Google社員の「女性はエンジニアに向かない」文書問題について

 

  Google社員のジェームズ・ダモア(James Damore)氏が社内向けの文書で「女性はエンジニアに向かない」と書いた問題、さっそくWIkipedia彼のオリジナルの文書を扱った記事[1]ができている。10ページに渡り10000字を超えるその文書のタイトルは「Google’s Ideological Echo Chamber.(グーグルの思想的エコーチャンバー)」。例によってWikipediaの日本語版の記事は今のところないようだ。

 ちなみに「エコーチャンバー」*1とは、東京大学情報学環の橋元良明教授によるこの記事での定義によると、以下の通りである*2

エコーチェンバー現象とは、人は自分の考えることと同じもの、似たもの、賛同できると言う人にアクセスする傾向があるため、結局自分が興味を持つ範囲、考え方が同じ自分が賛同する範囲においての情報共有になるということ。

メディアの反応

 この件に限ったことではないが、この問題について500文字や1000文字程度の記事*3が多く、もちろんそれらはダモア氏の発言の「一部」を切り取って解釈したものがほとんどであり、最初からダモア氏の文書が全文公開されていたらGoogleへの印象も違っていただろう。

 公平を期して言えば、中にはダモア氏の文書を全て読むことを勧めるITmedia NEWSの記事(こちら[2])や、私のこの記事と同様、原文を参照しながら分析するGeekなぺーじの記事(こちら[3])もあった。しかしこれらの記事もまた、ダモア氏が差別に反対であり、ダイバーシティの実現を目指しているという基本的な立場を指摘していなかった。それはいささか残念なことである。文書は英語だが、Google翻訳にコピペすれば日本語で読める。ちなみにGizmodoで公開されたダモア氏の文書の全文はこちら[4]。

 ある人物の意見の一部だけが切り取られて報じられることで、それに対する世論の反応の方向性も決まってくる。そしてさらにその世論に対する企業側の反応も決まってきて…というかたちで事態が進み、当の問題自体が置き去りにされている感がある。原文を読むと、ダモア氏も基本的にはジェンダーバイアスや差別に反対の立場を文書中で繰り返し示している。それにも関わらず文書の一部だけを切り取って「偏見だ」という枠で議論を展開するのはあまりに誠意に欠ける行為ではないか。仕事で忙しい一般人の気軽なツイートならまだしも、発信それ自体を仕事としているメディアの書き手たちすら文書を全て読まずに論評していたりするのを見るとがっかりさせられる。

 たとえばこの記事[5]。

www.itmedia.co.jp

 記事[5]の筆者は記事中、「かなり長いのですが、ざっと読んだところ」と書いている。さらっと書いているがこういう表現はなかなか厄介である。記事の読者のほとんどは「ざっと読んだところ」という箇所で詰まることはないのではないか。

ダモア氏の立場を原文に即して考える 

 ダモア氏の文書のオリジナルをよく読むと、少なくとも二番目の脚注([2])で自分にもバイアスがかかっているだろうということを認めている。その箇所を引用しよう。

 [2] Of course, I may be biased and only see evidence that supports my viewpoint. In terms of political biases, I consider myself a classical liberal and strongly value individualism and reason. I’d be very happy to discuss any of the document further and provide more citations.

(筆者による訳:もちろん、私にもバイアスがかかっているかもしれず、私の視点に合致するような証拠だけしか見ていない。政治的バイアスの観点からすれば、私自身は古典的なリベラルで、個人主義と理性を高く評価するものと考える。私はこの文書のあらゆる箇所についてさらなる議論が進み、より多く引用されることを好ましく思う。)

 

  この脚注を読むだけでも、記事[5]の筆者が言うように「女性を差別しているつもりは全然ないみたい」とは言えないのではないかと私は思う*4。これは私の解釈だが、引用箇所でダモア氏は「自分自身もまたなんらかのバイアスの影響を免れないこと」を示した上で、それでもGoogle側が抱えるバイアスとは別の視点を示すことがエコーチャンバーの状況を解消するために必要であり、Googleが企業として推進を目指しているダイバーシティを保つ上でも重要であるということを念頭に置いているのではないだろうか。少なくとも私はそのように読んだ。

  もちろんダモア氏にまずい点がないとは言わない。上の記事[5]でも指摘のある通り、文書の前半に登場する女性の特徴についての箇条書きの部分は「思い込み」や「決めつけ」と区別がつかず、科学的な根拠が示されていない箇所もある。今回この文書が問題となったのも主にこの箇所について偏見だと感じた人が多かったことが原因ではないかとも思う。その箇所について先のGizmodoの記事[4]から引用する。

