自分の中のある部分

自分の中に、「ここは変えなければ駄目だ」と思う部分がいくつかある。そこが変わらないままであったら、たぶんいつまで経っても、自分が望む、世の中のある種の人間たちとはうまく付き合い続けることができないんだろうなと思わせるような、そういう部分が。

それは欠点のように見える。それでもそれを受け入れてくれる人間はいる。数は少ないけれども、いる。それはありがたい。

でもその一方で、「それでいいのか。変えなくていいのか。」と思う気持ちもある。そういう部分というのは、簡単には変わらないこともわかっている。それは時間が経てば経つほど、変えることの難しさがひしひしと伝わってくる。

世界はつながっているのかどうか、今の自分には納得のいく答えが出せないけれども、とりあえず今のままの自分ではいつまで経ってもアクセスできない領域、触れ合うことすらないままの人々がいることははっきりとわかる。「ああ、自分はおそらく、これから先も、ああいうタイプの人間たちと交わることはないんだろうな。」と感じずにはいられないような人々。

そういう人々が、自分の気に入らないタイプだったならば、よかっただろう。何もひっかかるものはない。心の中に何かが残り続けるというようなこともなかったんだろう。


けれども実際には、残念ながらそうではない。


そういう人々は、「その人々に認められることで初めて、自分は一人前の人間だと感じられる様なタイプ」の人々なんじゃないかという、そんな気がして落ち着かない。裏返して言えば、そういう人々に受け入れられるまでは、いつまで経っても、どれだけ歳を重ねて、どれだけ経験値が増えても、自分の心はどこか満たされないままで、いつも欠乏感に苛まれるんだろう、そう感じられてならない。

そういう人々に認めてもらえるような人間に、自分はなれるんだろうか。一時期は交差することはあっても、結局は離れてしまう、そういう人々に。小さい頃からずうっと、今になるまでずうっと、失敗し続けている。

そういう人々は、表向きは自分を認めてくれているように思える。でもギリギリのところに踏み込むと、拒絶される。ハッキリしたラインがあって、そこから先へはいつまで経っても進めない。いつまで経っても、線の向こう側には行けないままだ。

帰路に立たされているのかもしれない。自分の中のそういう部分を受け入れてくれる人々との間だけで生きていくのか、それとも…。