人工知能ってほんとにIQ高いと言えるのだろうか

  人工知能のIQ*1について、4000とか5000とかいう数字が使われるのをときどき目にするが、なるべく少ない情報から一般的な特徴を見抜く汎化能力の高さがIQの要件ではなかったか。サイコロを1000回や2000回振らなければ確率分布がわからないような知性に対して「IQ4000」と言っていいのだろうか。

 ここで誤解を避けるために書いておくと、この記事の趣旨は「『人工知能のIQが4000』という評価は間違っていて、私たちは人工知能を恐れる必要などない」とか「人工知能は賢くないから、人間が負けることはない」というようなことではない。そうではなくて、「知能」とか「知性」、つまりAIの"I"にあたる"intelligence"という言葉が雑に適用されているのではないか、そしてもう少し知性について落ち着いて考え直し、今「知性」とか「知能」と呼ばれて有り難がられているものとは別のしかたで、知性や知能を実現することを考えることも必要ではないか、ということである。


 人工知能とのIQ合戦にはどうせ敵いっこないのだから、IQとは別の知性のあり方を考えてそれを活かしていけば人類にもまだ生きる道が…という立て方の論をときどき見るが、そもそも大前提として人間よりIQ高いと評価できるのだろうか。


 人工知能に「IQ」というものさしを当てはめるとき、大量のデータを与えた結果として問題が解けるようになった後にIQを測るというのは、いってみれば子供の頃は解けなかったIQテストの問題が、大人になったら視野が広がったとか知識が増えたとかで解けるようになりましたというような話で、それはインチキなのではないかと思ってしまう。


 単純化していえば今「人工知能」(正確には深層学習を応用したもの)と呼ばれているものは、人間に比べてはるかに早い速度で経験値を積んだ「玄人」*2にすぎない。決して学習効率が高いわけではない。経験する速度が人間より早いということをもって人間より賢いとはいえない。賢いというのはより少ない経験値で正解を推定したり特定したりすることのできる能力を指すのではないか。 

 

 この意味で賢さということを考えると、たとえばアルファー碁で話題になった囲碁の場合、人間の棋士が研究や実践を通じて学ぶのと同じ数の対局データしか与えなければ、アルファー碁は人間の棋士に勝てない。汎化能力が人間より低いからだ。しかし膨大な数の対局データを与えて1秒に1手みたいなスピードでどんどん対局させると人間に勝てるようになる。しかしそれははたして賢いのだろうか。

 

 もちろん、大量のデータを与えることによって、特定の問題において人間よりも高い能力を発揮するということは言えるし、そういう事例は今も積み上がり続けている。今後も深層学習を中心として機械学習の分野の研究は日進月歩で進み続けるだろう。

 

 とはいえ、多くの課題を達成できる一般的な知性を実現しようとした結果、「大量のデータを与えなければうまくいきません」という機械学習(特に深層学習)に行き着いたというところに、なんというか人間の知性の限界を感じなくもない。機械学習などより汎化能力の高い知性の表現が今後現れないかなぁと思う。問題をうまく特定すればシンプルなアルゴリズムを適用して解けるというようなことはあるが、ここまで強調してきたように汎化能力が高く色々な問題に対応可能な知性を実現するのはまだ時間がかかるのかもしれない。


 チューリングフォン・ノイマンが生きていたら「なんてダサい方法を使ってるんだ。そんな大量のデータがなければ問題を解けるようになれないなんて。しかもそれが『最先端の人工知能』なんて呼ばれている?」というようなツッコミが飛んできそうだ。

*1:この記事では「IQ」という言葉を賢さを表すメタファーとして扱う。知性を評価するものさしとしてIQが適切かどうかという議論があるが、これに立ち入ると面倒なので、はじめに語法を示しておこうと思う。

*2:この意味では深層学習を使った人工知能(Artificial Intelligence)というのは、intelligent(賢い)というよりはむしろwise(経験に裏打ちされて分別がある)の方が適当であって、"Artificial Wisdom"とでも呼ぶ方が本質に近いのではないかとすら思う。