コミュニケーション
メディアの反応 ダモア氏の立場を原文に即して考える 建設的な読解 原文の長さと世論の趨勢の関係 まとめ Google社員のジェームズ・ダモア(James Damore)氏が社内向けの文書で「女性はエンジニアに向かない」と書いた問題、さっそくWIkipediaで彼のオリジ…
現在作成中で未完成ですが、現時点で公開しても役に立つという人がいるかもしれないので、一応公開しました。今後も作業を進め、完成を目指したいと思います。海外のサービス、サイト、企業などはカタカナ表記とし、アルファベットでなく五十音順で配置しま…
きっかけと補助線 先生と生徒の関係 反証可能性 対話の類型 専門家と素人の対談 講演会 専門家どうしの対談 対話の条件と私のこだわり きっかけと補助線 対話には、自分と相手の両方が対等に考えを述べられるという条件が必要だ。当たり前といえば当たり前の…
アナロジーと等価性 実存から構造へ 他の誰かが通った道 歴史と出会い 浪費と出会い 技術がもたらす出会いの形式 出会いとは別の道 アナロジーと等価性 数学では、マイナスにマイナスをかければプラスになる。このことは環(ring)と順序(order)の基本性質…
受験生とその親 カマキリとシロアリ カマキリ シロアリ どういう教訓を引き出すか 黙って行動すること 欲求について 受験生とその親 言葉ではなんとでも言える。けれど人間は、言葉ではわかっていても行動できないことが多い。言葉と行動とはそれほど密接に…
ネット上に色々な人が色々なことを書き込むようになればなるほど、そこから自分の欲しい情報だけを取り出すのは難しくなるというのは、すでに多くの人間が指摘してきたことだ。まとまった量の文章を書くことはできなくても、140字なら書くことがあるという人…
「ネット上の情報は玉石混淆だ」としばしば言われる。専門家も素人もネット上にいろいろなことを書き込むためにこういう言われ方をするようになる。インターネットが登場して以来、この「玉石混淆」という形容が使われるようになってからもうずいぶん経ち、…
たまにFacebookやTwitterなどで、「〇〇について詳しい方いらっしゃったらぜひ教えてください!」という投稿を目にすることがある。 人望のある人間や信用のある人間、社交性のある人間、平たく言えば「リア充」とも言えるような人々なら、その投稿にたくさ…
Wikipediaの記事にはいろいろな参考文献のリンク情報が載っている。それらは書籍であったり、特定のウェブサイトであったり、論文であったりする。ある項目について記事を書く場合に、どういう情報が必要であるか、どういう書籍のどの部分を使って文章を書け…
ある事柄について、その本質だけを簡潔な言葉で無駄なく表現できる人間というのがいる。滅多に目にすることはないけれども、たまに見かけることがあって、感心させられる。そういう人物どうしであれば、たとえば140字の字数制限のあるTwitter上でも齟齬なく…
本当は答えがわかっているのに、あえて誰かに質問して、その人に答えを出させ、それに賛成するという手順を経ることがある。「自分で答えがわかっているのに、どうしてわざわざそんな面倒を」と思われるかもしれないが、ここに「承認欲求」という補助線を引…
人を測るものさしは、学歴と資格とSNS上の発言と、その他に一体何があるのだろう。ある人がいて、その人は本当はどんな人間なのか、どんな可能性を持っているのか、そういうことを直接確かめることができないから、その痕跡、その印になる様なものを探した結…
昨日くらいから色々と反省するところがあって、今自分がしている仕事の意義を考え直している。その一連の考察の一部が、ちょうど1本分の記事くらいの分量の内容になりそうなので、ここにそれを切り出して、まとめてみようと思う。 私は現在、アルバイトをし…
私は小さい頃から、なぜかパイの実が嫌いだった。彼女は好きらしいので、この前もコンビニでパイの実を買って二人で食べたりもしたのだが、やっぱりどこか馴染めないというか、受け入れ難いものを感じてしまった。小さい頃は食べることさえ拒むくらいであっ…
今の憲法である日本国憲法は、戦後にアメリカから与えられたものであって、日本人が自ら贏(か)ち得たものではないということが、しばしば問題とされる。憲法というのは、或いはもう少し広く法というものは、自分たちで生み出すからこそ意味があるのであっ…
