国会における議論と国民の意向との間に生まれる構造的ミスマッチ

 日本は代議制(representative system)の国である。つまり人口がとても多いので、いろいろな問題についてのいろいろな政策について国民が自ら直接議論するのではなく、代理人(representativeとして政治家を選挙で選び、彼らに国会で議論をしてもらうことにしている。国会はテレビ中継で見られる。しかし近年では、選挙における投票率自体の低下が指摘され、議員たちが国会で議論し、内閣が実施した政策は本当に民意を反映したものと言えるのかということが併せて問題視されやすい。今回はその問題について原理的なところを中心に考える。

 

 もちろん国民が関心を持つ問題点を議員がうまく集約し、国会で質疑を行うというのはすでに行われていることではある。しかし個々の問題に対する議員の個人的な立場や見解と、国民の関心との間で生じる「ズレ」は原理的に避けられない。この問題にどう対処するか。まずは問題を形式的に記述するところから始める。

 

 ある国において、そのメンバーι(ι=1, 2, 3, ... , n)で解決策が決定される問題が3つあり、それぞれ問題A、問題B、問題Cとし、それぞれの問題については対処の政策として政策Ai、政策Bj、政策Ck(i, j, k=1, 2, 3)があるものとする。

ここに議員が3人存在し、それぞれ議員P、議員Q、議員Rとする。

 

 それぞれの議員が上で挙げた3つの問題について、各々の議員は次のような政策の組み合わせを考えており、またそれはすべてのメンバーに知られているとする。

 

 議員P:A1, B1, C1

 議員Q:A2, B2, C2

 議員R:A3, B3, C3

 

 さてこの時、メンバー1は個人的には政策集合(A, B, C)=(1, 2, 3)を考えているが、その代理になる議員は一人も存在しない。こうしたメンバーが他にも複数いる場合、果たしてメンバー全体の政策集合をなるべく正確に反映させることは可能だろうか。もし可能な方法が存在するとしても、それを当該の個人が知らない場合、彼は「投票しない」ことによって自らの意思を示すことになる。もし、個人的に考える政策集合と代理人、あるいはその代理人によって構成された政党が考える政策集合との間の「ミスマッチ」という問題が、多数の個人について当てはまるならば、そのときには投票率の低下」という現象もひとつの結果として生じると考えられる。

 

 残念ながらこれが現実を反映しているかどうかは検証できない。なぜなら誰が投票に行っておらず、またそうした人間がどのような政策集合を望んでいたのかを網羅的に知ることは数の点で困難であるからである。そもそも投票に行かなかった理由が「自らの政策集合を反映する代理人がいなかったから」の一つしかないとも言い切れない。

 

 ではこうした問題をどう扱ったらよいだろうか。それは「議員や政党の投票」だけではなく、それとは別個に「政策の投票」も同時に行うということだ。私たちが政策に関する意思をより正確に反映させることを望むのであれば、「この人に入れよう」だけでなく、「この政策に入れよう」という投票も行った方が効率的というか自然ではないか。そして両選挙の結果の「ズレ」をいかに調整するかという方向で議論を進める方が、代理人だけを選挙する場合に比べて、国民の望む多様な政策集合を政策によりよく反映させることができるようになる。