body論

 今日はホワイトデーだ。バイトへ行く前に渋谷のヒカリエに寄るのを忘れないようにしなければ…。

 さて、世の中には「どうにもならないこと」というのが確実にある。どうにもならないことを無視して、自分に都合のいいように物事を運ぼうとしても、それはうまくいかないものだ。けれどもそういうことは、なかなか理解されないままになっていることも少なくない。

 例えば、自分の言い分は聞いてもらいながら、相手の言い分には耳を貸さないという人がいる。世の中は基本的にはgive and takeで回っているのだから、これでは自分の言い分が聞いてもらえないのは当然だろう。give and takeというのはネガティブな評価をされることも多いけれども、私はそれほどネガティブには捉えていない。等価交換は公正さ(fairness)を示すものだし、giveに対してtakeが伴うからこそ、人間の社会は存続することができたのだ。もしも一方から他方へ与えるばかりであったなら、社会はとうに破綻していたのではないだろうか。人間の世界には見返りを求めない「愛」という価値も存在するのだということを強調する芸術作品は後を絶たないけれども、例えば親から子へのgiveは、子から老後の親へのgiveだとか、子供の存在自体というgiveだとか、或いは子が贏ち得た成果という形で親へgiveされているという場合が多い。純粋なgiveを示すものとして「贈与」があるが、これも贈与する側は何も受け取っていないかというと微妙なもので、贈与することによって大きな満足感や喜びを得ているということもある。ただ金銭や物品という形では何も受け取っていないだけのことだ。

 どうにもならないことがあるのだということをちゃんと理解するために、色々な本を読むとか、色々な人と話をするとか、そういう方法もあるけれども、ここにもう一つ加えたい方法がある。それは「自分の体(body)について考える」ということだ。

 どんな人の体も、それが人間である以上、ある程度は共通する特徴を備えている。善人の体も悪人の体も同じだ。定期的に髪や爪は切らなければならないし、汗をかいたままにすれば風邪をひきやすいし、歯を磨かなければ虫歯になったり歯周病になったりする。どんな犯罪者であろうと、或いは総理大臣や大富豪であろうと、生理学で言われていることからは逃れようがない。どんな人の体であれ、体は常に正直なものだ。なぜなら体自体は私たちの意識ほどには嘘をつけないからだ。もちろん体が「勘違い」をして暴走するということもないわけではない。そういう暴走の結果として引き起こされる疾患も色々ある。けれども、暴走にしたって、暴走のパターンというものが確かにあって、そのパターンからはやはり逃れられない。そういうものだ。

 体に目を向け、体の声に耳をすませていれば、無理はできないということ、法則から外れたことはできないということが、それこそ身に沁みてわかるだろう。本を読んだり、人から話を聞いただけでは、人は変われない場合もある。「頭ではわかっているけれども、納得がいかない」とか「どうも腑に落ちない」といって。そういう人でも、体の反応には反論のしようがない。癌になるリスクを高める行動を取り続けてきた人が癌になったなら、それはある程度はその人自身の責任だ。医者がその人に「あなたの責任です」とまで言うかはわからないけれども、もし言われたならば、その人は反論のしようもないだろう。色々な本や人の話には反論してきた人であっても、体の正直な反応、素直な反応に対しては、正直に、素直になるしかない。そういうものだ。たとえその人と同じような生活スタイルをとっていながら、癌にかからなかった人が大勢いるとしても、やっぱりそれはそういうものなのだ。受け入れるしかない。

 体の反応というのは、ごく個人的なものだ。けれどもそれにちゃんと向き合い、どうにもならないことの、その「どうにもならなさ」を知っている人は、他者と関わる時にも一定の原則から外れるようなことはしないようになるのではないだろうか。もちろんこれにはある程度の深い反省が求められる。自分の身に起こることを、単に自分だけのことと考えているうちは、他者との関係にそれを応用することなどできないままだろう。けれども「どうにもならないことに対しては、自分は謙虚に、或いは素直になるしかない」と納得することができたならば、他者と関わる時にも無茶なことをしなくなるのではないだろうか。

 バランスのいい食事と、規則正しい生活、それと適度な運動。この3つを守ることを通して、無茶なことはしない人間であり続けたいものだなあ。

 

「意識が高いか低いか」なんて考えるだけ時間の無駄じゃないかと思う

トピック「意識高い」について

 

 私がまだ学生だった頃、「意識高い系」スイーツ(笑)の二つをネット上や大学のキャンパス内、あるいはスタバでの会話や電車の中での会話など、いろいろな場所で耳にした。私は福岡県出身だが、地元ではどうも物足りなさのようなものを感じ、浪人して東京に出てきた、典型的な「お上りさん」の一人だろう。国立大を目指しながらも、センター試験で失敗して私大に入り、文系だったこともあって、大学でも周りは勉強しない人たちばかりだった。いや、している人はいたけれども、テストで良い評価を得るためとか、就職で必要だからとか、そういうことが理由で、それは否定しないけれども、そういうモチベーションで勉強している場合は、どうしても「上限」がある程度決まってきてしまって、「もっと上」とか「さらに先」を考えたりはしない。必要な水準を満たせばそれでよしという感じだ。まあそういうのが生きていく上でスマートなやり方なんだろう。そういうわけで、私はこっちへ来てからもある種の「物足りなさ」の感覚は消えなかった。そんな私は、はっきりと他者から言われたことこそないけれども、「意識高い系」というカテゴリに入る人間なのかもしれない。これまでを振り返ってみて、あるいは現在でも、周りの人々よりも自分の方が求める水準が高いという感覚はある。以前に比べれば少しは対処の仕方を覚えたけれども、自分と周囲との期待水準のギャップで苛立ちを感じることは未だにある。

 しかし、そうだとしても、私はこの「意識高い系」問題については、当初から一貫してある姿勢を持ち続けている。それは、「そんなの気にしてもしょうがない」ということだ。「意識高い系」問題で検討する余地があることといえば、それによって周りの人々に要らぬ迷惑や不快感を与える場合があるかどうかということくらいだと思っている。もしそういう場合があるとしても、意識高い系について何か発言をしている人たちの中に、それに対する有効な対処法を提示している人などいない。たいていは不快感や皮肉を示す内容ばかりだ。そういうものに付き合っていても、はっきり言って時間と労力の無駄だ。だから自分で反省して、「これは直すべきだな」と思ったところは直していけばいいだけのことではないだろうか。

 社会の中に生きる人々について、草食系とか意識高い系とかノマドとか悟り世代だとか、何かしらのラベルを貼って議論を展開するというのは以前からずっとあるが、どうもどれもこれも胡散臭い気しかしない。まともに関わっていても何かえるものがあるとは思えない。それならば蘇我氏の興亡についての本を読むとか、『7つの習慣』は本当にまともなのかについて検討するとか、そういうことに時間をかけたいと思う。

 

 変な議論に時間を取られている暇があったら、自分が気になることに打ち込んだり、改善すべきところはないか反省したりする方がよほど建設的だ。端的に言って、「意識高い系がめんどくさい」とか、「意識高い系を馬鹿にしてはいけない」とか、そういう類の議論に私は生産性を感じない。暇なの?