Personality differences

Women, on average, have more:

  • Openness directed towards feelings and aesthetics rather than ideas. Women generally also have a stronger interest in people rather than things, relative to men (also interpreted as empathizing vs. systemizing).
  • These two differences in part explain why women relatively prefer jobs in social or artistic areas. More men may like coding because it requires systemizing and even within SWEs, comparatively more women work on front end, which deals with both people and aesthetics.
  • Extraversion expressed as gregariousness rather than assertiveness. Also, higher agreeableness.
  • This leads to women generally having a harder time negotiating salary, asking for raises, speaking up, and leading. Note that these are just average differences and there’s overlap between men and women, but this is seen solely as a women’s issue. This leads to exclusory programs like Stretch and swaths of men without support.
  • Neuroticism (higher anxiety, lower stress tolerance).This may contribute to the higher levels of anxiety women report on Googlegeist and to the lower number of women in high stress jobs.

(筆者による訳:

性格の違い

平均的に見て、女性の方が以下の特徴をより強く持っている。

  • 物事よりも感情や美学に対して開放的である。また女性は一般に物事よりも人々に対して男性よりも強い関心を持つ。
  • これら2つの点は、女性の方が社会的あるいは芸術的な領域の仕事を好む理由を一部は説明する。コーディングはシステム化を必要とするため、男性の方がコーディングを好むのかもしれず、ソフトウェア工学(SWE)の領域においてすら、女性の方が人々と美学の両方を扱うフロントエンドで働くことが比較的多い。
  • このことは女性は一般に給料の交渉をしたり、昇級を求めたり、声を上げたり、指揮をしたりすることに苦痛を感じることへつながる。これらはあくまでも平均的な違いであって、男女で共通する部分もあるという点に注意してほしいが、一方でこの点に関して言えば完全に女性の方の問題であると思われる。これはストレッチや援助なしの男性による束縛のような特別なプログラムへつながる。
  • 神経不安(より強い不安、より低いストレス耐性)。これはGooglegeistで女性たちが報告する強い不安や、ストレスの強い仕事で女性の数が少ないことの理由になっているのかもしれない。) 

 

  もちろんこうした主張の前後には、やはり差別や偏見に反対するダモア氏自身の基本的な立場を強調する文があり、誤解を生まないよう気を付けて書いていることが伺える。

 また箇条書きされたいくつかの項目の中には、ソフトウェア工学の職業における男女比など、単なる偏見というよりも端的な事実を指摘したものもあることがわかる。もちろんその事実というのが女性にとって好ましくないということはあるかもしれないが、事実は事実であることに変わりなく、偏見と事実は異なるものである。

建設的な読解

 私は先に「科学的な根拠が示されていない箇所もある」と書いたが、すでに紹介したGeekなぺーじの記事[3]では、科学的根拠といえそうな研究として2015年のTelegraphで紹介されたオックスフォード大学の研究OECDのの研究の2つを紹介している。単に偏見だとして感情的に反発するよりは差別や偏見の解消のためによほど建設的な読解だと感じる。

 端的な事実の指摘の他にも、ダモア氏が文書で指摘している点の中には妥当なものもいくつか含まれている。例えば人材のダイバーシティ実現のために行なっているGoogleの取り組みが、今のままでは好ましくないことを指摘する箇所などを読むと、ダモア氏ばかりではなくGoogleもまた非難されるに値するのではないかと感じる。

 BBCの記事によると、サンダー・ピチャイCEOは今回の問題について以下のようにコメントしている。記事から引用する。

ピチャイCEOは、「この会社の職場で、危険な性別のステレオタイプを推進しようとした」この文書は、一線を越えてしまったと指摘した。

ピチャイ氏は、グーグル社内で表現の自由を守る重要性について行数を割き、「文書に書かれた内容の多くは、議論に値するものだった。グーグル人の大半が賛成するかしないかは関係ない」と強調した。

しかしその上でピチャイ氏は、「とはいえ、同僚の一部が、生まれつき仕事に向いていないなどと示唆するのは、不愉快で不適切だ」と批判した。「我々の基本的な価値観や行動規範にもとるものだ。この会社の行動規範は、『すべてのグーグル人が最善を尽くして、いじめや威圧や偏見や違法な差別のない職場文化を作る』よう求めている」。

 

