結局のところ、「問題を解く」というのは何をどうすること?

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(画像はA3 Problem Solving Workshops for Manufacturers in South Carolinaより転載)

 台風19号ヴォンフォンの接近で雨が激しくなっている。そして下の階からはゴトゴトと音がし続けている。何が起きているんだろうか…。

 

 情報処理(information processing)ということを考える機会が増えたせいだろう。タイトルに書いた疑問が浮かぶ頻度が上がっている。

 

What is problem-solving?   Is it just a kind of information processing computers do all the time? Or is it just related to getting the positive emotions like happiness, joy, surprise (θαυμάζεινthaumazein), or "Eureka!"? 

 

頭の中で比べているのは「数学の問題を解くこと」と、「自転車に乗れるようになること」の二つで、前者は頭で原理を理解しなければ解けないけれども、後者は必ずしも原理を理解していなくても「解ける」*1問題だ。自転車に乗るとき、乗っている人間はいちいち腕の角度や漕ぎ出す足にかかる圧力を頭の中で計算し、動作を制御したりなどしない。ただいつものように自転車を漕ぐだけだ。

 

両者には共通点もある。それは、ある一定数のパターン(或いは「手順」*2)があって、それを実現することによって問題は解決されるということだ。数学の問題にしても、自転車に乗ることにしても、ひとたびそれができるようになると、その人は自分が身につけたパターン(手順)を繰り返す。時には「他のやり方はないか?」と考えて、関数の問題を図形の問題として考えてみたり、ペダルに乗せる足の位置をつま先寄りからかかと寄りに変えてみたりするが、それでも一定数のパターン(手順)に収まる。

 

すると「問題を解く」というのは、解かれる前には明らかでなかった「ありうる操作の膨大なパターン」の中から、一定数のパターンを見つけ出すことをさすのだろうか。

 

ここで自転車を初めて見たサル(♂)のことを考えてみる。彼は最初に自転車を見たとき、ペダルがどこにあるかわからない。いや、ペダルそのものがわからない。もっと言えば、そもそも自分の目の前に置かれているものが何なのかすらわからない。そのうち前輪や後輪を手でぐるぐる回し始めたり、持ち上げて投げ飛ばしてみたりするかもしれないが、それにまたがって、ペダルに足を乗せ、ハンドルを握り…といった「自転車の乗り方(正解)」にたどり着くまでに色々なことをやるだろう。

 

サルで考えなくても同じかも知れない。自転車に乗った人を見たことのない子供の目の前に自転車を置くと、おそらく誰かの手助けなしでは、サルとそう変わらないことをするだろう。学習はサルより早いかもしれないが。

 

こういう風に考えてみると、問題を解くためには、まずその対象を認識している必要があるように思えてくる。まずは相手が何かがわかっていないと、問題は解けない、と。

 

人間だけではない。サルにしても、アリにしても、イルカにしても、あらゆる生物がなんらかの行動をとるときには、それぞれその動物なりの仕方で問題を「認識」している。音を通じて、触感を通じて、フェロモンを通じて・・・などなど。

 

しかし動物が問題を解決するとき、それはあくまで、冒頭の例で言うところの「自転車に乗れるようになる」の方であって、「数学の問題を解く」というのとは違っている。彼らは数学をもたない。少なくとも人間のようなしかたでは。

 

人間は問題を解くためには論理や言葉が必要だと当然のように思っている。「問題」そのものも言葉でもって表現される。

 

以前に「ネットワーク」によって問題を解決するということについて記事を書いた。

人やコンピュータでなく、ネットワークに問題を解決させるということ - TOKYO/25/MALE

 

しかしこれにしても、解決する主体がネットワークだとしても、それを人間が予め認識しておくために、何らかの「形式化(formalize)」を行うことが必要になる。

 

問題とは、あらゆるパターンの中から適切なパターンや手順を探し出す、一種の「宝探し」の様なものなのだろうか。宝は「答え」であり、他の多くのものの中に紛れ込んでいて、簡単には見つからない。それを見つけ出すことが、すなわち問題解決である、という様に。

 

これはわかりやすい比喩であり、これまでにも色々なところで使われてきたものだ。ここではこの比喩をもう少し突き詰めて考えてみる。つまり、「問題を解く」ということは、問題そのもの(何が問題であるか)を示すということである、と。問題そのものをよく分析することによって、答えは示される。

 

下の階で聞こえていた音がいつのまにか止んでいた。

 

最後に残されたのは、では私は、この記事のタイトルにどう答えるといいのか、ということだ。さきほど書いた文、『「問題を解く」ということは、問題そのもの(何が問題であるか)を示すということである』は、記事のタイトルである『結局のところ、「問題を解く」というのは何をどうすること?』をうまく示すことに成功しているだろうか。

 

このテーマについてはまた記事を書こうと思う。今回はこの辺で。

 

*1:自転車に乗ることに対して「解ける」という表現を使うことに抵抗を感じるかもしれないが、自転車に乗れなかった状態から乗れる状態に変わったとき、それは確かに「自転車に乗る」という問題が「解けた」ということになるだろう。

*2:これはアルゴリズム(algorithm)」といってもいい。