階段

 両脇には壁も手すりもなにもない、終わりの見えない階段がある。その階段の上にいるのは私だけであって、辺りを見回すと、私の見知った人や、見知らぬ人びとが、それぞれに階段を上ったり下りたり、目を瞑って階段の脇へジャンプして、底の見えない遥か下の方へ落ちていったりしている。

 私は私の階段の上で、上を目指して上り続けるということを止めてしまい、ずっとうずくまったままでいる。私はいつになれば立ち上がり、また階段を上り始めるのか、わからないまま、階段は下の方から少しずつ崩れてきている。モタモタしていたら、やがて私の足元の階段もやがて崩れて、私も遥か下に落ちていってしまうだろう。

 そういえば昔、誰かにこんなことを聞かれたことがある。階段を上りきったら、その頂上にはドアがあって、そのドアを開けると、実は遥か下の暗闇とつながっている。私たちの誰一人として、遥か下の暗闇へ行かずに済む者はいない。それならばなぜ、わざわざ階段を上り続ける必要があるのかと。

 他の人びとよりもずっと歩みの早い者や、スタートを切るのが早かった者、運良く階段の段数をスキップして飛ばした者のいくらかは、まだ自分たちよりもずっと下の方から、それぞれ自分用の階段を上ってくる他の者たちにこう言う。

「階段の上の方はすばらしい景色が広がっている。あなたたちもきっと、ここまでやってこられるはずだ。」

 階段を上るのをやめた者もいる。実はもっと上まで段は続いているのに、それは透明だから、本人には見えておらず、彼・彼女はもう、自分は上りつめたと心の底から信じきっている。或いは、実は上にはまだまだ段が続いていることを知っていながら、そんな段などないし、私はもう疲れたからこの辺でいいだろうとまくし立てる者もいる。

 階段は一人一人、別々になっているものの、階段の姿形や色、その勾配などは似通っているものも少なくない。初めはそれぞれ全く違っていた階段は、その上を歩く者が上へ上へと歩みを進めるにしたがって、次第に他の者の階段と似通ってくるのだ。

 また、自分用の階段のすぐ隣に、並行して続いている別の階段があり、自分と同じ速さでそちらの階段を上り続ける者もいる。それは大抵は二人であったり、数人であったりするけれども、時にはもっと多くの階段が一列に横に並んでいることもある。

 並んでいる階段の数が、二つであったり十を超えないくらいの数の時には、その上を歩く人びとは同じペースで上り続けることが多い。けれども並んでいる階段の数が数十、数百ともなると、一見ペースが揃っているけれども、皆が全力で上へ駆け上がっていく。皆が全力であるがために、その全力のペースゆえに、横並びになっている。

 私は、今もうずくまっている。立ち上がらなければならないという声が、私の内側から聞こえてくる。誰かにそう言われているような気がする。本当は誰も、そんなことは言っていないにも拘らず、私は皆からそう言われているような気がする。

 階段の脇には、そのまままっすぐ上と下へ向かって暗闇が広がっている。よろめいたり、少しジャンプをしたりすれば、私はその暗闇の中に音もなくすうっと飲み込まれて、もしかしたら誰も気がつかないままかもしれない。しかし私はまだ、階段の上にいる。上ってはいないけれども、よろめいて踏み外したり、あるいはジャンプすることもなく、階段の上にいる。

 時々暗闇に吸い込まれた者の話を耳にする。そのほとんどは私の知らない誰かであって、しかし私はなぜか、階段を上り続ける私の知り合いの人びとよりも、顔も名前も知らない、やりとりを交わしたこともない、そしてもう交わすこともできない、暗闇へ飲み込まれた人びとの方に、親しみを覚えるような思いがする。

 暗闇を遠ざけようとしながらも、私は今は、暗闇に随分近いところにいるのかもしれない。階段の下の段は、比較的はっきり見ることができるが、私の上に続く段の方は、一段先すらよく見えない。

 階段は、エスカレーターでもない。ましてやエレベーターでもない。足を使って上るしかない。せめてそれが、私の好きな螺旋階段であってほしいなあと思う。

 

 

 

私と母の仕事に対する考え方をめぐって

 先日久々に母と電話をした。話し出すといつも長くなってしまい、だいたい2時間くらいはすぐに過ぎていって、長い時には4時間近く話していることもある。よくもまあ飽きずにこれだけ話が続くものだと自分でも思う。

 その電話の中で、仕事について近頃考えていること、感じていることなどをいろいろ話した。こういうところは妥協することはできないとか、こういうところは認めるとか認めないとか、だいたいは倫理観に関することで、夜も遅かったので一通り話し終わると電話を切って眠った。

 翌朝母からメールが来ていて、「仕事に対する考え方が自分と似ている」と書かれていた。似ているのは親子だからなのか、どちらも神経質なところがあるからなのか、或いは母と私とで置かれている環境が似通っているということなのか、要因ははっきりしないけれども、私はそれが妙に気になった。

 母は、今の私と同じ年の頃には、もうすでに働き始めて数年が経ったというところで、母は高校を卒業するとすぐに就職し、大学へは行っていない。一方で私は、一浪して大学へ進み、大学院を目指したが受験に失敗し続け、今は個別指導の塾でアルバイトをして生活しているフリーターだ。こうして書き記してみると、母と私の通ってきた道は随分と違っているように思える。

 母は読書が好きで、本から何かを学ぶということのできる人間であるが、私は母よりも随分たくさんの本を読んできた。だから読書の経験でも私と母とでは違っているように思える。もちろんたくさん読んできたからといって、私が母よりも多くのことを学ぶことができたかどうかはわからない。どれほど多くの本を読もうとも、一冊一冊の読書経験が薄っぺらであったなら、やはり学びは少ないということになる。

