集団が情報を処理するしくみ

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民主主義(democracy)

…政治システム。構成員による「話し合い」で解決できるものが問題の中心で、専門的な問題、解決に高度な知識や技術を必要とする問題*1には、専門家の関与が不可欠。決議を構成員全員が行うタイプ(直接民主制*2)と、一部の構成員に委託して行うタイプ(間接民主制)があり、集団の規模が大きい場合*3には後者の合理性が主張され(ジョン・スチュアート=ミル『代議制統治論』など)、それが選択される。後者については当初から問題点、欠陥、限界*4などが指摘されていたが、近年、グローバル化を主因とする問題の複雑化*5にともなってその声は益々高まりつつある。日本国内でも「決められない政治」などの標語によって代議制の問題点を指摘する例も増えている。


資本主義(capitalism)

…経済システム。規模の大小を問わず、様々な問題について、それに対処する構成員の数を絞り込んで「企業」(firm)とし、同じような問題を扱う企業同士を市場において競わせることで、より効率的な解決をめざす。また競争の環境、資源配分の条件を巡って「最適化」(optimization)を行うことで、より少ない資源で解決を達成できるような調整もボトムアップで行われる。(アダム・スミスが指摘した「見えざる手(invisible hand)」


共産主義(communism)

…経済システム。資源配分に関して私的所有を否定し、資源の共有を目指す。なお、それが達成された後はどうするのかという点については提唱者カール・マルクスは言及していない。「マルクス主義」(Marxism)と名前を変えて以降はイデオロギーの問題にすり代わり、ソ連の崩壊によって、決定的な打撃を受け、以前に比べ、現在は主張されることが少なくなってきた。またその一方で資本主義に固有の問題とされる問題が起きると、それが破壊的であればあるほど、その度に「マルクスに注目せよ」「資本論を再読する」「資本論の可能性」というような言説が登場する。


インターネット

…通信システム。コンピュータ*6同士をネットワークでつなぐことによって、世界規模での情報処理が可能になった。

 情報処理の担い手は、直接的には「コンピュータ」(パソコン、スマホ、タブレット端末に加え、Apple Watchのようなウェアラブル端末、さらには今後は「IoT」(Internet of Things)と表現されるような「モノ」*7まで含む)であるが、処理をするための指示としてのプログラムを書くのは人間であるので、そういう意味では情報処理の担い手は①〜③と同様「人間」である。 

 プログラム、ないしアルゴリズムという形式によって、問題に対する解決策を人間が記述することさえできれば、個々のコンピュータが中心となり、サーバーなども関与しながら処理が行われる。言語だけが壁であるが、翻訳技術*8の進歩によってそこもかなり解消されつつあり、処理の効率化が進んでいる。


さて、集団による情報処理の効率性については、どんなシステムが考えられるだろう。

 

 社会心理学においては、集団思考(groupthink)や、リスキーシフト(risky shift)に始まる「集団極性化」(group polarization)の研究など、集団の振る舞いに関する議論が古くから存在する。もちろんそれに関連して「世論」についても研究されてきた。しかしそれについて工学的に、あるいは数理的に分析する視点はまだ未発達であるという印象を受ける。その背景には社会心理学が「文系の学問」に位置付けられ、数学的な分析の枠組みが十分に用意されていないということもあるだろう。統計学は昔から利用されていたが、経済学やゲーム理論、金融工学において解析学、線形代数、微分方程式、確率論などが普通に利用されている状況とは大きく異なる。近年ではコンピュータを用いたシミュレーションの研究も発展したため、それが社会心理学における集団研究に応用される例も増えてきた。しかし数理モデルという点ではまだまだという印象である。

 

 集団が様々な問題に対処するときには、問題を解決するために必要となる「情報」(information)をどのように伝えるか、共有するか、処理するかという問題が必ずついてくる。これを「サブ問題」と仮に呼ぶことにすると、集団はサブ問題に対処するためにどのようなしくみ(システム)を考えてきたのか、またその問題と世論(public opinion)とはどのような関係があるのかということに、近頃の私は関心を持っている。世論は集団による情報処理を妨げる要因として機能するのか、あるいはそれを促進する機能をもつのか。