柄谷行人の『トランスクリティーク』*1を読んでいるせいか、普段の生活の中で、「普遍的なものとはなんだろう」とぼんやり考えることが増えた。時間と空間は普遍的な存在であると、とりあえずは言える。両者はいたるところで、常に、変わることなく存在し続…
「ニーズ」というのは社会の側に承認された要求であり、個人の内側にしか認められていない要求は「ディマンド」でしかないと捉えるならば、理想的には、自分自身によって自分の要求を満たすことのできる能力や機会があたえられていることが望ましいといえる…
今週出たニューズウィーク日本版*1の「この戦いは「文明の衝突」ではない」というタイトルの記事を見て、虐げられる側の立場の思いを汲み取ることの難しさということについて考えた。記事から少し引用しよう。 欧米でテロを行う「聖戦士」の特徴は今やおなじ…
今日の夕方頃、彼女と家で「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(「あの花」)*1を見ていた。作品の内容についてはここでは語らない。私にとっては4周目で、作品自体よりもそこから連想するものや比喩的に描かれているもの、象徴しているものにつ…
電車の頻度は、街によって異なる。或いは路線によって異なる。 電車を利用する一人一人の望みがどうであろうと、それが叶えられることはほとんどない。ある東京人が、東京人的感覚に基づいて「電車の頻度は10分に一本くらいであるべきだ」と考えたとしても、…
ジャン・ジャック=ルソーの社会契約論(Social Contract Theory)とジョン・スチュアート=ミルの代議制(Representative Democracy)は、必ずしも論理的に結びつかない。今では運命の赤い意図で結ばれた男女のごとく結びついているが、そこに運命の赤い糸…
昨日から今日にかけて、こういう動画を見た。 [full]島田雅彦 × 茂木健一郎 脳と文学〜茂木健一郎の講義 - YouTube この対談の中で、島田がいう「象徴システム」とは、ある個人や集団の実存を支えたり、その行動に動機を与えたり方向づけを行ったりするよう…
先日書いた記事*1の中で、「~ということは統計によって示されている」という形の構文がネット上の実に色々な領域の色々な人々によって使われていて、それが読む人間の思考停止につながっているのではないかということについて触れた。ここで「思考停止」と…
「主観と客観の違い」というタイトルとどちらにしようかと迷ったが、私自身にとっては「虹の色は何色か」の方が、私個人の具体的な経験を思い出しながら考えやすいという理由でこちらを採用した。 高校生の頃、3年生のある日の英語の授業で、先生が「虹の色…
小さい頃からずっとそうなのだが、私は政治や社会というものに対して、あまり親近感というか、「自分自身がその一部である」という実感を持つことができない。この疎外感というか傍観的な態度というようなものは、東浩紀のいう「オタク」*1的なものとは少し…
今日は久々に大学時代の友人と会って話をした。話は多岐に渡ったので、話題ごとに切り分けて記事を書いていこうと思う。まずは「要約」、論文でいうと「アブストラクト」(abstract)について。 人が何かを書くとき、実はその文章或いは作品がすでに「要約」…
ここにあるプログラマーがいる。彼は昼夜逆転の生活を送り、昼頃からもぞもぞと起き出してきて、コーラを飲みながら画面とのにらめっこを始める。そういう生活スタイルが、彼の描くコード(プログラム)と完全に無関係とは言えないのではないか、とふと思っ…
ここ数年、特に一企業や産業、或いは社会を論じる文脈で「多様性」(diversity)の重要性が強調されるのを目にすることが増えた。しかしその中の多くはビジネスに関するもので、多様性がイノベーションをもたらすとか、もうちょっと小利口な理屈をつけられて…
塾で授業をしていてふと思ったことがある。「方程式に数値を代入する」という考え方は、もともと人間の中に「自分だったらどうか」とか「あのときこうだったら今どうなっていたか」と想像してみる能力があったから生まれたのではないか。逆にいえば、そうい…
多くの人がブログやSNSという形で、インターネットを日常に不可欠のものとして使うようになって以降、ものを書く人が増えた。かつてはパブリックな場で見ることのなかった周縁の、或いは末端の「声なき声」は、日常的に可視化され、記録に残るようになった。…