 母はどうか知らないけれども、私はあまり本を読み返すということをしない人間だ。ごく一部の本は読み返すけれども、大抵の本は一度読まれるとそのまま読み返されないまま、しかし捨てられたり売られたりすることもあまりないまま、どこかに眠り続けるという運命をたどる。それは一つには、一度読むとその内容を割と覚えてしまうから、再び読もうという気になれない(「一度頭に入れたのにどうして同じことをもう一度繰り返すのか」という気分が私の中にある)からだろう。そのため、仮に読み返す場合にも、初めに読みきって随分してからになることがほとんどだ。

 専門知識の類いであれば、私は母よりもいくらかは多く知っている自負が持てるけれども、人間や人生についてのものの見方、考え方については、母が母なりに学んできたのとそう変わらないのかもしれない。どんな経験をしたり、どんな本を読もうとも、それについて本人が深く考えるということによって、そこから受け取れるものの質は決まってしまうということなのだろう。

 本を読んで、自分の経験からも学び、また自分の周りにいる人間たちの経験にも耳を傾け目をこらし、より多くのことを学ぼうと意識してきたつもりが、まだまだ私も浅学であって、学んだ気になっているだけのことがまだまだたくさんあるんだろう。そんなことを感じた。

 母は理科系の科目は駄目らしいけれども、自分はそうでもない。いや、正確に言えば、私も高校時代は文系だったけれども、大学に入って経済学を学ぶにつれて、経済学のモデルを記述するのに使われている数学を学ぶにつれて、徐々に数学それ自体に対する興味が湧いてきたり、コンピュータに対する興味から専門書を読み続けるうちに理科系のノンフィクションをよく読むようになったりして、文理系という感じに変わってきた。とはいえ出発点が文系だったから、まだまだ「理系」と呼べるには不十分な数学力である。それでも科学や数学を学び続けることを通して、まだ母が学びきれていないことをも学ぶことができれば、私も母から生まれてきた意義があったと少しは自信がもてるのかもしれない。

バッタと蛇

 バッタはどんどん跳ねる。ひとっ飛びであっちやこっちまで行ける。

   それに対して蛇は、地上を這い、一気に隔たったところまで進むということはできない。

   私自身はバッタの側か蛇の側かどちらだろうと、ふとそんなことを考えた。 

 誰かと話していて、「◯◯くんは論理的だね。」と言われることがある。他者が自分に対して「論理的」(logical)と評価する場合、その人自身が論理的でない場合には注意が必要だと私は思っている。「論理的」という言葉を、「頭がいい」とか「理屈っぽい」と一緒くたにして使っている場合が少なくないからだ。少なくとも自分のイメージする「論理的」という言葉の意味とは違うイメージで使っている場合が多い。

 一方、相手が論理的である場合には、「論理的」という評価は妥当なものと受け取ってよいと考えられる。…と、まあこういうことを考えている時点で、自分は論理的な考え方の人間なのかもしれない。しかし、ことはそう単純でもない。

 「論理的」というとき、私にとってそれは一歩ずつ着実に積み重なるもの、鎖のように、ある輪と別の輪が一つずつ繋がって連なっているものというイメージで捉えられる。aだからb。bだからc。cと、それからここでdが加わるからeという風に、どこからどこへ進むときにも、決して無理なところがない。誰が見ても一目瞭然、どう見たってそうきたらそうとしか考えられない。そういう風にあることと別のあることをつなぐとき、それが「論理的」であると。

 それはまるで、決してジャンプすることのない蛇のごとく進む。地を這うように、着実に。一挙に遠くに行くことはできなくても、大きな失敗はない。一歩ずつ進みながら、間違った道を選ぶことのないように、慎重に進んでいくことができる。共感者も少なくない。

 先ほど「そう単純ではない」と書いたのは、数学の問題を解いていたときに感じたことがきっかけで、数学というのは確かに論理の学問だけれども、私が答えを考えているときには、一旦ゴールまで一気に飛んで、後からゴールとスタートの間が埋まっていく。それは蛇の側でなく、バッタの側の感覚で、草むらのここから、あそこまで、ひとっ飛びで飛び越え、そうして飛び越えてしまったその後で、自分が飛び越えたその距離を振り返り、そこに何があったのかを後から見つける、そういう仕方で考えているようなところがある。バッタは自分の体の数十倍もの距離を一度に飛び進むことができる。

 バッタも蛇も、今地球上に生き残っている。生き残っているということは、それぞれがそれぞれなりに、環境の変化に適応し続けることに成功してきた証だろう。だから、ジャンプすることと地を這うことのどちらが生存に有利であるかは、自然界では優劣がつけがたいということなのだろう。

 そしてまた、そんなバッタや蛇を上空から見下ろす鳥たちもいるし、バッタと蛇とは無縁に暮らす貝や魚たちもいるし、或いはこうして、「私はどっちなんだろう」などと考えあぐねている私のような人間もいる。こうした動物たちが酸素を吸って生きられる環境を作っている植物たちもいる。どれがいいというわけでもなく、どれも今の地球で生き残っている点では対等なのであって、それがまた多様性(diversity)ということでもあって、私たち人間は、その多様性の中で、バッタのようにひとっ飛びに飛躍する頭のはたらきを「想像力」とか「イノベーション」と呼んだりしている。

 それらは、単にバッタ的であるだけでは後世にまで引き継がれず、蛇的に、隙のないロジックで間を埋められなければ、広がってはゆけないというところもある。

 ただし蛇は、立体的な動きのできない蛇の場合には、視力がかなり弱いらしい。ものが見えないというのは私は嫌なので、やっぱりバッタの方がいいのかなあ。

鎌倉時代の公務員(御家人)たちのモチベーション

 塾講師の仕事柄、参考書*1で日本史の勉強をしていたら、鎌倉時代(特に元寇の後)から室町時代にかけての御家人は貧しくて大変だったということが書かれていた。最近「モチベーション」という言葉の使われ方がおかしいと思っていたこともあって、この言葉に敏感になっている。そんな中でこの『超速日本史』*2を読んだせいか、鎌倉時代の御家人たちの仕事はどんなモチベーションによって成り立っていたんだろうということが気になった。

 元寇が起こった辺りからの鎌倉幕府の御家人たちの暮らしぶりをみると、「公務員は安泰だから」と多くの人間が公務員を目指す今とは随分違うことがわかる。当時はあまりに大変だったので、鎌倉幕府が滅んだ(1333年)後に即位した後醍醐天皇が、建武の新政永仁の徳政令を出し、御家人の借金を帳消しにすることを発表したほどだ。

 どうして御家人が貧しくなったかといえば、元寇のときの食費や生活費が全部自費出費で、幕府からいくらかの補助金が支給されるという様なことはなく、しかも元寇では「神風」(という名の台風)のおかげで助かっただけだから、御家人たちの成果ではないということで、元寇の後に幕府から恩賞が与えられるということもなかったからだ。これでは自費出費分だけ損をしただけだから、貧しくなるのは当然だ。

