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3杯のダージリン

前の彼女からもらったティーポットで、ずいぶん前から冷蔵庫の中で眠り続けていた紅茶を淹れた。茶葉はすっかり乾燥しきっていた。

 

とある友人からもらった電気ポットでお湯を沸かし、それを計量カップへ移しかえた。電気ポットから直接ティーポットへお湯を注ごうとすると、どうしてもお湯が溢れてしまうからだ。ティーカップ二杯分ほどのお湯を計量カップへ入れ、それをティーポットへ注いだ。透明だったお湯が、みるみる色を変えて、きれいな茶色になった。ティーポットは紅茶二杯分ほどの分量のお湯で満たされた。

 

ティーポットで淹れた紅茶は、一杯目よりも二杯目の方が渋みが強い。一杯目も二杯目も、飲むときにはティースプーンに二杯の砂糖を入れた。一杯目は紅茶の方の渋みが弱かったため、砂糖の甘さとよくなじみ、自然な味になった。飲んでいても特に違和感のようなものを感じることはなかった。

 

しかし二杯目は違った。紅茶の茶葉自体が強い主張を持ち、確固たる自己を失わない。そこへ砂糖を加えても、渋みは消えない。表面的には砂糖の甘味を感じることができても、そこには確かに、砂糖と溶け合わずに残っている茶葉の渋みがあった。

 

二杯目を飲み終えた後のことを思い、私は三杯目のためにまた計量カップへお湯を移し、それからティーポットへお湯を注いだ。茶葉は変えずに、二杯目までのものをそのまま使った。色は変わったけれども、二杯目までに比べて、ずいぶん薄くなった。それは私に、角が取れてまるくなった人を連想させた。

 

私は私、紅茶は他者、砂糖は女性の象徴のように思われた。