M. Berg,Lubert Stryer,John L. Tymoczko,(訳:入村達郎,岡山博人,清水孝雄)『ストライヤー生化学』*2という本で、これが15000円もする。購入した当時はかなりの決断であったと記憶している。生活費に困った私は先日、この『生化学』を断腸の想いでブックオフへ売りに行った。傷はひとつもなく、日焼けやシミやページの折れもひとつもない。新品同様の状態であった。さてこの『生化学』を、ブックオフという一つの企業はどう評価するかと思いながらそれを店のカウンターに置き、店員がバーコードを読み取るのを見ていた。するとその読み取り機の画面に表示されていたのだろう、店員は「こちら500円になります」と平然と言った。私は唖然として、売るのを断り、『生化学』に申し訳ないことをしたと後悔しながらそれを小脇に抱えて家へ帰ることになった。その間、私はこう思った。もうブックオフで本は売るまい、もしある本が要らなくなったら、その本を最も必要としていそうな人間にただであげてしまう方がどれほどましか、と。
さて若さゆえの軽はずみな決意をオチとした私の経験が、マルクスの貨幣論とどうつながるか。『生化学』という一冊の本は、私がいかにそこに大きな思い入れを持ち、それを15000円どころではない価値をつけようとも、ブックオフという一企業が存続するという目的のもとで決まってくる価値とは一致しない。そこには大きな、本当に大きな落差がある。私がこの本に抱く思い入れは、私にとってのこの本の使用価値であり、ブックオフが決めた500円とはブックオフを訪れる人間とそれを売るブックオフとの間で売買を成り立たせるとブックオフが想定する価値である。つまり『生化学』はほとんどの人間が見向きもせず、したがってあまり価値がないと思われる本で、そんな本を3000円や5000円と査定しても、ブックオフに利潤は生まれないと判断されたわけだ。これは『生化学』がブックオフという企業を通してそれを買おうと考える者との間に想定される本と代金の交換を通じて決まってくる交換価値である。交換という社会的な交流を通じて決まってくる、と想定される価格が500円であるということだ。まあそんな難しい話ではなく、単に「ぼったくり」だった可能性も捨てきれないと思ってしまう部分もあるのだが、それはここでは措くことにする。
使用価値でなく交換価値でものの価値は決まるということは、この例で言うならば、私個人の思い入れや信念や価値観で『生化学』の売値が決まるのではなく、あくまでもそれが「売れる」価格、社会の中でそれが売買を通じて交換される可能性に応じて決まるという風に言うことができる。交換を通して価値が決まるということは、社会という全体があって、その中で『生化学』という一冊の本が占める位置によってその価値が決まるということだ。このことを逆に、あるものが社会の中のどの位置を占めるのかを決める行為こそが交換であるということもできる。
マルクス、ソシュール、そしてフーコーへ
ここまでくれば、先日の記事の中で触れたソシュールの言語論との関係も見えてくる。ソシュールが考えたのはマルクスの貨幣論の言語バージョンだ。つまりある語の価値(というよりも意味)は、それが他の語との間に結ぶ関係によって決まるのであって、その語自体にはじめから特定の価値(意味)があるわけではない、と。「トマト」という語が意味をもつのは、「ト」の次に「マ」が来て、それからまた「ト」が来るという、その音自体の内にあるのではない。それは「スイカ」や「なし」や「くるま」といった、他の語の音との違いによってある特定の意味をもつようになっただけなのだ。こういう認識が彼の言語観であり、彼の講義を生徒のノートを通してまとめた『一般言語学講義』*3という著作の基本にあるものといえる。言語について説明するならば、これで納得がいく。
しかし社会における特定の個人の価値までこの論理で説明がつくかと言われると、私はどうしても気持ち悪さを感じてならない。このマルクスーソシュールの流れに連なる「構造主義」の中で、関係性や構造に重きをおく彼らのこうした基本認識を、権力の作用という形で社会の分析にも適用したのがミシェル・フーコーであるわけだが、私は今でも彼の主張に根本のところで違和感を覚える。それは貨幣や言語を説明するのと同じ論理で社会を説明するというアプローチ自体に対する違和感ではない。むしろそういう風にして、人間社会というのは案外あっさりと説明できてしまう可能性もあるのではないかとすら思う部分はある。