 しかも永仁の徳政令では、借金帳消しで御家人を救おうとしたところが、自分がこれから貸す金も帳消しにされるんじゃないかという金貸しの側の不信を買い、御家人は金が借りられなくなって却って更に貧しくなるという皮肉な結果に終わっている。

 当時の幕府の徴税能力(ability)は、徴税機構(system)を考えればそれほど高くはなかっただろうと推察される。そもそも、徴税の基盤である土地の所有関係が、武家の側にあるのか公家や貴族の側にあるのかもはっきりしないような状態で、地方には武家の側から「守護」、公家の側からは「国司」という形で人が置かれ、各地にはそれぞれトップが二人いるという不思議な状況も重なって、幕府へ入ってくる税収はそれほど多くなかったと思われる。

 また税収の基本が「土地」(から取れる農産物)であって「お金」ではないということもある。土地からとれたものを税金として支払うというのは、租庸調の導入を行った飛鳥時代にまで遡り、この辺のことが「日本は農業の国」だとか「日本は百姓の国」というようなイメージを現代に至るまで残り続けていることの要因にもなっているように思える。

 後醍醐天皇の失策はいくつかあるけれども、御家人の反感を買った要因には当時の給与が十分な水準ではなかったということが大きいのでは無いかと思ったりもする。

 少し前にダニエル・ピンクの『モチベーション3.0』*3の文庫版が出たので、買って読んだ。人類はこれまでに二つのモチベーションの変化を経験しているという。まだ人類が登場したばかりの頃には生存本能というモチベーション(モチベーション1.0)が基本であって、やがて社会が発展してくるとアメとムチの「アメ」、つまり様々な形の「ほうび」がモチベーション(モチベーション2.0)になったとピンクは述べる。そして著作の中では、これからはモチベーション3.0、つまり個々人の内発的な動機付けによって組織が動いていく時代だという風に論が進んでいく。既にそういうモチベーションによって社員が動いている企業はいくらでもあるといって、色々な企業が例に出てくる。

 室町時代の公務員たる御家人たちは、どんなモチベーションによって動いていたのだろうか。鎌倉時代のシステムは、土地をほうびとして利用した「モチベーション2.0」的なシステムだった。将軍が御家人に土地(本領安堵新恩給与)を与える代わりに、御家人は忠誠を誓って仕事(京都大番役、鎌倉番役、軍役)をする。この御恩と奉公の関係は「モチベーション2.0」的システムのわかりやすい例だ。その鎌倉時代の後半に、武家の法律として御成敗式目が出ているが、これはおそらく、御家人それぞれの内面に刻み込まれた「規範」(moral)、或いは「規律」(discipline)というようなものではなく、あくまで外から与えられる「ルール」という位置付けで捉えた方がいいのだろう。

 室町時代になって観応の擾乱が起こったが、その頃に守護の権限が拡大した。荘園や公領でとれた米の半分を守護たちに軍事費として与えるという半済令が出ている。これは守護の権限の拡大につながり、このころから守護は「守護大名」と呼ばれるようになる。単に土地を与えられるだけでなく、裁量も増えたら、当時の守護に限らずたいていの人は満足するだろう。

 武家の人間の間で、内発的な規範意識が生まれ、それが継承されるようになるのは、まだ先の話だ。この時代にはまだ、「武士道」は十分に浸透していない。内発的な規範意識をもたない人間を管理していくには、ほうびを与えるのが一番だというのが、日本に限らずヨーロッパでもアジアでも歴史でよく見る方法である。

 さて、それでは今の日本の公務員はどういうモチベーションで動いているのだろう。もちろん個人によって様々だろうし、真面目に働いている公務員の方々を悪く言うつもりは毛頭無いけれども、大学時代の観察では、安泰だからという理由で公務員を目指す人間は少なくなかったというのが正直なところだ。そして、それは公務員志望の人間に限らず、大企業志望の人間にも同様に当てはまるように思われた。

 私は今はもう大学にいないから、就活生の様子がわからないけれども、大企業に安定を求める人間は今でも少なくないだろうと思う。私自身もまたそういう人々とそれほど違っていない。大学院への進学を諦め、就職しようと決意した時、既に社会人として数年働き、稼いできた人たちに大きく遅れをとり、貯金もない現在の我が身を振り返り、少しでも給料の高いところに就職しなければこれからの生活設計ができないと考えた。

 それでは、今の日本人はモチベーション2.0で動いている人間ばかりで、日本経済はお先真っ暗かといえば、案外そうでもないのではないかと思う面もある。日本は残業が多く、先進国の中でも労働時間が長い国としてしばしば否定的に語られるが、残業をしている人々の中には、給料云々でなく、純粋に仕事が楽しいからという理由でたくさんの時間働いているという人間もいるのではないかと思うからだ。

 もちろんみんながみんなそういう人間だろうと想定するのは無理があるし、競争環境を考えれば労働の生産性を高めることは理想でも机上の空論でもなく、経済を立て直すための必須要件だ。けれども、モチベーション3.0(内発的なモチベーション)ということを考える時には、あるいは私たちが鎌倉室町時代の公務員たちの姿から何かを学び、数百年分ちゃんと前に進んだと思うのであれば、現在の日本の労働環境に関する幾多の俗説を一旦脇において、「曇りなき眼(まなこ)」*4で事態を観察することがよいのだろうと、そんなことを思った。

 

 

 

武士道 (PHP文庫)

武士道 (PHP文庫)

 

 

「全世界史」講義 I古代・中世編: 教養に効く!人類5000年史

「全世界史」講義 I古代・中世編: 教養に効く!人類5000年史

 
「全世界史」講義 II近世・近現代編:教養に効く! 人類5000年史

「全世界史」講義 II近世・近現代編:教養に効く! 人類5000年史

 

 

 

*1:

超速!最新日本史の流れ―原始から大政奉還まで、2時間で流れをつかむ! (大学受験合格請負シリーズ―超速TACTICS)

超速!最新日本史の流れ―原始から大政奉還まで、2時間で流れをつかむ! (大学受験合格請負シリーズ―超速TACTICS)

 

 

*2:最近出た出口治明さんの『「全世界史」講義Ⅰ古代・中世編・Ⅱ近現代編:教養に効く!人類5000年史』の日本史版という感じの本で、とても読みやすい。大学受験に目的を限定して読むのはもったいなく、社会人になった後に日本の歴史を学びなおす目的でも十分に使える一冊だと思う。

