両極端に走りがちな世論
【1745字 目安:3分】
という謎の方程式がでっちあげられている印象を受ける。
そしてメディアではその反動として、「イスラム教徒は危ない人達ではない」と主張する記事も増えている。直近で見たものだと例えばこれ。
「いいか悪いか」を巡って両極端になりがちな世論。
国でも階級でも民族でも学校でも、およそどんなカテゴリーで人をくくっても基本的にはそうだと思うのだが、イスラム教徒の人達の中にも、いい人もいれば悪い人もいる。どうして「みんないい人orみんな悪い人」という二者択一の見方になってしまうのか。
色々な要因が複雑に絡み合った問題について、色々な人が色々なことを言って、それがメディアを通していろんな人に伝えられ、問題点が集約されていくことは、民主主義社会における政治的意思決定のプロセスとしては標準的で自然なことだとは思うのだが、こうも頻繁に二者択一になってしまうのは、やっぱりちょっとおかしなことじゃないか。
おそらく問題は、イスラム教徒の人達の中からどうしてアルカイダやISISの様な過激なテロ組織が生まれてくるのかということであって、すべてのイスラム教徒の人達を一緒くたに「いい」とか「悪い」とかラベリングすることではない。
もちろんこういう問題はイスラム教徒に限らず、どんな集団についても言えるだろう。色々な人間が集まってくると、その中の一部から「悪」とラベリングされるような小集団が生まれてくる。それが集団全体の代表者ででもあるかのように扱われる。でも代表者の勘違いのところは別の問題で、根本的に問題なのは、「生まれてくるのはどうしてか」の方ではないか。
「世論」(public opinion)の形成過程を考えると、ネットや新聞、テレビを中心としたコメントが一方的に紹介されるしくみによって、「集団極性化」(group polarization)が起きているということなのかもしれない。賛成派は賛成派の紹介する記事を読みがちで、反対派は反対派の書いた記事を読みがちだ。そうやって読んでいたら、賛成派も反対派も同じように、自分の信念(belief)を強固なものにすることになりやすい。これは認知のレベルの話。
またGunosyやSmartnewsなどのニュース・キュレーションアプリは、自分の気になる分野のニュースだけを選択的に集めるようにできている。そういうアルゴリズムでできたアプリを使っていれば、知らず識らずのうちに偏った記事を読まされることになる。これはどうしてそういうアルゴリズムを採用しているのかという面で見れば情報社会論のレベルの話であり、技術的には情報科学のレベルの話ということになるだろう。
先日読んだ有馬淑子『極端化する社会』(北大路書房)では、「共有知識構造」(どういう知識が集団の中で共有されているか、或いはその知識の分布)で集団極性化を説明していたが、このケースではどういうデータをもとに集団極性化を示せるだろう。これは社会心理学の本なので、実験の手続きも大学生を集めて質問に答えてもらったり・・・というような方法論がほとんどだった。その実験の結果から考察を進めていくのだが、それは現実に起きている色々な社会現象の検証に使えない。現実の現象の中から集められる数字をもとに指標を作って、議論できないか。「共有知識構造」にしてもそういう指標をもとに論じ直すということができないか。
両極端になるのが、みんなの問題を解決するのに都合がよいのであればいいのだが、どうもそうは見えない。みんなの問題をみんなで解決する(=民主主義的意思決定)というのであれば、決め方の論理をちゃんと考えたいと改めて思った。
- 作者: 有馬淑子
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