私が違和感を覚えるのは、関係や構造というものは、個人の中で認識が変わることによって変化していくこともあるのではないか、特定の個人にとって絶対的に立ちはだかるという様な、絶対的な、或いは神的な存在ではなくて、もっと可変的ではないか、個人にとっては相対化による克服が可能なものではないかと考えることに由来する。しかもその変化というのは、何も革命的な、或いはイノベーションといってもいい、そういう劇的な場合に限ったことでなく、もっと日常的に、ほんの些細なことで簡単に起こるものではないか、繰り返し起こるのではないかと思っているところがあるのだ。これを権力というところと絡めて言えば、権力はそれほど強力ではなく、個人にとっては権力以外の存在が実存を変更すること、或いは自ら自覚的に変わっていくことができるのではないか。
このことを先ほどの歯車の論理と突き合わせて考えてみる。時計における特定の歯車は、特定の機能に対応して作られるために、全体の中で占める位置によって、果たす役割は決まってしまう。それは比喩的に言えば「デフォルト設定」であり、そこでは個々の歯車にとって「構造」や「関係」は絶対的な存在だろう。それは自らの実存、存在理由にも関わる。
しかし社会の場合はどうか。個人にとっての関係や構造は、歯車にとってほど絶対的だろうか。私はそうは思わない。それを示すのが関係のリセットしての「転職」であり、関係の相対化としての「副業」であるのではないか。労働をめぐるこうした状況の観察を通して、私は関係や構造の相対化可能性、可変性の兆しを見る。私はこうした関係の絶対性を加速させるのがSNSやネットであると考えるが、それはまた別の機会に書こうと思っている。
それぞれの個人が、特定のメリットによらず、それ自体として尊重されること、或いは人間だけでなく、他の生物も各々にそれ自体として尊重されること、そこに「多様性」という言葉のもつ意味を見出したい。
宇宙という全体と、部分としての人間と…
ここで私たちを取り巻く全体構造という問題意識から、宇宙について考えてみる。
宇宙の誕生からやがて地球という場が成立し、その中で動物も植物も存在しない時間が続き、やがて生物が生まれ、様々な生物が生態系ピラミッドを成してひとつの全体性を生んだ。そのピラミッドの内側で、ある微妙なバランスが作り出されることで、これまで色々な種の生物たちが生きてきた。それは個々の生物の意志によらず、作り出された。つまりそこには、個々の生物たちが個体自らの、或いは自らが属する集団の生存上のメリットは追求していただろう。しかし生態系というレベルでの特定のメリットというものが個体や種の側で自覚されていたわけではないのだ。それでも生態系において、多様性が重要なはたらきをしていたことは変わらないのだ。それはメリットという媒介をもたずに自立する価値なのだ。ここで注意したいのは、私は多様性を、生態系というレベルで定立したいわけではないということだ。生態系という概念は、生物という次元の存在をひとつの「全体性」として前提するが、その生物は、誕生の契機をめぐって無生物との間に連続性を成している。つまり生物は宇宙のはじめからいたわけではない。はじめは無生物しかいなかった。そしてそういう時間の方が、生物が生きてきた時間よりもはるかに長いのだ。そして生物はそんな無生物から生まれている。そんな存立上の条件を無視して生物を論じるのは、やはり認識が狭いと感じざるを得ない。
こうした歴史というのは、人間の「歴史」ではなく、地球ないしは宇宙という、より普遍的な場で展開されたきたところの歴史である。それは狭い歴史でなく広い歴史であるとも言える。地球という場でこれを見るならば、環境の変化や競争を通して、ある動物は絶滅し、ある動物は種が分裂して増え、或いは減り、遺伝を通してその記憶は次の世代へ引き継がれ、競争は続き、環境は変化し、やがて主体的に環境を変化させるような生物が登場し、今やその生物は地球は「わたしたちの星」であると思い誤っている。「私たちの星」というとき、そこに他の生物は含まれていない。虫にとっての、魚にとっての、犬猫にとっての、或いは自ら動くことなくひっそりと暮らす草木にとっての、そして動物でも植物でもない、「もの」にとっての地球というようなことは、そこに含まれてはいないのだ。だからわたしたちの星の歴史とは、その極大においてこれを捉えるならば、かつて存在したもの、そして今存在するものすべての歴史であるといえる。しかしこのように見たとき、存在とは地球という極めてローカルな場に限定して論じられるべきものでないことがわかる。地球とはある一つの自律的な全体ではなく、それを自らのうちに含む太陽系の、或いはひとつの銀河の、或いは銀河団の、そして膨張を続ける宇宙全体との関係の中に埋め込まれて成立している、いわば「個人」にすぎない。
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