*3:

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか (講談社+α文庫)
 

 

*4:映画『もののけ姫』でのアシタカの言葉。もののけ姫の舞台は室町時代の日本がモデルになっているとされる。

人を測るものさし

 人を測るものさしは、学歴と資格とSNS上の発言と、その他に一体何があるのだろう。ある人がいて、その人は本当はどんな人間なのか、どんな可能性を持っているのか、そういうことを直接確かめることができないから、その痕跡、その印になる様なものを探した結果、今のところは上に挙げたようなものだけが、ものさしになっている。長い間一緒に過ごせば、もっともっと多くの経験が共有されて、その人についてより多くのことがわかるだろう。しかし試験や面接の場合には、試す者と試される者との間に、共有された経験は存在しない。朝井リョウの『何者』の終盤でも、登場人物の一人がそういう趣旨の発言をする。

 少し前までは、そのものさしは、学歴と資格と面接やグループディスカッションでの発言くらいのもので、SNS上の発言がそこに加わるようになったのは最近のことだ。しかもたいていはネガティブな評価につながるということになったから、注意深い者はSNS上の発言を控え、結局その人の人柄を示す痕跡は外部に残らないままになってしまう。それでは、外に残った痕跡をもとにしてその人の内側にあるものを測ろうとする者にとっては、手がかりが増えないままになってしまう。

 以前にこういうことがあった。私があるときに発言したことを、別の人間が別なときに発言し、私の方はほとんどなんの評価もされず、別の人間の方はとても注目されていた。私とその人間の違いは、発言の内容ではなく、経歴だ。私はそのとき、人間というのはこれほどまでに、言葉自体を捉えることができないまま生きているのかと思った。こういう風に書くと、私が周囲から評価されなかったことを嘆く呪詛の言葉としか受け取られないかもしれない。けれども私が言いたいのはそういうことではない。私と同じように、経歴のない多くの人間が、ネット上では経歴がないために過小評価され続けている。「同一労働同一賃金」というならば、「同一表現同一評価」があってもいいのではないか。しかしそれは難しいだろう。なぜならば、ある者の書いたことの価値は、その言葉自体ではなくて、その人の年収や肩書きや、社会的地位によって決まるからだ。

 学歴主義は、ある意味では正しいのかもしれない。というのも、大学に入る時の努力が、その人のそれから先の努力の水準の上限をある程度決めているところがあるからだ。「大学受験の頃の自分が一番頭良かったと思う。」という発言を、電車の中でたまに耳にする。きっと例外はたくさんいるだろう。大学に入った後の方が努力している人間もいるだろう。それならばまだましな方だ。就職活動のときに、大学の成績という形で痕跡が残るからだ。もっともそれもかなり不確かな痕跡でしかない。アインシュタインの学生時代の成績は、彼が得意とする物理や数学の成績でも、上から二番目の評価だった。そんなアインシュタインが、今から100年前に示した「重力波」(gravitational wave)の存在は、つい最近になって観測され、彼が言っていたことは正しかったということになって大きなニュースになった。すでにこれだけ評価されているアインシュタインの示した理論でさえ、観測による裏打ちがなければ、この100年間はずっと机上の空論だった。理論というのは、とりわけ科学の理論というのは、常に理論だけで認められるということはなくて、その外側に「証拠」がなければ評価されない。その理論がいかに論理的に筋の通った一部の隙もないものであろうとも、実験や観測による裏付けがなければ、理論はどこまでいっても机上の空論だ。だから理論は理論だけで独り立ちできない。証拠があって初めて立つ者という意味では、私たち人間と同じく、二本足の存在だ。

 少し前に、東京理科大の過去問の英語でこんな文章があった。ある人物が高校生の頃の数学の先生について回想している文章で、その先生は「知識と理解」(文章では「knowledge and understanding」という表現が使われていた)ということについて、自分の頭だけを頼りにして、他の何にも頼ることなく掴み取るものだということを生徒たちに示していた。彼はそういうことを示すために、テストでは調べて答えることのできないような問題だけを出していた。生徒がその場で考え、すでにネット上に答えのテンプレートが転がっているような類いの問題ではなく、各生徒が、ただ自分の頭だけをもとに答えを示すしかないような、そういう問題を。

 人を測るものさしを作りたいと思って、去年までは大学院への進学を考えていたけれども、受験の直前になって、結局受験する気がなくなってしまった。その間も就活市場ではこれといった変化はなく、これまでと同じものさしが、これまでと同じように用いられている印象だった。内側にあって目には見えないものをうまく測るために、外側に表れたものを手掛かりにする。推理小説の中で、探偵はそういうことをし続けている。真相を知るために、真相自体ではなく、真相を示す「他の何か」を探している。証拠というのは、ある事が真相であることを示す外部の印だ。真相自体は目に見えないから、いくらでも創作が可能になる。だから、ある者の発言だけをもとにして真相を明らかにすることは難しい。発言以外の、もっと動かないものが欲しい。血痕やレシートや、防犯カメラの映像など、細工のできないものをいくつもいくつも集めてきて、それらを適切に組み合わせて、探偵は真相を明らかにする。

 探偵は社会の中にどれくらいいるだろう。つまり、ある人間がまだ語っていない真実を、彼・彼女の外側にあるものだけを手掛かりにして、正確に言い当てることができる人間は、どれくらいいるだろう。探偵がある人間を観察して、その人間がまだ語ってもいないことを言い当てるとき、幾つかのものさしをもとにしている。探偵に比べて、私たちが人を見るときに使うものさしは、とても少なく、また頼りない。しかしそれを嘆いてもしょうがないので、新しいものさしを作り、証拠によってその有効性を示すしかない。

 ひとつ参考になりそうなのは、「読者」という概念だ。読者というのは、作家がどこの大学を卒業しているかとか、どんな社会的地位があるかによってではなく、その作品自体が面白いかどうかによって、その人を評価することができる。もちろん「芥川賞受賞作家」「直木賞受賞作家」という表現が本の帯に書かれていれば、それに引きずられて手に取るということもあるだろう。しかしそういう賞に引きずられずに、純粋に作品自体が面白いから私はこの作家が好きだという読者も少なくない。そこに、人が人を測るものさしについての、いくらかの希望があるように思える。

 

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 

unlearnとトラウマ

 昨日くらいから色々と反省するところがあって、今自分がしている仕事の意義を考え直している。その一連の考察の一部が、ちょうど1本分の記事くらいの分量の内容になりそうなので、ここにそれを切り出して、まとめてみようと思う。