 今回の問題が起こる以前、Googleは2014年時点で社員の男女比のデータを公表する(記事はこちら[6])など、ダイバーシティ実現へ向けて動いてきた経緯からすれば、むしろGoogle側はダモア氏と話し合う機会を作り、解雇という形で話し合いの場から退場させない方がよかったのではないか。ロイターの記事はこうした見解を示す著名人のコメントをいくつか紹介している。ダモア氏はすでに解雇されてしまったが、ダモア氏が文書の中で指摘したGoogleの問題は今も残っている。ダイバーシティの問題は専門の部署のトップであるダニエル・ブラウンさんが今後も話し合う姿勢を示しているが、その場にはダモア氏はいない。

原文の長さと世論の趨勢の関係

 今回の問題について、いろいろなメディアの記事を見ていると、原文の長さと世論の趨勢の間にはある種の関係があるのではないかとふと思った。つまり、原文が長いほどメディアはその一部しか取り扱わず、メディアを通して人々が目にする論点も部分的なものに留まり、ひいては世論の方向性も極端なものになる確率が相対的に高いというような関係があるのではないか。

 原文が短ければ、それはそれで解釈が分かれるため議論が発散しやすいという問題はありそうだが、原文が長い場合にはそれとは別に、原文を読む人間が少ないために「そもそもどういうことが言われていたのか」ということを人々が理解した上で世論が形成されるという重要な過程が抜けてしまう。もちろんどんな問題についても原文に当たれ、ソースを参照しろというのは時間的に難しいとは思うが、今回のように原文が10ページにも及ぶ文章ともなると、その中に一部でも誤解を招く表現が含まれていた場合に、そこだけがメディアに切り取られて大々的に報じられ、人々の理解の偏りを生むことになる。

 さらに今回の場合、原文は英語であるため、はっきり言って日本人の何人が原文を全て読んだだろうか。そしてもしも読んだとして、そこに書かれていることを日本語と同じようなレベルで理解できただろうか。私はこの記事の中で引用した箇所を日本語に訳していて、いまいち意味がつかみとれず、わかりにくい訳になってしまった箇所がいくつもあった。そしてそういう部分がもとで私の理解が誤っているという可能性もある。もしそうなら文書を書いたダモア氏にも悪いような気さえする。

 何しろ10ページにも渡る量の文書を書いたのだ。決していい加減な気持ちで書いたものではないと文書の分量だけでわかりそうなものだ。ツイッターで気軽に偏見を垂れ流すのとは訳が違うと誰も思わなかったのだろうか。いくつかの記事やツイート、それぞれの記事に対するページ下のコメントを参照した限り誰も指摘していなかったが、10ページという分量自体が、ジェンダーバイアスや職場におけるダイバーシティに対するダモア氏の姿勢を物語っているとは言えないだろうか。そこをきちんと汲んでやらずに、文書の一部だけを取り上げて云々するという姿勢を、誠意がないと言わずになんと言うのか、私にはわからない。

まとめ

 今回の問題でメディアが焦点を当てたのはダモア氏ばかりだったため、Google社内の男女比などのダイバーシティ問題の方は世間でほとんど意識されることがないままだろう。男女比のデータ公表の件が2014年であることからもわかる通り、この問題は決して今回だけの単発的なものではなく、Googleが抱えた息の長い問題である。それについて今後メディアがどう報じるのか、話題性がないとして報じないのか、時系列に沿って分析した重厚な記事がある日突然出てくるのか、気になるところだ。

 この問題は性差別や偏見が問題というよりも、むしろある個人の意見をどれだけ理解しようとするかという誠意の問題なのではないかと感じた。そして相手の意見を丁寧に理解しようとする誠意がなければ、結局は性差別や偏見の問題が解決することもないという本末転倒がそこにある。

*1:この用語にはいくつかの表記があり、「エコーチェンバー」とか「エコーチャンバー効果」とか「エコーチェンバー現象」なども全て同じものである。コンピュータの検索ではこの辺の表記ゆれの影響が小さくなってはいるものの、まだ融通が利かないところがあるので、早くどれかに統一されないと議論の効率が悪いと個人的には思う。

*2:後に上げたハフポストの記事ではエコーチャンバーについて、WIREDにおける定義を採用しているため、相対化のためこの記事ではあえて別の定義を紹介した。どちらの定義も本質的には大差がないと考えていいと思う。

*3:そういう記事の例として、例えばハフポストGIGAZINECNET JapanZUU onlineBBCの記事などがある。

*4:ちなみに記事[2]と記事[5]の筆者は同一人物であり、記事[2]は記事[5]の後に書かれたものである。