日本語で出会えるもの、英語で出会えるもの

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「世論」というのを、「それは社会における情報処理の一形態である」というふうに考えるとどうだろうと思って、ネットで検索しても、日本語では「これは!」と思うものに出会えない。


 しかし「social information processing」で検索すると、英語の記事や論文がけっこうたくさん出てくる。「英語圏の人はこんなことをずいぶん前から考えていたんだなあ」と思うと同時に、自分も英語に触れ続けているうちにいつの間にかそういう発想をするようになってきているんだろうなあと思ったりもする。

 

 学部生の頃、マクロ経済学の授業をとって、担当の先生が「アメリカの学生はよく勉強する、教科書は英語で読め」ということを何度も何度も口にしていた影響で、マンキューのマクロ経済学のテキスト(英語)を図書館で手にとって読み始めたのがきっかけだった。私はそれ以来ずっと、洋書を読み続けている。  

 

 ちなみにこの先生は本当に何度も何度もこのことを口にするので、友達と面白がって「一回の授業で『アメリカの学生』と何回言うか」をカウントしたことがあった。そのときは約60回だったと記憶している。友達とはしばらくそのネタで盛り上がったものだ。学生時代の些細な思い出のひとつである。


あるアイデアへのアクセスのしやすさは、言語によって違う。特に日本語と英語ではぜんぜん違う。

ルーティングと経路制御のあいだに横たわっているもの

東洋経済で先日こんな記事を読んだ。toyokeizai.net

 記事(対話)の中で、鈴木幸一さんが面白いことを指摘されていて、とても印象に残った。印象に残った理由は、自分も同じ問題について何度か考えたことがあったためだ。やはり自分の頭を使わなければ、ものを覚えることも、思い出すことも「成果」が違ってくる。気をつけたいところだ。鈴木さんの言葉を引用する。 

 

鈴木:それともう一つは言葉の問題ですね。英語は、言葉が日常とくっついているわけです。よく言うんだけど、server(サーバー)もsubscriber(サブスクライバ)もsupply(サプライ)も日常語ですからね。だから、サーバーが何をするのかという役割は、向こうの人は、感覚的にわかる。その点で、日本は、大変ハンディキャップをもったレースをやっている感じがしますね。インターネットの世界におけるRouting(ルーティング)なんて、 要するにroute(ルート)を探せというだけ。ところが、日本だと経路探索と言われてしまう。これだと、ちょっと素人の人が入りにくいよね。

 

 

 「ルーター」という言葉は、日本人には馴染みがない。「WiFiルーター」といえばイメージできるくらいのものだろう。でも「router」と書けば違う。ああ「routing」(あえて日本語に訳せば「経路制御」)をするものだな、ということが、英語がわかる人にはすぐにわかる。日本語では「ルーティング」と「経路制御」(あるいは「経路探索」)というふうに、別々に訳されるから、かえってわかりにくくなってしまう。また経路制御と言わずに「ルーティング」といっても、結局なんのことなのかイメージできない。「経路制御」(経路探索)について調べたければ、検索ボックスには「経路制御」(経路探索)と打ち込まなければならないし、「ルーティング」と書いたとしても、英語圏の人とは「あること」が根本的に違う。鈴木さんが指摘されている、日常語と学術用語が連続していることもそうだが、決定的に重要なことがもうひとつある。  それは、異なる分野の同じ言葉に出会えるかどうか。あるいは異なる分野でも同じ概念が使われているということを知ることができるかどうか、である。

 

 これはアカデミックの世界で「分野横断的」とか「領域横断的」とか訳される「inter-disciprinary」の考え方に深く関係してくる大事な要素だ。英語圏であれば、ある分野における用語が、他の分野でも使われているということがけっこうあって、それこそ最近はやりの「レジリエンス」にしてもそうだが、生態学、心理学、工学、物理学など、複数の分野にまたがって使われる。研究も、それにしたがって自然と複数の分野の研究者が共同で行いやすくなる。いわば研究の前提条件が違うのだ。ある人が「resilience」と打ち込むと、これら複数の分野の記事や論文に出会える。

では日本語だとどうか。「レジリエンス」ならばまだいいが、「プロセス」で調べると経営の記事ばかりが登場する。それらの多くは意思決定のプロセスを問題にしており、日本においてはプロセスという言葉が「経営」という領域で使われることばかりだということが、検索エンジンを通して透けて見える。これを英語にして「ing」をつけ、「processing」で調べると、信号処理や情報処理など、情報科学の世界にアクセスできる。最近ではアリや粘菌の情報処理に関する研究も盛んになっているから、生物学や生態学などの分野の記事や論文にもアクセスできる。経営についての記事や論文ももちろん見つかるが、こうした色々な分野・領域の記事や論文を含む膨大な検索結果の一部に埋もれるようにして散在しているにすぎない。言語が違うだけでなんという違うだろうか。


 「何かを知りたい」と思った場合に、日本人はその言葉だけを検索ボックスに打ち込んでもセレンディピティはほとんどない。適当に「言い換え」(あるいは「言語内翻訳」とでも言おうか)を行って、「この単語はこの単語でも同じ意味を表せるんじゃないか」ということを考え、複数の単語を調べてみて初めて思わぬ発見につながる・・・かもしれない。少なくともそうしなかった場合よりは、その確率が上がるのではないかと思う。


 検索エンジン自体の技術もどんどん進歩しているが、検索する側の検索技術も問われる。日本語の場合は特に、専門用語が学問領域によってかなり分断されていて、相互に結びついていないので、余計にやっかいだ。