 私は現在、アルバイトをしている個別指導塾で、中学生と高校生の全科目を教えている。高校生の方は英語と数学と世界史がメインだ。このアルバイトを初めてもう5年が過ぎたから、一年留年した大学にいるよりも長く、バイト先で過ごしたことになる。「滞在時間」の方で考えてみると、まだまだ大学で過ごした時間の方が多いとは思う。

 というのも、私は大学にいた頃には友達とあまり遊ぶことはなく、大体は大学図書館にこもって専門書を読み漁っていたからだ。当時は経済学やコンピュータ科学のテキストを中心に読んでいて、大学院レベルの学生が使う様なテキストを見つけては背伸びをしてせっせと読んでいた。

 そんな風にして「上」ばかりを見ていた私のような人間が、塾で中学生や高校生を相手にすれば、「中学(高校)ではここまでしかやらないのか。ここからが面白いところなのにつまらないなあ〜。」という風に感じることが少なくなく、教える内容の簡単さに辟易してしまう…ということが起こりそうなものだ。私がアルバイトをしていた当初はまさにそんな感じで、中学生の英語や数学はあまりにも簡単で、「手応え」のようなものを感じることができなかった。そんな私がここへきて反省をすることになったのは、「unlearn」ということについて考えるようになったことがきっかけだった。

 この言葉について考えるとき、その思考の脇にはいつも、アインシュタインの次の言葉が横たわっている。

Education is what remains after one has forgotten what one has learned in school. The aim must be the training of independently acting and thinking individuals who see in the service of the community their hightest life problem.

(教育とは、学校で学んだことを一切忘れてしまった後に、なお残っているもの。そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、考え行動できる人間を育てること、それが教育の目的といえよう。)

 

 さて、いきなり話題が飛ぶようだが、ここで「トラウマ」(trauma)の話をしよう。フロイトによれば、神経症患者はトラウマに引きずられ、ある特定の事柄を反復してしまう。例えば、暴力的な父のもとで育った娘が、やがて成長し、そして恋人ができたと思ったら、その男性は父に似た暴力的な男性であって、やがて彼と別れて新しい男性を見つけたと思ったら、今度もまた同じ様に暴力的な男性だった…という様な話である。

 トラウマは、自分自身の幼い頃の経験を無理に抑え込み(抑圧)、自分ではそんなものに影響を受けているとはつゆ知らず、それでいて確かにそこから逃れられていないような、そういうものだ。フロイトは晩年の著作である『モーセ一神教』の中で、この様に抑圧されたものが、時間が経ってやがて表に現れてくることを指して「抑圧されたものの回帰」と表現した。

 さて、unlearnの話とトラウマの話が一体どう結びつくのか。トラウマについて考えられるときには、患者が何かを反復していて、その反復の原因がトラウマにあるということがわかると、トラウマを生み出している「原体験」についての解釈を、精神分析医と患者が対話することによって書き換えると、反復から抜け出すことができるという風に説明される。

 精神分析医が患者の神経症を快方に導く手助けをするときには、何か反復されているものがないかを考え、それを見つけると、その反復を生み出している源として、原体験を突き止め、それについての患者の解釈を変えるという風に進んでいく。ここで手がかりは「反復されているもの」であって、もしも反復されていないものが患者の行動に大きな影響を及ぼしているとしても、それは精神分析医の側からはわからないままになってしまう。

 そういう風に、精神分析医の観察からこぼれ落ちてしまったものをどうやって掬い取るかと考えると、一度学んで理解したつもりになっている、自分の中の色々な事柄をもう一度一から学びなおすという仕方が有効なのではないかと、ふと思ったのである。

 このようにして、私の中でunlearnとトラウマとが結びついた。「結びついた」と書くと、何か一対一で対等な関係であるかの様な印象を与えるかもしれない。しかし厳密には、前者が後者を包み込んでいるという関係ではないかと思う。つまりunlearnの対象となるものの一部に、反復されているものがあって、それがトラウマという形で精神分析医との治療の対象になっているのだ、と。

 そういう風に考えるとすれば、反復されるものだけでなく、反復されないために気づかれないままになってしまっているもの、反復こそされないが、しかしそのために却ってその人をより根本から制約し続ける様なものというのがあるのではないか、と思えてくる。そしてそういうものが、反復されるもの、つまり「トラウマ」(或いは神経症)として治療の対象になるものに比べ、対処の優先順位が低いとは限らないとしたら…。

 unlearnとかトラウマということに対する私のこうした思考を展開する手助けとなったのが、昨日購入した岸田秀『史的唯幻論で読む世界史』*1の冒頭で、マーティン・バナールの『黒いアテナ』*2に依拠して展開される、古代ギリシャは黒人文明だった」という主張である。このテーゼは、高校までの世界史の学習からすれば異端的であって、もしも私がこの書を手に取ることがなかったならば、私の頭の中では「古代ギリシャは白人の文明である」というテーゼが、書き換わることはなかっただろう。

 今回の場合は古代ギリシャだったけれども、私の中にはまだまだ沢山の「未修正テーゼ」が山の様に溜まっているのであって、しかもそれらのほとんどには、おそらく「当たり前」という様な名前のラベルが貼られており、私とは考えを異にする他者との出会いや、私自身を大きく揺るがす様な大きなショックというものを経験しなければ、それらが新しいテーゼに取って代わられるということはないままになるだろう。私は欲張りだから、死ぬまでの間に単に英語や数学だけでなく、理科や社会についても、そこから専門分化した色々な領域の考え方というのを吸収していきたいと思っている。少なくとも総合大学の全学部の学部レベルの内容くらいは網羅したいと思っている。

 そんな心づもりをしている私にとって、unlearnすべきものの数は膨大であって、その膨大なものの数に応じて、私の心がより豊かになったりより自由になるのだったら、こんなに幸福なことは他にないだろうと思う。

*1:

史的唯幻論で読む世界史 (講談社学術文庫)

史的唯幻論で読む世界史 (講談社学術文庫)

 

 

*2:

黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ (2〔上〕)

黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ (2〔上〕)

 
ブラック・アテナ―古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ〈1〉古代ギリシアの捏造1785‐1985 (グローバルネットワーク21“人類再生シリーズ”)

ブラック・アテナ―古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ〈1〉古代ギリシアの捏造1785‐1985 (グローバルネットワーク21“人類再生シリーズ”)

 
黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ〈2〉考古学と文書にみる証拠〈下巻〉

黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ〈2〉考古学と文書にみる証拠〈下巻〉

 

 

