26歳

みかん

この記事は、26歳の自分として書く、最後の文章になるかもしれない。少なくともこの「はてなブログ」で書く文章としては。もうすぐ、私は小学校1年生の時の担任の先生と同じ、27歳になる。私は先生と、ある何らかの意味で同じようにものを考える、そういう人…

子どもと地震と日本

湊かなえの『告白』*1という作品を読んでいる。第2章まできて、学校が舞台になっていることがきっかけで、私の中で学校とか子どもについての見方が変わってきた。それについて考えたことを少し書こうと思う。そしてそれは、少し前に地震について考えていた…

働くことの中にある自己満足

働くことには、誰かから給料という対価をもらうことによって評価されるという他律的な側面と、誰からも評価されなかったとしても私自身が満足することができるという自律的な側面の、二つの側面がある。経済学では、市場における交換と分配を中心に据えるの…

人間にとっての未来、コンピュータにとっての未来

彼女がiPhoneのカレンダーアプリで西暦2015年からずっとスクロールして、西暦3000年のカレンダーをスクリーンショットしたものを見せてきた。そこで私は、要らぬ対抗意識のようなものに突き動かされるようにして、そのずっと先まで、西暦10000年までスクロー…

無根拠的に展開される社会現象の可能性

社会学や文学の領域も含めて、一般に思想や哲学を論じる人間は、思想や哲学が人間の行動を根本的なところで規定しているものを探り当てるということを前提として、自らの議論を展開していく。 しかし、思想や哲学などとは無関係な、それらとは全く断絶したと…

iPhoneは普遍性をもつか

柄谷行人の『トランスクリティーク』*1を読んでいるせいか、普段の生活の中で、「普遍的なものとはなんだろう」とぼんやり考えることが増えた。時間と空間は普遍的な存在であると、とりあえずは言える。両者はいたるところで、常に、変わることなく存在し続…

バラバラであって、一つであるようなもの

ロードバイクに乗る時に、私はときどきクラブミュージックをかけて道を走る。そしてアルバイト先へ向かういつもの道を走っていると、街の中のいろいろなものが目に入ってくる。信号機、整骨院、政治家のポスター、駐車場に止められた自家用車、いろいろな年…

ツインテールのリアリズム

井の頭線の渋谷駅の改札を通って山手線に乗り換える途中、ツインテールの女子高生が、自分の三歩ほど先を歩いていた。私はそれを見て「高校生にもなってツインテールはどうなのか」と感じた。それがこの省察の起点であって、私はツインテールやオタクファッ…

代理の思想とエンチャントムーンについて

「ニーズ」というのは社会の側に承認された要求であり、個人の内側にしか認められていない要求は「ディマンド」でしかないと捉えるならば、理想的には、自分自身によって自分の要求を満たすことのできる能力や機会があたえられていることが望ましいといえる…

指の皺と私のこころ

湯船にずっと浸かっていると、指に皺ができてくる。その皺をぼんやりと見ていると、二つのことを考えさせられた。 一つは、自分の脳ではなく、生体全体の側から見たら、自分の悩みや喜びなどの精神的な問題と、今まさに刻まれつつある指の皺と、どっちが本質…

ソーシャルメディアの反応と政府の反応

現代ビジネスで哲学者の内山節の記事を見つけた。 gendai.ismedia.jp 記事についていうと、テロ自体が正当化されることはないが、それを産み出した責任はヨーロッパやアメリカの側にもあるという事実を彼らが認めなければ、問題は完全には解決されないだろう…

ボコハラムが殺害した人の数が1年で4倍に増えた事実について

水曜の昼間に渋谷のスタバで元彼女と話した時に、たまたま上の階のブックカフェで目にしたニューズウィーク誌の記事が気になり続け、結局昨日購入した。「早く買わなければコンビニから消えてしまう…」と焦る気持ちもあった。大きな書店に行けばバックナンバ…

日本でもフランスでもなく、ベルギーのとある地区からテロ事件を見るということ

今週出たニューズウィーク日本版*1の「この戦いは「文明の衝突」ではない」というタイトルの記事を見て、虐げられる側の立場の思いを汲み取ることの難しさということについて考えた。記事から少し引用しよう。 欧米でテロを行う「聖戦士」の特徴は今やおなじ…

教育をめぐる歴史的な問題

学校や塾*1というのは、その時その時の権力の中枢とのどのような関係の中から生み出されてきたものなのか。権力によって生み出された装置としての諸制度や諸機関、そして時の言説について考えたのはミシェル・フーコーだった。 それはいくら「学校」や「塾」…

自覚されていないものと自覚されているものの広がり

こんな動画を見た。もうすでに3回見ている。なんといっても漱石の作品を丁寧に読み解いていくことによって話があっちこっちへつながり、内容がどんどん膨らんでいくのが面白い。専門分野にとらわれずに関連する他の領域の議論もどんどん取り込みながら自説を…