 

 人間が問題に対処するときには個人が認知的に抱えるバイアスや、個人間の情報伝達における情報の変容など、複数のレベルでいろいろな問題が絡んでくる。しかしあまり問題を複雑にとらえず、できるだけシンプルに考え、「ここにさえ注目すればかなりよくなる」という勘どころ、ツボのようなものを見つけたい。

*1:原発廃炉にするかどうか、沖縄に米軍基地を作るかどうか、「従軍慰安婦問題」にどう向き合うかなど

*2:古代ギリシャにおけるデモクラシーとはこの直接民主制を意味した。当時の古代ギリシャの人口は30000〜50000人。日本では「国家」と訳される言葉も、この規模の集団を指して使われていたという意味で、今日の1億2000万人からなる日本という国家を古代ギリシャと同じ言葉で表していいのかという点には、私は懐疑的である。

 

 教育や政治的腐敗の程度が低いという点で評価の高い北欧諸国のひとつであるスウェーデンは人口は960万人であり、ノルウェーは508万人、フィンランドは544万人である。「集団のサイズ」という視点はかなり重要で、北欧の「国家」でうまくいったからといって、日本という「国家」でも同じようにうまくいくはずだと考える発想は、ときに安直に思える。

 

サイズを合わせて考えるという意味では、

スウェーデン→神奈川県(909万人)

ノルウェー→福岡県(509万人)

フィンランド→北海道(543万人)や兵庫県(553万人)

とだいたい同じであるから、こういう対応関係で考えるほうが実践的には現実味があるような気もする。

※北欧諸国の人口については世界銀行のデータを、都道府県の人口についてはWikipediaをそれぞれお参照した。

北欧諸国の人口:世界開発指標 - Google Public Data Explorer

都道府県別人口:都道府県の人口一覧 - Wikipedia

*3:とりわけ16世紀以降、ヨーロッパに起源を有する「主権国家」(nation state)においては、代議制が標準的な民主主義の形態とされる

*4:オルテガ・イ=ガセット『大衆の反逆』

*5:ある問題が一国内にとどまらず、複数の国にまたがって展開し、法や制度、文化、言語などの違いによって、問題に対する統一的な対処が難しくなってしまう。さらには従来であれば、複数の国にまたがる問題は「外交」(diplomacy )の領域であり、政府が担い手となる問題であったのが、多国籍企業(Multi-National Company: MNC)の発達によって、経済の領域で「企業」が担い手となって対処される例も多くなった。

*6:コンピュータの何が革新的だったのか」という点については、長いあいだにいろいろな議論がなされてきた。しかし個人的には、ひとつの「もの」が対処できる「問題の数」が、これまで人類が発明してきたどんな発明品よりもダントツに多いという点がコンピュータの革新性の核だと考える。洗濯機は「洗濯」という問題に対しては画期的であっても、あくまで洗濯に特化しての話で、それはエアコンやテレビ、車、電気ポット、給湯器など、ほとんどの発明品についても当てはまる。それらは特定の問題に対してそれまでの製品より性能が高いというにすぎない。技術革新という言葉もまた、そのような意味で使われることが多い。しかしコンピュータは、プログラマーが優秀でありさえすれば、およそ数かぎりない問題に対処することができる可能性をもっている。ひとつの製品がこれだけ多くの分野にまたがり、多くの問題の解決に応用されるようになった例は、歴史上他に存在しない。

  それは「技術革新」という言葉の意味すらも、他の「技術革新」とは異なる意味で使うことができるという意味でも革新的である。つまり、特定の問題に対する技術革新ではなく、複数の領域の複数の問題に対する技術革新であるという使い方ができるのが「コンピュータの発明」における「技術革新」というものである。

*7:家電製品など、従来はネットに接続されていなかったモノまでネットにつながり、ネット上の情報をもとに適切な処理を行うようになる

*8:インターネットの可能性についての言説には、当初「世界中の知識が集まることによって、問題の解決を早めるはず」というある種の「信念」のようなものがあり、その阻害要因となる言語の壁に対しても早くから対処された。コンピュータによる翻訳技術の発達の背後には、こうした思想が潜んでいるということも指摘しておきたい。