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1275

以前のこと 倫理学 内省 日常 東京 歴史 27歳

 昨日、自転車で通勤していると、信号で停車したときに前に止まっていたトラックのナンバーが「1275」だった。4桁の数字を見ると、四則演算を組み合わせて10にする…ということもたまにやるけれども、このときはそういう頭の体操みたいなことはしないで、私の頭に浮かんできたのは「ああ、1275年といえば文永の役の翌年だなあ。1度目の元寇のあった次の年、当時の日本人はどんな気分だったんだろう。」ということだった。1274年、鎌倉時代が始まって1世紀近くが過ぎた日本にモンゴル帝国(大元ウルス)が侵攻してきた。その年はさぞかし大変だっただろうと想像される。中国といえばそれまでは、日本から使節を送ったり、逆に渡来人がやってきたり、或いは貿易を行ったりする相手ではあっても、決して攻め込んで来るということはなかった。だから当時の日本にとって、1度目の元寇は、晴天の霹靂の様な出来事だったのではないか。1274年は、そのショックが続いたまま終わりを迎えた年だっただろう。ではその翌年はどうであったか。そんなことがふと気になった。

 どうして出来事のあった年そのものではなく、その翌年が気になったのかと言われれば、おそらくは震災のことが頭の中にあったのではないかと思う。つまり震災のあった2011年は衝撃の強度が強すぎて、それとどう向き合ったら良いのかわからず、落ち着いてものを考えることができないまま過ぎた。ではその次の年はどうだったかということが、私の頭の中にはあった。震災のあった年には、震災ボランティアや募金が盛んになって、そういうものに積極的であることが美徳であるかの様な雰囲気が東京にもできていた様に記憶している。もちろん私の周りは暇な大学生ばかりであったから、そんな風に被災地へ身軽に足を運ぶことのできる人間が多かったということもあるのかもしれない。しかしそういう雰囲気は、単に私の周りだけで起こっていたことではなくて、ネットや街中を見ていると、もっと大きな規模で起こっていたのではないか。その翌年には、そういう雰囲気はまだ残っていたけれども、そういう雰囲気が鬱陶しいという声もぼちぼち出てくるようになったと思う。本来はそんな風にして、色々な声が響いている方が健康的なのだろうと思うのだけれども、震災のあった年には同じ様な声ばかりが束になって響いていた。そういう音響のこだまする空間というものは、たとえその音がどんな音であろうとも、混声的でない以上は、やっぱりどこか不健康というか、どこかバランスが崩れているようなところがあるのだろうと思う。

 大きな出来事が起こった時に、その年だけを重要視して記憶するというのが、我らがおなじみ、年号暗記式学習法の要諦であって、その翌年など、ほとんど顧みられることはない。しかし、ある出来事の本質が、その出来事の起こった年のうちにはっきりと示されるという保証はどこにもない。次の年になって、少し心が落ち着いてきて、あの頃はどうだったろうかという風に振り返るゆとりが生まれてきて初めて、出来事の本質がようやくぼんやりと見えてくるということがある。「翌年論」みたいなものを考えてみるのは、出来事の本質という考えるときの、一つの方法になるかもしれない。