客と椅子ときまり

 今の憲法である日本国憲法は、戦後にアメリカから与えられたものであって、日本人が自ら贏(か)ち得たものではないということが、しばしば問題とされる。憲法というのは、或いはもう少し広く法というものは、自分たちで生み出すからこそ意味があるのであって、もし時の権力者が法や憲法を作ってしまったとしたら、それはもはや法や憲法の定義に反するだろう、と。それでは日本の歴史上、日本の民衆が自分たちでルールを作った例があったかと考えてみたら、十七条の憲法大宝律令以降の各律令も、御成敗式目も分国法も公事方御定書も慶安の御触書も、みな違う。みながみな、その時代ごとの権力の中枢にいた人間たちが作ったルールだ。なんということだろう。一揆やうちこわしはしていても、或いは貴族の時代から武士の時代に変わっても、民衆が自らの力でルールを生み出した例は一向に見当たらない。これは、少なくとも立憲主義とか自由平等とか近代国家というような言葉に沿って、西洋風にものを考えることにどっぷりと浸かりきっている現代の人間の標準的な感性からすれば、耐え難い道徳的怠慢と映るのではないかとすら思う。

 いきなり大きく「日本人」などと集合的・一般的に語ったけれども、それでは個人としての私はどうか。私は幼い頃から、正確にいえば小学一二年生の頃から、責任感は人より強いが、その一方で罪悪感には乏しいところがある様に感じている。現代人として生きる上では、社会の中で罪悪と責任とは分かち難く対応していて、両者に対するセンサーとしての責任感と罪悪感の二つがきちっと噛み合っていない私などは、これではまずいのではないかと思ったりもする。罪を犯すということは、ある個人が自分の意思でそれを選んだ結果なのだから、その選択に対して、事前にそうなるとわかっていた場合には、責任を負う必要が生じる。責任という考え方は、複数の選択肢の中から、ある個人がどれでも自由に選ぶことができる場合に、その中によくない選択肢も含まれていて、それが何らかの意味でよくないということをその個人がわかっていながら、それを選ぶこともまた、その人にとって可能であるという前提があって、初めて成り立つものだ。選べるという状況で、それを選んだ。だから罪なのだ、という風に考える。そういうところから、責任に対する感性が発達してきて、やがてその感性には、「責任感」という名前が付けられる。そしてまた、罪悪を犯した人間が、その罪悪に対する感性を持つようになる場合に、その感性には「罪悪感」という名前が付けられる。罪悪というのが、「よくないこと」という意味であるならば、罪悪に対して、責任が対応し、その責任を負わせるために「罰」が対応するというのは、今の人間からすればごく自然なことかもしれないが、果たしてこういう対応関係というのは自明なのだろうか。或いは普遍的なものなのだろうか。これまでに自分で法を作った経験のない日本人が、これから自分たちで法を作っていくためには、こうした原理的なところから考えていかなければならないのではないかと感じている。

 今の私は、中国から「律令」という法の概念と形式とを輸入して、日本製の律令を作り出す前の、上代の日本人の感性に似たりということになるのだろうか。律令以前の日本人は、法などというものを必要とせず、ただ神に祈り、神を恐れ、祭において神に捧げものをすることを通して、静かに暮らしていた。そこには責任の観念はなく、罪は禊ぐものや祓うものであって、償うものではなかった。だから罪と罰とは別個のもので、必然的に対応するものでなく、さらにはその「罪」というのも、ヨーロッパ風の、もっと言えばキリスト教風の「罪」の概念とは異なるものとして、人々の心の中にあった。罪は祓うものであった。ある人が何かよくないこと(=罪)を犯したとき、彼は悪霊に取り憑かれていたのだと、昔の人は考えた。だから神社に行って、お祓いをしてもらうように勧めた。或いは神に捧げ物をした。罪は洗い清めるもの、祓うものだった。そうして洗い清められ、或いは祓われた後には、その者は正気に戻って、また普通に過ごすようになると、そういう風に考えられた。昔の日本人がこういう法意識を持っていたことの名残が、今にもかすかにその痕跡を残しているのであって、「汚らわしい」とか「正気の沙汰ではない」とかいう表現の中に、それは見て取ることができる。

 文化人類学にはそれほど明るくはないけれども、世界中の種々雑多な民族たちの中で、自分たちでルールを作った民族がどれほどあったかと問われれば、その数は少数であったろうということはわかる。大抵は掟という形で他から与えられたルールを守るという体裁をとっている。この辺りは詳しいところを見なければならないから、フレイザーの『金枝篇』やエリアーデの『世界宗教史』などを読み返して、確かめなければならない。

 他から与えられたルールを守るのと、自分たちでルールを作ってそれを守るのと、どちらが良いかを簡単には選べない様な気がしていて、後者では押し付けがましさが顔を覗かすこともある。言葉の使い方やコンピュータのコードに規定される「アーキテクチャ」など、意識しないでも守っているルールも世の中にはいくつかある。

 犯罪を犯す者も、寒い時には「寒い」と言う。言葉のルールを破ることはない。どちらも自ら定めたルールでないにもかかわらず、である。「決まり」というものは、初めからそこにあるものであって、それに従っていればうまくいくものなのだと、そういう風に考えることに、人は簡単に馴染んでいく。そういう人の特質は、しばしば主体性の欠如とか近代性を獲得していないとかいう仕方で、否定的に語られる。否定の反対は肯定であって、そこにあるものを「確かにある」ということである。否定的ということはその反対だから、「そんなものはない」ということになる。そんなものは、人間の本性ではないのだ。どこかの誰かや何かによって抑圧を受けているだけであって、人間の本性はもっと別のものだ、と。今顔を見せている様に見えるもの、そこにある様に思われるものは、本当はそこにあるはずのものを押しのけて、或いは比喩的にいえば、座るべき者が座る椅子に座った横柄な者の様に、ずけずけとそこに座っているだけであって、そこに座るべきは本来は別の者であるのだから、横柄なその者は、どうしても否定されなければならない。そんな言い方もできるかもしれない。しかし本当にそうだろうか。そこに座っている者は、確かに座っているのであって、またその者は座るべきか否かという判断がなされるよりも前に、まずは座っているということを認める必要があるのではないだろうか。店に入ってきた男が、椅子に座れば、店の者は座った者に、しかるべく応接せねばなるまい。座った者を否定するのではなく、その存在を認めて肯定し、肯定したその後で、その者がどういう者であるかということを考えるのではないか。批評が成り立つとすれば、座った者を否定してしまうのではなく、座った者がどんな姿をしているか、どうしてそこへ座っているのか、肯定でも否定でもなく、或いはその善なるか悪なるかでもなく、ただそれを虚心に描き出すのがまずもってなされるべきことではないか。

 そんな風にして、客と椅子の比喩を使って考えを進めてくると、それでは「きまり」というものについて、それが自分で生み出したからいい物だとか、他から与えられたものだから良くないとか、そういう判断をする前に、まずはその「きまり」それ自体を、その姿に忠実に描いてみたい。そうして描き切った後に、さてそれが私にとって、日本人にとって、人間にとって、或いはもっと広く生物一般にとって、生活に適うものであるか、それを検討してみるという手順を経るのがいいのだろう。