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主観的なランキングと客観的なランキング

 Googleは当初、厖大なウェブページの客観的なランキングを行っていた。誰が見ても同じページは同じ順位にあって、新しいページが加わればランキングは更新されるが、それはランキングを見る人間とは独立に生成されるものだった。やがてランキングは「パソナライゼーション」という言葉で表現されるように「検索する個人」をランキングと結びつけるようになった。客観的なランキングから主観的なランキングへ、みんなにとってのランキングから私にとってのランキングへ変わった。今もランキングの「主観化」は続いている。

 私は普段、ほとんど音楽を聴かない。だから音楽のジャンルや最近はやりの音楽などはちっともわからない。そんな私が、ネット上でたまたま見つけた音楽にハマるということがたまにある。いや、私が新しい楽曲を見つける時はいつも、私とは別の誰かのフィルターを通している。

 ランキングというのは、私にとってのランキングであるよりも、他者にとってのランキングを参照する方が、面白いということなのではないか。しかし、それならば一体誰のランキングを参照すればいいというのか。私ならばここに一人しかいないけれど、他者となると厖大な数になってしまう。「信頼できる他者」という表現がすぐに浮かんでくるが、では信頼できるかどうかをどうやって判別するのか。たとえばこのはてなの世界は、ある程度のリテラシーを持つ人々が集まっていると当初からみなされているようなところがあって、それはアメーバブログに集まる人々とはタイプ的に異なる。どちらを参考にするかは個人によって異なる。

 しかし、私が参考にしているのは他者にとっての主観的なランキングなのだろうか。他者は自分なりのランク付けを何らかの方法で実行し、それをウェブ上に公開し、それを利用することによって、セレンディピティー的な出会いがもたらされ、私はハッピー…という筋書きが正しいのだろうか。

 Googleで検索するよりも、はてなで検索する方が面白いページに簡単に出会うことができるので、最近はもっぱらはてなでの検索を行っている。もっともはてなの検索はPowered by Googleなのであるが。そして今日も、大崎駅の近くのスターバックスにて、「検索エンジン 数理」といったキーワードで検索していると思わぬ形でこんな記事を発見した。

グラフ理論 - はてな匿名ダイアリー

 検索エンジンは、線形代数に支えられているという見方もできるが、グラフ理論に支えられているという見方もできる。そして線形代数グラフ理論の間には密接なつながりがある。上記のキーワードで検索したのだからグラフ理論について扱ったページがヒットしたのもうなずけるが、なんとこのページで扱われている内容のほとんどはアブナー・グライフ『比較歴史制度分析』である。 ある情報が信頼に足るものであるかをどうやって判断するかということについて、人間はどのような「しくみづくり」をしてきたのかということを簡潔にまとめてあって、とても面白かった。

比較歴史制度分析 (叢書 制度を考える)

比較歴史制度分析 (叢書 制度を考える)

 

  Amazonで探すと、もはや中古でしか手に入らないらしい。新品にこだわる私としては残念であるが、とりあえず書店で探してみようと思う。

 さて本題に戻ると、このページははてなの検索ではかなり下位の方にランキングされていた。「SEO対策バッチリ!」だとか「ちゃんと記事の最上部にいい感じの画像を貼って…」だとかをしない、内容だけで成り立っているページだから無理もないかもしれない。はてなで面白そうなページを探すとき、私は検索結果の10ページ目まで見ることにしている。ここまでくると、もはやランキングには意味はない。「私にとって面白いかどうか」ということとランキングは全く別次元のように考えているからだ。

 もっとも、はてなの場合、ランキングはどれほど厳密に行われているのかはわからない。単に検索キーワードが含まれるページを表示しているだけかもしれないと思わないでもない。 

 

 私にとって、面白いページはランキングとは関係なく決まっている。それならばランキングになんの意味があるというのか。

 

 どうやって「それ」を見つけ出せばよいか。どうやって "This is it !!" を実現するのか。ランキングが客観的なものから主観的なものへ変化しても、依然としてそれは「ランキング」であることに変わりはない。「検索=ランキング」パラダイムは揺るぎないということか。

 面白いページを見つけたいとき、ランキング以外の方法でそれを実現することはできないものか…。最近はこの問題をずうっと考え続けている。なかなかすっきりした解にたどり着かないのは、一つには私がこの問題を何らかの形で定式化できていないことが原因だろう。問題を適切な形で定式化するためにはそれなりの専門知識と技量が必要とされるが、そのどちらもまだ私は十分に持ち合わせていないということだと思う。