不景気とシャッフル

 昨日は晴れていたからロードバイクで通勤しようと思っていたのだが、どうも頭がクラクラするので、結局電車で通勤した。バイトを終えて最寄駅に着き、駅前のコンビニに立ち寄った。コンビニ弁当と野菜ジュースと、鉄分入りのヨーグルトとR1のドリンクタイプと、それからクランキーを抱えてカウンターの向かいの並ぶ場所に立っていると、「お待ちのお客様こちらへどうぞ〜」という声が聞こえたので、そちらへ進んだ。顔の見知った店員が会計だった。その店員は以前にもなんどか会計を担当した男性で、いかにもコンビニ店員という感じのしない、むしろコンビニ店員っぽくない印象の男性であった。立ち居振る舞いがどことなく優雅らしいところがあって、それはある人からすると「ナルシスト」という形容をあたえられるようなものだろうとも思うけれども、私はそういう風には思わず、むしろそれを微笑ましい、或いは親しみを覚えるものとして眺めていた。

 それほどたくさんの店舗を利用しているわけではないけれども、私はわりとよくコンビニを利用している。人間観察を好む私にとっては、コンビニ店員と一口にいってもいろいろな人がいて、外国人も中にはいる。「いろいろ」と書いたけれども、その一方で、やっぱり「らしさ」というものがあるように感じられもする。つまり、「ああ、この人はコンビニ店員らしいな」と思わせるような人というのがほとんどだ。「らしさ」ということについて、私はここでもう少し何か書くべきなんだろうけれども、ここではあえてこれ以上は書かずに、話を先に進めようと思う。

 私が昨日の夜に会計を担当してもらったそのコンビニ店員の男性は、そういう「らしさ」にまみれていない、或いは身にまとっていない、そういう雰囲気のある男性だった。病院にいけば、そこで初めて人は病人になってしまうのと同じようにして、コンビニで働いているうちに、人はどんどんコンビニ店員らしくなっていくものだと思う。

 これには裏打ちがあって、私自身、大学生だった頃にコンビニでアルバイトをしていたことがあった。続けるうちに動作が手慣れてきて、客に対する受け答えも危なげないものに変わっていった。私はどんどん「theコンビニ店員」になっていった。コンビニを辞めてもしばらくの間は、そのコンビニの他の店舗に行くと、入り口の自動ドアが開いた時に流れる特有のメロディーに反応して、ついつい「いらっしゃいませー」と言いそうになるということが続いた。良くも悪くも職業病が完治するには時間がかかる。

「らしさ」というのはその時代その時代に文化や通念が形作る「典型」なのであって、典型は必ずしも最善を保証しない。人間以外の生物の社会では、環境との関わりを通して、自然の側が最善を選択する。個々の種は、或いは個々の個体は、自分が生き残ると必ずしも自覚していなくても、そのうち選択の時が訪れれば、自然は「あなたがベスト」と言って選んでくれる。

 しかし人間はそうではないだろう。人間は自分で何が最善かということを自覚的に考え、自然の側に選んでもらう前に、自分で先回りして最善を見つけることができる。進歩(progress)というのはそういうことではないか。だから、自然が判断を下す前に先回りして最善を見つけようとするならば、典型を選んでそこに安住するようでは駄目だ。先回りするために前に戻る必要がある。反省は懐古と異なり、前に進むためのものだ。「らしさ」が典型であって、典型は最善とは限らないのだとしたら、私たちは「らしさ」を疑う必要がある。

    私たちはまだ「らしさ」を身に付ける前には、早く「らしさ」を手に入れようと握捉する。

新人コンビニ店員は早く1人前のコンビニ店員になろうとし、

新人作家は円熟した作家に憧れ、

大学院生は教授に憧れ、

新米銀行員はかっこいい頭取に憧れる。

それぞれの領域で、それぞれの人が「見習うべき先輩」をトレースしようとする。トレースすべき相手と自分との距離を測って、なるべく早くその距離をゼロに、或いはその更に向こう側に行こうとする。それはそれぞれの「典型」に身を染めるということだ。典型が典型を再生産する。典型は、自然選択で生き残った個人であることが多いから、「生き残っている以上はそれが最善なのだ」と判断される。或いは、人間が人工的に作り出した自然選択の場である「市場」の中で、消費者や企業からの「選択」という形の投票・評価が、その個人の価値を保証するという風に考える。最善の判断は自然に任せる代わりに、どこの誰かは分からない、たくさんの人が参加する市場というところに委ねるようになる。どれが最善かは私にはわからない。それは市場、或いは消費者が判断することだという風に。そんな消費者による投票システムの中で生き残り、特定のポジションについているということは、あの人はすごい人だという証だと考えられる。しかしそれは、先回りしているとはいえない。progressの「pro」(前へ)というニュアンスがない。自分が詰まれる前に先手を打つ棋士の気魄が薄い。市場が評価を下す前にその人がすごいということを見抜いていたなら本物だったのに、結果が出た後でそれに合わせているわけだから、ミネルヴァの梟であり、後出しじゃんけんだ。

   「らしさ」のないコンビニ店員は、そういうところから隔たったところにいる。彼はもしかしたら、そのコンビニの先輩からは、早く「らしさ」を身につけるよう急かされているかもしれない。それでも私は、彼はきっと、「ナルシシズム」と形容されかねない彼の特質の中に、「らしさ」に塗れずに彼自身の「個性」という「らしさ」が残ると思っている。それはこれからも、彼のコンビニ店員らしからぬ優雅さを湛えた振る舞いの中に、或いはその口調の中に、とどまり続けるだろう。私はそこに、「らしさ」というものを教科書のようにして、マニュアルにして矯正を促す強い力、集団的な力に対する、個人の尊厳を辛うじて見るような思いがする。そのコンビニが全国に10000を超える店舗を持ち、その数をうまく管理するために生まれるマニュアル的対応の「らしさ」の束の網の目をすり抜けるものが確かにあって、それはそのコンビニの競争優位性を生むだけでなく、それを観察した外部の者たちを通して、他の領域へも広がっていくような、そういう力があるように思う。

   不景気というのは、好景気の場合であれば第一志望に進むことのできたはずの多くの人々を、やむなくして第二志望や第三志望の企業に進める力を持っている。そういうときには、Aに馴染みそうな特質を備えたaという人材が、期せずしてBというポジションに割り当てられる。そういう形で、社会の中で様々な人物が、「行きたかった場所」とは違う場所に配置されるという壮大なシャッフルが発生する。不景気という現象がもつこうした副作用は、それが不景気という良からぬ親から生まれた子どもであろうとも、よい効果をもたらす可能性を持っているのではないか。「らしさ」の壁を打ち破り、集団からの圧倒的な力に打ち勝つような、そういう力がシャッフルということの中には潜んでいる。そんなシャッフルの生み出した孫の1人たる、私の自宅の最寄り駅の近くのコンビニ店員は、どんな可能性を持っているのだろう。

