頻度と思い出をつなぐもの
いまや卒業式の定番となった合唱曲「旅立ちの日に」(作詞:小嶋登 作曲:坂本浩美)を、ひょんなことがきっかけで久しぶりに聴いた。
中学生の頃、音楽の時間に練習したこと、音楽の先生の伴奏、恥ずかしがって最初はちゃんと声を出して歌えなかったこと、そういうことを思い出した。この曲をちゃんと聴いたのはその頃が最後だから、もう10年以上前の話になる。
久々に聴いたせいもあったんだろうけれど、前奏の時点で自然と涙が出てきた。
久々に聴いたことで、中学の頃のことを久々に思い出すきっかけを得た。もし、中学を卒業した後も、この曲を毎年のように聴いていたとしたら、この曲にまつわる思い出は中学の頃の思い出の他にもどんどん溜まっていって、中学の頃のことを思い出し難くなっていたかもしれない。この曲は、中学の頃の経験だけと結びついているからこそ、それを聴けば中学の頃のことを思い出すことになる。もちろん今回、この記事を書くまでのことが上書きされるので、次にこの曲を聴いた時には、今日のことも思い出すようになっているかもしれない。人の記憶とはそういうものだ。
たまに聴くからこそ、その時経験した、限られた範囲の時間についてのことを鮮明に思い出しやすくなる。
色々な思い出は、色々なことと結びついていて、何がきっかけになってそれを思い出すか、本人にもわからないものだ。もしかしたら自分は、次に中学の合唱のことを「旅立ちの日に」を聴くこととは別のきっかけで思い出すかもしれない。そしてそのきっかけは、自分では思いもしなかったような、そういうことだったりするのかもしれない。
何が何と結びついているのか、わかる部分とわからない部分があって、それはどれくらいの頻度で自分の元にやってくるのか、コントロールできる場合もあれば、思いがけず不法侵入のようにやってくる場合もある。
そしてあることが繰り返し自分のもとにやってくるときには、その繰り返しやってくるものと自分との関係は、初めの頃のままではありえず、時間が経てば経つほど、変わっていく。音楽や香りや、自分が書いた文章は、過去の経験をより鮮明に思い出させる。
私の頭の中を占める、色々な人やもの。色々な頻度でやってくる人やもの。
そうして関数や確率について考え直していた。