漫画のワンシーンから考える人間とテクノロジーの関係
自宅の近くに餃子とラーメンが食べられる(定食もある)店がある。さっき久しぶりにその店で食べてきた。
注文した札幌ラーメン(味噌)とチャーハンを待っている間、店の入り口に並べられた漫画の中から面白そうなものを探していると、以前から書店で見知っていて気にはなっていた『あんどーなつ–江戸和菓子職人物語−』*1という漫画があるのを見つけた。 「せっかくだし、この機会にちょっと読んでみるか」と軽い気持ちで読み始めた。本はコンビニに売っているような廉価版の単行本で、「○○編」というように大まかに編ごとに分かれている。一番最初から読めないのは残念だと思いながらも、とりあえず読み始めた。
すると読み始めてすぐに印象的なシーンがあった。読んでいて思わず、「このシーンには人間とテクノロジーの関係について、ある重要なエッセンスが詰まっているのではないか」と感じさせられた。
該当箇所を少し引用しよう。主人公の安藤奈津(以下「奈津」と書く)が発案した、三種類の餡が詰まったどら焼きに関する調理場でのやりとりのシーンである。登場人物は奈津と、彼女に和菓子を教えている職人の安田梅吉(奈津からは「親方」と呼ばれている)、そして同じく職人の丸岡竹蔵(竹さん)の3人である。
親方:…それにしても、なっちゃん。何処からこの紅芋、栗、南瓜の三種類の餡を一つにしたどら焼きなんて考えついたんでぇ?
奈津:女子の好きな薩摩芋と栗と南瓜を、一度に食べられる季節限定の菓子があったらいいなぁって思っただけです。
親方:なるほどね。
竹さん:まさに女子ならではだ。
竹さん:関西じゃ蛸を加えて芋タコ南京なんていうらしいが、さすがにタコは餡にできねぇか。
奈津:確かに。
奈津:(改めて親方と竹さんの方を向いて)親方、竹さん。わたしの思い付きをこういう形にしてくださって、ありがとうございます。
親方:礼なんていらねぇよ。逆に俺たちゃ僻んでるくれぇさ。
奈津:?
竹さん:梅さんも俺も、なっちゃんみてぇな洒落た女性好みの発想は、逆立ちしたって出て来ねぇからさ。
竹さん:そういうこった。
親方:それはそうと、どうでぇその皮は?奈津考案のこのどら焼き用にちょいと工夫をしてみたんだがよ。
奈津:工夫?(奈津は皮をじっくり見ながら)そういえば……いつもの皮よりしっとりしていて、乾燥している今の時期にはピッタリです。
(ここで奈津が皮を作っている親方の近くに寄り、その匂いを嗅ぐ)
奈津:お酒!日本酒の香りが仄かにします。
親方:そうだ。皮のタネに日本酒をちょいと入れると、しっとりとなるんだ。ただし、焼に気を付けねえと焦げやすいぞ。覚えとけ。
奈津:はい、親方。
親方や竹さんには「技術」があるが、女性の好みはわからないという欠点がある。一方で奈津には「女性の好みをつかむ能力」があるが、技術がないという欠点がある。経済学的に考えると、リカードの提唱した比較優位(comparative advantage)の概念をもとに、親方や竹さんは技術に特化し、奈津は女性のニーズをつかむことに特化すると、そこから全体として最も大きな経済厚生を引き出すことができるという風に判断できる。このシーンでもまさにそのように分担して仕事をこなしている。
親方は「技術」が体化した存在、奈津は「人間の欲求」が体化した存在と考えると、「あんどーなつ」のこのシーンは単なる和菓子職人の日常という制約を超えて普遍的なテーマを見出すことができる。原作を書いた西ゆうじさんがこんな解釈を意図したかどうかはわからない。おそらくこんな読みを期待して作品を書いたということはないだろう。しかし作品をどう読むか、どう解釈するかということは読み手の自由だ。だから好きに解釈しようと思う。
登場人物それぞれになんらかの「概念」を当てはめるかというのは、埴谷雄高が思弁的長編小説『死霊』において、悲哀(sad)、悪(bad)、歓び(glad)、狂気(mad)の4つをそれぞれ三輪与志、高志、首猛夫、矢場徹吾の4人の異母兄弟たちに対応させて描いたのと同じ考え方だとも言える。*2
