人やコンピュータでなく、ネットワークに問題を解決させるということ
ジェフ・スティベル『ブレークポイント』を読み進めていて、もう少しで終わり…というところまでやってきた。英語の方でどんな単語が使われているのか気になるので、近々英語でも読んでみようとも思った。
「第11章 結び シロアリ 絶滅」で、「ハキリアリ」(上の写真のアリ)が集団でどんな風に地下の巣を作るかということが説明されている。まずは巣の様子を少し以下に引用する。
完全に掘り返してみると、保存された巣は目を見張るものだった。一つの塚が地上の表面積にして221平方メートル近くある、近代工学の驚異だ。最も大きな素には地下に総延長70メートルにおよぶトンネルが走り、全体構造は超高層ビルほどの大きさと都市の1ブロックほどの幅をもっていた。これほどの巣を建設するのに、アリは計り知れない量の土を運び出さなければならない。
最も大きな巣の広大な迷宮には7863個の部屋があり、最も大きいものだと深さが7メートルに達している。それぞれの部屋には特別な目的があり、庭や育児室、さらにはゴミ捨て場まであった。部屋と部屋をつなぐトンネルのシステムはまるで高速道路システムのようで、入り口ランプと出口ランプ、そして地域ごとに連絡通路まで備わっている。構造そのものが、まるで建築家が設計したもののようだった。
(同書236、237ページ)
まずは、これほどのものを作る能力は、一匹一匹のアリにはなく、さらにこの巣の設計図を作り上げるような優秀なアリも存在しないということに注意が必要である。
もう少し引用を続けよう。今度はハキリアリの巣の中の色々な機能について。
ハキリアリは動物界の中でも最も精巧な巣を作り上げることで知られている。多くの場合、彼らは地下水面まで直接掘り進んで部屋を作ることで、天然の水和作用を利用する。ハキリアリの塚野地表部分には何百もの開口部があり、換気が可能になっている。塚の中央にある開口部が巣の内部からの熱い空気と二酸化炭素を吐き出し、塚の周りの穴から外気が流入するようになっているのである。この方法により、冷たい新鮮な空気が巣全体を常に循環している。アリは風速と熱対流の原理を利用してガス交換を調節しており、この発達した空調システムは単にアリを快適にする以上に重要である。
(同書237ページ)
この機能の実現についても、それを一匹一匹のアリの能力に還元して説明することはできない、ということに注意が必要だ。
この後にもハキリアリがキノコを育て、肥料をやって、収穫して食べる様子が書かれている。ハキリアリたちの「農業」である。
ではこれらの「事業」を、ハキリアリたちはどのようにして達成しているのか。
それはハキリアリの「ネットワーク」によって、である。 彼らが一匹一匹、どのように作業を分担するかについて、明確なルールがあり、それに従って各自が行動する。そのルールは、ある特権的な地位にある一匹のアリが、トップダウン的に他のアリたちに伝えることで実現されるのではなく、互いに全く対等な、アリ同士の相互作用によってボトムアップ的に生まれてくるものである。
こんな動画もある。単細胞生物である粘菌が多数集まって、集団としてどんな風に振る舞うか。
ヘザー・バーネット: 準知的粘菌が人類に教えてくれること | Talk Video | TED.com
「ネットワークの知能」という考え方をしてみたい。私たちは、ネットワークを作る「各メンバーの能力」が、そのネットワークで達成可能な事柄を決める、という風に考えることに慣れきっている。優秀な人材が集まる会社は、そうでない会社に比べて高いパフォーマンスを発揮するのは当然のことだ、と。優秀な人材をいかに集めるかに、どの企業も頭を悩ませている。
大学生の就活で大企業が選ばれる要因は、もちろん「『大手は安定している』という予想」だけではない。そこには上の様なネットワークに関する私たちの「常識」も関係しているのではないかと思う 。
この考え方でいくと、ハキリアリが近代工学も驚きの構造物を作り上げることにも説明がつく。彼らは一匹一匹が精鋭の、シンクタンクの様な個体の集まりではない。個体のレベルに合わせて考えた知能は決して高くはないが、それをネットワークのレベルで捉えると、高い知能をもっていると言えるのではないか。
ハキリアリが自分とはかけ離れていて、自分とどう関係があるかがわかりにくければ、自分の脳について考えてみればいい。一つ一つのニューロンは活動電位と静止電位の2つしか値を取らないシンプルなものだが、ニューロン同士が結びついて極めて多様な状態を実現し、様々な処理をやってのけている。別に一人一人の人間みたいに、単独で色々なことを考えたりできなくても、ネットワークを作るだけで、できることにかなりの多様性が生まれる。
或いはアダム・スミスでもいい。少なくとも自分の理解では、アダム・スミスは「見えざる手(Invisible hand)」という言葉によって、ある1人の人間がすべてを計画して経済を運営するよりも、一見バラバラで、まとまりのないように見える大多数の人間にそれを委ねた方が、効率的に資源が配分されるということを指摘した。
ハイエク、フリードマン、サッチャー、レーガン、小泉純一郎…こうした人々によって広まった「政府でなく民間で」というメッセージに、それは読み替えられたり、政治哲学の方面で「自由主義」や「リバタリアン」と呼ばれたりなど、色々な形で「見えざる手」のアイデアは引用されるけれど、「情報処理」との関連でこの言葉を捉えるのが、自分の中では一番しっくりくるように思う。
ネットワークを構成する、個体のひとつひとつができることはごく単純なことでも、それを適切につなげ、配分すれば、全体ではすごいことをやってのける。
上に紹介した動画のように、個体はなるべく単純なもので考えた方がいいのではないかと思う。個体のレベルが複雑だと、私たちはどうしても「その個体が単体でどれくらいのことができるか」という方向を見てしまいがちだからだ。「個人の優秀さこそが重要だ」という様に。そして「そんな個人を生み出すことが重要だ」という様に。
そうではなくて、「個体は例えば粘菌のような単細胞生物のように単純なものでも、それが連結してネットワークを構築し、そのネットワークの単位でなにができるか」という風に捉えて知性を評価したいのだ。
この「ネットワークの知能」について、ネットワークでモデルを考えたい。ノードが取りうる値をn個(n値論理)として、ネットワークを構成し、2値の場合には点がいくつで、どんなネットワークで、どれくらいのことができるのか、それを3値に増やすとどうなるか、同じ2値の場合でもネットワークが変わるとできることはどう変わるか、その辺を考えたい。