自転車

 人はどうして自転車でバランスをとって走ることができるのか、現代の科学ではそのメカニズムは未だにわかっていないというのを、以前に何かの本で読んだ。それはとても印象的だったから、今でも覚えている。自転車に補助輪があれば、前後についた車輪は、補助輪に支えられ、バランスをとって走ることができる。或いは、初めは誰かに後ろから支えてもらっていた私たちは、いつの間にか後ろで私を確かに支えていたはずの手が自転車から離れてしまって、いつの間にか自分の力で自転車に乗れる様になる。補助輪や支えてくれる誰かをなくしてしまっても、私たちは自転車で先へ先へと進んでいける。自分の力だけで、或いは自分のバランス感覚だけで、自分が自転車に乗れるということをもはや疑わないで、進んでいける。自転車に乗れる人は、自分の中に自律の感覚をつかんでいるのではないだろうか。自律ということの核を、私たちは自転車に乗ることを通して、自分の中に持つようになるのではないだろうか。

 子どもは反抗期になると、親や学校の先生に反抗し、それが終わると彼らの庇護下に再び置かれる状態に戻り、大学へ進んでやがて就職して、そうして自立したと考える。しかし社会に身を置いてみれば、自分は決して自律的な存在であるとは到底感じることはなく、また再び、親や先生がかつて占めていたその場所に、今度は会社が替わりに居座っただけではないかということを感じるようになる。そうして人は、自律から再び遠ざかる。見えた様な気がしたもの、手にした様な気がしたものは、実は勘違いだった様な気がしてくる。そこに別の存在が現れる。恋人であるとか、同僚であるとか、或いは友達、或いは上司というような、二律背反によって成り立つ幾つかの人間関係が前面にせり出してくる。ドラマや映画や音楽では恋愛によって、異性との関係によって、初めて私は生きていけるということになるし、日中の時間帯には同僚や上司との関係によって自分の居場所を確かめるようなことが少なくなく、夜ともなれば、久々に会った友人とのやりとりを通して、会社だけでない人生の他の側面に触れる。

 

 私は自動車を運転したことがないから、想像でしかものが言えないけれども、自律というのはどういうことかということを感覚的に掴み取るためには、自動車よりも自転車で走る方が、ずっといいみたいな気がしている。自動車が動くときには、エンジンという、自分ではないものの力に頼っている。エンジンが生み出す力は、人力でなく、馬力だ。それは馬を単位として測るのが都合がいいような、大きな力であって、何百馬力とか千何百馬力という大きさの力を、ドライバーは自分の力であるかの様に操って走る。それにひきかえ、自転車はまったく控えめ、もっと言えば非力であって、使われるのは一人力だけだ。ただ自分の力だけ、どれだけ鍛えられた脚力か、どれだけの体力か、肺活量か、そういう風に、自分自身の力の大きさが、走りにストレートに現れる。一切のごまかしはきかず、自分次第だ。自律というのはそういうことなのだろうと思う。自分の力がどれだけであるかということを、ひしひしと感じさせられる。自転車と自動車の違いというのは、それがどちらも英語圏で生まれたものだということを考えるならば、英語で考えた方が本質に近いものをつかめるだろうと思う。bicycleとautomobile。carは車であるから、自動車にだけ用いるのは不適切だ。古代エジプト人が、一つ約2トンとされる巨石を積み上げて王の墓を作るとき、丸太の上に平らな板を置き、その上に巨石を乗せて丸太を転がし、石を運んだという、その丸太もまた車、立派に役立つcarである。bicycle(自転車)は、自転車ではなく、厳密には二輪車だ。2という数字は安定からは遠い。二つのものが反対のものだったら、どちらが答えかいっこうに決まらない。だからヘーゲルは、時間軸の中で二つのものを統合する三番目を作る作用を「止揚」(アウフヘーベン)と呼んでケリをつけた。だからヘーゲルの体系では、対立する二つのものが、時間抜きに解決されることはない。時間の経過という条件をもってきて初めて、二つのものは三つ目のものに変わることで安定する。モンテスキューによれば、二つのものが対立するならば、3つのものを導入して、常に3つが並存するようにせよということになる。三権分立によって、司法と行政と立法の間でバランスが保たれる。中学の頃、技術家庭科の授業のときに、先生が椅子の足の話をしていたのを、なぜか覚えている。椅子というのは、脚が二本だけだったら立つことはできない。3本あって初めて安定するのだと。それはモンテスキュー的だと思う。中国では陰陽道において、或いは道教において、対立する二つのものを一つに溶け込ませるというやり方で2を1に書き換え、ケリをつけた。それはヘーゲルとは違って共時的であって、今この瞬間に、二つのものが一つに溶け合っているのだという風に考える。恋人や同僚や上司との関係によって自分を成り立たせるという考え方は、この意味で道教的だ。

 それでは二輪車の場合、2という不安定はどのようにして安定を得るかといえば、それは3番目の「私」の力である。二輪車は、スタンドがなければ、或いは立てかけるのに丁度いい壁がなかったら、自分だけでは立ってはいられない。二輪車自体は、自律できない。しかしそこに私が現れると、私の力によって、2つのものが一つのものと合わさって、3つのものになることで自律して、独立した一つの存在になる。そこで初めて、二輪車はずうっと前や右や左に進んでいける自由を獲得する。重要なのは、私たち人間は、2本の足だけでも安定することができるということだ。かつて私たちの遠い先祖のサルたちが4本足で生活していた頃とは違って、私たちは4から2に減ってもなお、しっかりと立つことができている。2でも安定を得る私たちが、2では安定できない存在である二輪車と出会って、彼の3つめの杖となり、彼を支えるそのときに、私たちは単なる杖に過ぎないのではなくて、杖であることによって、自律を獲得する。

 いつか科学が、今よりもずっとずっと前へ進んで、自転車でバランスをとって走ることができるそのメカニズムを解明したならば、そのときついに人間は、自律とはどういうことを言うのかについて、今よりももっとちゃんとわかるようになるのだろうか。今はまだ、人間にとっては感覚でしかわからない自律ということについて、しゃんとした筋を通して説明がつけられるようになるんだろうか。

 今週はわりと天気が安定している。昨日は電車通勤だったけれども、明日からはまた、自転車で走って通勤しようと思う。