それだけではない、親方と弟子という関係によって、技術を持った親方から、弟子である奈津は時間をかけて「技術」を引き継いでいる。この「技術の継承」によって、「技術がない」という奈津の欠点は解消されるだろう。この点は標準的な貿易に関する理論とは異なるところだ。そこではA国がXについて比較優位を持ち、B国がYについて比較優位を持つ場合には、A国がXに関する比較優位を相手国であるB国へ継承するということは考えない。貿易を「複数の国の間で行う共同作業」と捉えるならば、奈津と親方の間で行われるような技術の継承が、貿易参加国の間で行われてもよさそうなものだが、通常の定義での貿易では、そのような現象が起こるとは考えないのである。裏返して考えれば、「技術の継承が実行される範囲」こそが一つの単位としての「社会」と考えられるのかもしれない。だからもし、技術が国をまたいで継承されるのであれば、「現代社会が国際社会である」という主張もすっきり理解できるように思う。
これに加えて、親方と弟子という関係によって、技術を持った親方から、弟子である奈津は時間をかけて技術を引き継いでいる。この「技術の継承」によって、「技術がない」という奈津の欠点は解消されるだろう。この点は標準的な貿易に関する理論とは異なるところだ。そこではA国がXについて比較優位を持ち、B国がYについて比較優位を持つ場合には、A国がXに関する比較優位を相手国であるB国へ継承するということは考えない。貿易を「複数の国の間で行う共同作業」と捉えるならば、奈津と親方の間で行われるような技術の継承が、貿易参加国の間で行われてもよさそうなものだが、通常の定義での貿易では、そのような現象が起こるとは考えないのである。
興味深いと思ったのは、親方は技術があるが若い女性というカテゴリーの人間たちの欲求を察知することはできないが、奈津の意見をもとにその欠点を解消しているというところだ。この親方のように、技術はあってもニーズを掴むのは苦手という人間は現代でも山のようにいるだろう。そしていくら技術だけあっても、それだけで素晴らしいものが作れるとは限らない。人間を相手にする場合には、その人間について理解していなければならない。
親方は奈津からの意見をもとにどら焼きの皮について工夫をしている。しかしこの工夫は親方だけで考えていたのでは思いつかなかっただろう。それは優れた技術だけで解決する問題ではないのだ。人間の欲求に対する明確な理解があって初めて生まれるタイプの工夫である。
少し前にアルゴリズムに潜む人間観について記事*3で書いたことと重なるが、アルゴリズムを考えるのがいくらうまくても、「それによって何がしたいか」(人間側の欲求)がはっきりしていなければ、アルゴリズムを使っていいものを作ることはできない。*4技術だけでなく、ニーズを理解しなければならない。
テクノロジーの進歩に人々の注目が集まるときには、テクノロジーだけで強引に問題を解決しようとしがちだが、そういうときこそ人間についての理解が問われるのではないだろうか。そして人間についての深い理解があって初めて、テクノロジーはその効果を最大限に発揮できるのではないか。
味噌ラーメンとチャーハンを食べにいって、思わぬ発見につながったひとときだった。
*1:最新巻は20巻らしい。
あんどーなつ 江戸和菓子職人物語(20) (ビッグコミックス)
- 作者: テリー山本,西ゆうじ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2014/09/15
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*2:
*3:
plousia-philodoxee.hatenablog.com
*4:小飼弾さんと神永正博さんの対談をまとめた『未来予測を嗤え!』の中でも、小飼さんがそういうことを言っている。