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素の自分のこと

年末ということで、「自分のこと」について、今年だけでなく、これまでのことを振り返り、思ったこと、感じたことを書いてみようと思います。(←ここに「考えたこと」が入っていないというところがミソです。笑)

 なんだか近頃、生活について、「等身大のストーリー」というか、「正直なところ、本当のところどうなの?無理してない素のあなたはどう思ってるの?」っていうところを綴ったストーリーに触れることが少なくなったように思います。(この話の軸はこのところ流行りの「Facebookはもう限界だ」というところにあるのではありません。)

周りを見ていると、文章として具体的に投稿されていることもあれば、ただ単に心の声的に聞こえてくる・伝わってくるメッセージみたいなものがあふれています。

もう資本主義は限界だ」とか

「ITはこれからが面白くなる」とか

「お金より大事なものがある」とか

「これからは日本の時代だ」とか。

 

 Facebookでは今日もいろんな人たちががんばって背伸びと自慢、見せびらかし、ナルシシズムの応酬を続けていて、「正直これいつまで続くの?そろそろ限界なんじゃない、こういう『オンライン版の鹿鳴館』みたいなこと。」なんて思ってます、ぶっちゃけて言うと。

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 翻って自分のことを思い返してみると、大学生になると同時に東京に出てきてからもう数年が経ちました。

地方出身で、地元には面白さや刺激を感じられなくて、いろいろな人が集まっていて、変化のスピードも速い東京に期待して上京してきた・・・そんな典型的なパターンに僕は当てはまります。そしていまだにその考えは変わっていません。地元に戻ろうという気にはなれません。

 

僕の家族は決して裕福ではありません。そのことでこれまでに何度となく母と衝突してきましたし、授業料の高い私立大学に入ったために僕には返済の大変な奨学金がのしかかっています。そしてそれにも拘わらず、僕は今、25歳という歳で「フリーター」です。

 

「他人に流されず、いつも自分のペースを保って前に進み続けている」

そんな評価を僕はよく受けるのですが、内心は他人の目を気にせずには生きていけないのです。本当の自分は、そんなもんです。別に特別でもなんでもなく、ただ少し「演出」がうまいだけなんだと自分では思ってます。

(…なんだか近頃すごく売れた「あの本」とテイストがかぶってきました。どうしよう、まあいいや。笑) 

 

自分の価値観を自分のバックグラウンドで説明しようというわけではありませんが、それでもやっぱり正直に言って、Facebookでの色々な人々の投稿を見ていると、「なんて贅沢な暮らしを送っているんだろう」と思わせられることが少なくありません。

 

特に若くして贅沢を知ってしまった、或いは既にもうそれにどっぷり浸かって慣れきっている人たちは、正直考え方がどこか歪んでしまっているように思えることがしょっちゅうです。周りもそれを評価するならなおさらです。若いうちはそれで有頂天にもなるでしょう。もとより僕が言えたことではないかもしれませんが。笑

「ああ、若くして成功することが必ずしも悪いというわけではないけど、『器に合わない成功』なんて結局それはそもそも『成功』ですらないよなあ。」と。

 

先日僕はやや久々に、これまでに色々な人から言われ続けてきたあるセリフを、また言われることになりました。

 

「面白くない。」

 

僕は小学生のころから、誰かと話すよりも多くの時間を読書や一人でものを考えることに使ってきました。そのせいか、「頭でっかち」「面白みがない」などとよく言われてきたし、僕の数多くのコンプレックスの中には相変わらず、

「いわゆる男性的なノリについていけないし、一般的な男性が面白いと思うようなことがわからない・そういうことを言えない」

 

というのがあります。感傷的な気分になっているというわけではなく、単なる事実として書くのですが、僕は小さいころから誰かと遊びに行くことは他の人に比べてずっと少ないし、そもそも遊び方を知りません。飲みに行くこともありません。そして何よりも中学、高校、大学を通じて、卒業後も関係が続くということがほとんどありません。そしてそのこともまたコンプレックスのひとつです。

 

僕は思えばコンプレックスの塊です。

 

「コンプレックスの塊ということを誰かに言うこと」にさえ、それを言ってしまった後の展開をあれこれ予測してコンプレックスを感じます。笑

 

 「頭いいね」とか「すごいね」と言われれば、「ああ、こうしてまた自分の感情面はほったらかしにされるんだろう。それどころか自分にそんな感情的な側面があることすらこの人は気付かないで「頭」だけを見続けるんだろう。自分もまた一人の人間に過ぎないということをすっかり忘れてしまうんだろう。」と思うこともしょっちゅうです。

 

“誰にだって感情はある。どれだけ表面的には冷静に見える人間にも感情はある。”

 

わざわざ言わないだけです。「子どもならまだしも、もう大学生なら、20年30年40年50年、生きてきたなら、それくらいのことはそれぞれの人生の道のどこかで通って知ってることでしょ?」と思うから。

 

僕はこれからも自分の数多くのコンプレックスと付き合い続けるでしょう。

それは今後さらに増えるかもしれないし、減るかもしれないし、

ある日フッと全て嘘みたいに消えてしまうかもしれないし、

押しつぶされてしまうかもしれないし、

実はコンプレックスなんて初めからなかったと思うのかもしれません。

 

僕は誰よりも「僕自身」と付き合っていかなければならない。

どんなに駄目なやつに思えても。

 

東京で生活していると、次から次へ、入れ替わり立ち代わり、現れては通り過ぎていく起業家、ネットワーク・ビジネスの人、詐欺の人、意識高い系の人、「成功者」などなど・・・。色で言うならビビッド・カラーの、人目を引く人たち。

 

いろんな人に会いました。それでも僕の結論は変わりませんでした。

 

 

「全員が達成できるわけではなく、一部の人だけが達成できるから意味のあること」を「高い価値」として認め、自らの行動原理として採用する気にはなれない。

結局僕はカントの定言命法、「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」に賛成なわけです。

 

こんな言葉を持ち出すとまた、「また難しい言葉を使うね~」とかいろいろ思われるだろうとか、そういうことも考えます。それでもやっぱりこれは変わらない。

 

 「自分の軸」「主体性」ということがよく言われる中、「そんなもの本当にあるの?なきゃいけないの?それは過去の誰かが言ったことで、それに従ってる時点で自己矛盾じゃないの?」なんて思ったりもするのですが、どうやら僕にもそういうものはあるみたいです。それは僕自身が経験的に導き出したことであると同時に、上述のようにカントが既に言ってくれていることでもあります。

 

いつになく、随分ととりとめのない文章になりましたが、2013年、そして僕の「これまで」と「これから」が薄ぼんやりとでもまとめられたかなと思います。

 

それではみなさん、よいお年を!