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大きなものと小さなものの相互作用ーコロイド的なもの

 近頃、塾の生徒を教えるのに高校の化学を学んでいて、「コロイド」(colloid)というのを知った。大きいものが小さいものに溶け込んでいる物質の状態を指すもので、その「大きいもの」のサイズは直径1nm〜100nmの粒子(コロイド粒子という)で、この大きさの粒子が液体中に均一に分散したものをコロイド溶液(液体コロイド)というらしい。

 

身近なコロイド溶液というと、たとえば牛乳がそうで、牛乳は脂肪の粒子が水に分散したもののことである。マヨネーズもコロイド溶液である。

 

 もう少し厳密な定義も書いておこうと思う。あるものが「分散している」というときに、分散させている方を分散媒(disperse medium)、分散している方を分散質(dispersoid)という。だからコロイド粒子は分散質ということになる。一般に、ある物質中に他の粒子が均一に分散している状態を分散系といい、この粒子のサイズが100nm程度以下の場合をコロイドと呼んでいる。だからコロイドは分散系の一つという関係になっている。

 

 こちらの厳密な定義をもとに、「牛乳」を再度とらえなおすと、牛乳とは分散媒が液体(水)で分散質も液体(脂肪)の分散系ということになる。分散媒や分散質は気体や液体であることもあり、気体ー液体の組み合わせや、固体ー液体、固体ー固体などの組み合わせもあるが、気体ー気体という組み合わせだけは存在しない。ちなみにスポンジは分散媒が固体(私たちがふだん「スポンジ」だと思っている本体の方)で分散質が気体(空気)ということになるし、であれば分散媒は気体(大気)、分散質は液体(水)という風に考えることができる。

 

こういう風に考えると身近なところにコロイドは広がっているということに気づかされる。何も観念的な机上の空論ではなくて、現実の一部として成立しているものだ。

 

 このコロイド溶液のうち、流動性(流体の流れやすさ。粘度の逆数で測る。)をもったものをゾルといい、3.11以降、原発事故関連のニュースでときおり目にするようになったエアロゾル*1もこの一種である。そして流動性を失った半固体状のコロイド(←大きいものと小さいものの混じった状態!)をゲルといい、ゆで卵、豆腐、寒天、こんにゃくなどがある。これは高温ではゾルの状態だが、冷やしていくとゼリー状になって固まってしまうことで生じる。そうすると、ゾル(高温)の方が濃度は小さく、ゲル(低温)の方が濃度が大きいということになる。

 

 どうしてこういうことを記事で書いているかというと、このコロイドというのが自分にどう関係してくるかということを考えたときに、ブラウン運動(Brownian motion)と関わるということを知り、興味をもったことがきっかけであった。

 

ブラウン運動のシミュレーション。Wikipediaより引用)

 このブラウン運動は、もとは物理化学の言葉であるが、金融工学の分野で、資産市場における株価の変動パターンを確率過程で記述する場合に一般的に用いられる。もっとも金融工学ブラウン運動を学ぶときには、確率過程の数学的に厳密なモデルというところを重視して、ウィーナー過程(Wiener process)として学ぶことが一般的である。ウィーナー過程も正規分布にしたがうという条件がある。

 

 私は学部にいた頃に、金融工学の授業でブラウン運動の形式的な定義を知った。またそれとは別に、コーヒーにミルクを注いだ場合に、ミルクがランダムに拡がっていく様子はブラウン運動で表すことができるということを何かの本で読んで知った。この定義をもとに「カフェオレ」を考え直してみると、カフェオレとはブラウン運動の行き着く「最終地点」(注がれたミルクがコーヒー全体に行き渡った状態)という風に捉えることもできる。それと株価の変動が同じ概念で理解できるということに、当時学生だった私は面白さを感じた。

 

 さて話を戻そう。コロイドである。コロイド粒子を取り囲むように散らばっている分散媒分子(コロイド粒子にとっては「環境」ともいえる)が、各瞬間ごとに不規則(ランダム)にぶつかり合う結果、コロイド粒子はあちこちにジグザグに動き回ることになる。これは日常的な例で考えるならば、自分の意思とは関係なく、人混みの中で周りの色々な人にぶつかって自分があっちこっちに流されてしまうようなもので、このときのコロイド粒子の動き方がブラウン運動になっているとされる。

 

 高校の化学のテキストを読み進めると、コロイド粒子のブラウン運動の観察から、

①不規則・半永久的であること

②高温であればあるほど活発に運動すること

③コロイド粒子が小さいほど運動は活発で、コロイド粒子がある程度以上の大きさになるとブラウン運動は止まってしまうこと

④分散媒の粘性が小さい(したがって流動性が大きい)ほど活発であること

などがわかり、この運動は分散媒分子の熱運動に関係して起きる現象だということがわかったという経緯があるらしい。

 

 色々なものが混じってある種の運動をしているときに、運動を起こしているそれぞれのものを見ていくと、粒の大きさが揃っているとは限らない。むしろそろっていないことの場合の方が、私たちにとっては切実な現象として目の前に現れてくるというところがあるように感じる。大きいものと小さいものが混じった状態で運動しているとき、どういう特徴があるのかということについて、コロイドというのをひとつとっかかりとして考えてみると、何か面白いことがわかるのではないかと思ったりする。

  

 そこで参考になりそうなのが、コロイドを扱う「界面化学」(interface and colloid science)である。洗剤のパッケージの裏を見ると「界面活性剤」と書かれてある。界面活性剤のはたらきは、極性物質と非極性物質とをうまく混ぜてなじませたり、表面張力を弱めたりすることにある。洗剤の場合は汚れを水になじませることで、衣服から汚れを落とすことができる。それでは社会の中には界面科学の概念を使うとうまく説明できるような現象は存在していないだろうか。そんなことが気になり始めた。以前からシャンプーや洗剤の成分に関心があった私としては、思わぬところで自分の問題意識と結びついた感じである。

 

 社会科学の中で「主体」が扱われる場合にはそれらは互いに対称的なものである。対称的ということは、置き換え可能というふうに言い換えてもいい。マニュアル化さえすれば誰でもできる仕事をこなす人、そんなイメージである。しかし主体は非対称である場合もある。いや、むしろ非対称であることによって生じる現象というのが少なくないのではないかとすら思う。そういう非対称な主体を扱うモデルを見たことはほとんどなかった。経済学の中で情報の非対称性というのがある。それが原因でモラルハザードや逆選抜などが生じるということが指摘される。しかしもっと他のことも考えられないだろうか。その辺りが気にかかるのである。社会の中では主体は対称的でなく、非対称性をもって分かれている場合に、界面化学的な視点というのをもつと見えてくるものがあるのではないか、と。粒がふぞろいなときに、そこで相互作用が起きるとどんな挙動を見せるのか。 

 

 自然科学の分野の体系なり概念なりを社会科学の分野に適用するときには注意が必要であり、誤ったアナロジーによってナンセンスな議論になることも少なくない。ソーカル事件以降も、こうしたアナロジーの誤りは未だに後を絶たない。しかし一方で、自然科学の分野の考え方が社会科学の分野に浸透してきていることも事実であって、それによって議論が進むということも往々にしてある。私としては、自分の考察もそうした流れになるといいなあと思っている。

 

 まだ考察は始まったばかりだけれども、丁寧に考察を続けていきたい。

 

 

 

*1:気体の中に微粒子がたくさん浮かんだ物質花粉の混じった空気など。