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論理的思考よりも大事なことを見落とさない注意力の方が欲しい

 SNSも含めネット上をあちこちウロウロしていると、たまに性格診断系のサービスに出くわして、これはまともそうだなと思ったものだけ診断をしてみるのだが、「あなたは論理的思考タイプです」というような結果になることが多い。自分ではまだまだ論理的思考というには程遠いほど甘々だと思っているので、あまり診断結果が励みにならない。知人や友人などからもよく「論理的」と形容されるのだが、これもこれで額面通りに受け取ることができない。誰かが「論理的」と言ったとき、その言った人間が論理的でなければ、「論理的」という言葉に説得力はないからだ。そして論理的でないタイプの人ほど誰かを指して「あの人は論理的」と言ったりするものだ。論理的かどうかを判断するときには、判断している人間自身が論理的かどうかを確かめなければならない。

 さて、論理的うんぬんの話はこの辺にして記事の本題に入ろうと思う。論理的思考などというものは、訓練次第で誰でもある程度は身につけることができるし、その素養は誰でも持っているものだと私は思っている。だからそこではそんなに差はつかない。それよりも私が気になるのは、ある問題に直面したときに即座に答えを出せるかどうかということの方だ。それは論理的思考とはまた別の能力で、素早く正しい判断が下せるという能力は、論理的思考を身につけるよりももっとずっと難しいのではないかと思う。

 私はまだ27年とちょっとしか生きていないが、それでも頭のいい人というのに何度か出会ったことがある。頭のいい人の特徴は、ある問題にぶつかったときに即座に正解を出せるかどうか、また間違った考えをしているときに、どこが間違いであるかを即座に見つけて軌道修正がとれるかどうかだと思っている。IQテストでも解答時間が重視される。時間をかければ誰だって解けてしまう問題でも、IQの高い人間はより短時間で、たいていは数秒で答えを出す。重要なのは「時間」なのだ。

 私は自分のことを「けっこう抜けている」と思っていて、あれこれ考えたつもりでも重要なことを見落としていたり、そもそも前提条件が違っていたりというように、気付くと嫌になるようなミスをしょっちゅうやっている。そういうことを減らそうと思っていてもなかなかうまくいかないでいたりすると、「やっぱり才能の問題なのか?」と思ってしまうこともある。「才能の問題」というのは厄介な言葉で、もし本当に才能の問題なのだとしたら、それはそもそも問題にはならない。言葉の定義を考えることが大切なのだ。「問題」というのは「答え」があって初めて問題といえる。もしもある事柄が才能で決まるならば、自分にはどうすることもできず、したがってそれは、少なくとも自分にとっての問題にはならない。太陽が東から出て西に沈むということが問題にはならないのと同じ意味で、それは問題にならないのだ。

 論理的思考よりも注意力の方が欲しいなあと思う今日この頃。メモをとったりこうして文章を書いたりすることで注意力が高まればと思っている。