マイナンバーとパスワードの暗号化

意外に思われるかもしれないが、個人が喋ることのほとんどは、それまでに誰も話したことのない文によって成り立っているという研究がある。また、歌詞の一部をローマ字に変えただけのものや、英語の名言を使ったものなど、インターネット上にある言葉を使っ…

言葉とwordと私のあいだ

ある対話 表音文字と表意文字 インターネットと検索エンジンとことば 書くことの中に私を求めて ある対話 今日は久々に元彼女と会って渋谷のスターバックスで話した。11:40頃から15:40頃までの間であるから、おおよそ3時間半から4時間というところだ。この長…

手書きの文字に表れされるものについて

ずっと長いこと自分のテキストをもらっていなかった生徒が、ついにテキストをもらったそのとき、裏に大きな文字で自分の名前を書いた。それを見た自分はなんということもなく「そんなに大きく書かなくても名前がわかればいいよ」と言ったが、その直後にそう…

時間と日常

女子高生が駅のホームで時刻表を見て1つ前の電車の時刻を確認し、「あぁ〜、40分かぁ〜。間に合ったね。」と言っていた。 できるなら早く電車に乗りたいという欲求がそこには汲み取れるように思った。そこから一歩、考えを進めていくと、そもそもどうして…

日本人として何かを見ること

電車でバイト先へ向かう時、淡いピンクから淡い水色へとグラデーションをなしているような空を電車の窓からぼんやり見ていた。その空は多くの建物の稜線に縁取られ、その隙間から辛うじて覗くような空である。 私はそこで、いわば「空の同一性」とでも呼ぶよ…

売られた本の奥にあるもの

ブックオフへ行くと、少し前に人気があったはずの本、世間を賑わせた本、ベストセラーとされていたはずの本があるのを見かける。そういう本が一体どうして、所有者の手を離れて、今やこの棚に静かに収まっているのだろう。そういう本をぼんやりと見ていると…

科学の茂みに隠れて

世界を動かすものは経済か。そうではない、思想である、或いは権力である。そう考えることはたやすいが、いきなり思想や権力に注目するのでなく、あえて経済に注目し、そこに潜む思想性を明らかにしていくという迂回路を経た方が、世界を動かすものについて…

音楽と記憶

槇原敬之の曲が、たまに脳内でいきなり再生されることがある。無意識からの郵便なのだろう。幼い頃に聞いていた音楽というのは根深いものだと思わされる。母が好きな歌手で、車に乗っているときによく聞いていた。広瀬香美や松任谷由実や竹内まりやや小田和…

「あの花」と『王の二つの身体』をめぐって

今日の夕方頃、彼女と家で「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(「あの花」)*1を見ていた。作品の内容についてはここでは語らない。私にとっては4周目で、作品自体よりもそこから連想するものや比喩的に描かれているもの、象徴しているものにつ…

電車の中で

電車の頻度は、街によって異なる。或いは路線によって異なる。 電車を利用する一人一人の望みがどうであろうと、それが叶えられることはほとんどない。ある東京人が、東京人的感覚に基づいて「電車の頻度は10分に一本くらいであるべきだ」と考えたとしても、…

指と触覚から見るキーボードと手書き

「手書きは記憶に残りやすく、キーボードで書いても記憶に残らない」というのは、実は嘘*1なんじゃないかと最近感じることがある。自分にとってはどっちも大して変わらないように思えるからだ。それではどうしてそう思えるのかと言われれば、私にとってはキ…

アメリカの精神に潜む恐怖について

アメリカで金融工学(financial engineering)という分野が流行り、さらにはHFT(High Frequency Trade:高頻度取引)が発達したのは、アメリカ人にとって「リスク」(risk)というものが、もっと言えば「恐怖」(terror)に対する観念が、彼ら・彼女らの様…

社会契約論と代議制を別れさせ、社会契約論の新たな伴侶を探す

ジャン・ジャック=ルソーの社会契約論(Social Contract Theory)とジョン・スチュアート=ミルの代議制(Representative Democracy)は、必ずしも論理的に結びつかない。今では運命の赤い意図で結ばれた男女のごとく結びついているが、そこに運命の赤い糸…

パリでのテロについて、補足的に考えたこと

先日パリでのテロについて記事*1を書いた。そのあとで追加的に考えたことがある。それは「記憶」と関係するので、一つの独立した記事としてここに残そうと思う。 イスラム国と欧米諸国の対立は、「のびたの記憶」と「ジャイアンの記憶」の対立なのではないか…

自分のことばは日本語か英語か

施光恒さんの『英語化は愚民化』という本の出版記念イベントの動画を見つけ、ここ最近の自分の関心リストのひとつである「日本人にとってのことば(日本語)とはなにか」ということと関係しそうだと思い、見てみた。対談の相手は柴山桂太さん。柴山さんが語…