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バラバラであって、一つであるようなもの

26歳 日常 東京 内省

 ロードバイクに乗る時に、私はときどきクラブミュージックをかけて道を走る。そしてアルバイト先へ向かういつもの道を走っていると、街の中のいろいろなものが目に入ってくる。信号機、整骨院、政治家のポスター、駐車場に止められた自家用車、いろいろな年齢の男女、小さな自転車で走る子ども、道に落ちたレジ袋…。それらはどれも、私の聴いている音楽ととてもちぐはぐで、そこには統一感や調和のようなものからは程遠いように思える。

 しかしそれでいて、そういうちぐはぐなもの全てが、私の頭という統一的な場の上で展開されている。耳から聞こえ、目で見、鼻から伝わってくる香りとが、すべて最後には私の脳へ行き着くと、そこでは私のニューロンが待ち構えていて、そこでせっせとごたまぜのあれこれが処理されていく。そこには実は調和があるのだろうか

 信号機をささえる柱の形が、中学生の頃にカラシニコフの模写をした記憶を呼び覚まし、そのカラシニコフはテロリストを連想させ、イスラム国の問題へと私の意識を誘った。なんという脈絡のなさ。そしてそれは、私の日常性の中にまったく収まっている。

 バラバラに、脈絡もなく私の目に飛び込んでくるもの、或いは耳に入ってくるものが、時として私の中である統一感を持って再構成される。私が意識的に何かを集めていたのでは、初めから脈絡を持った一連の関係物として、私の意識の中に入ってくるが、ロードバイクで走っているときには、もっと無脈絡的に、無関係的に、雑多なものが無意識のはたらきによってすくい取られていく。