ロードバイクが私にもたらした変化

今週のお題「今年買って良かったモノ」

 

ロードバイクが言葉を生む?

  1週間くらい前にブログの月別アーカイブの数字を見ていてふと気付いた。今月(201511月)は12本くらいのペースで記事を書いていることになる。

普通なら順を追って書くところなのかもしれないけれど、あえて遡る方向で月別の記事の本数を書いてみる。

10月→19

9月→1

8月→1

7月→0

6月→0

5月→8

4月→11

3月→10

2月→19

1月→15

 先月の中旬くらいから、思想や哲学に関する本が急に読みたくなって、それはもう活字中毒に近い状態になっている。「近い」であって完全な活字中毒まではまだいっていない。色々な人の対談の動画も見ている。自分の中で何か心境の変化でもあったかと思い返してみても、特に思い当たることはない。そもそも自分自身のことについて時系列で体験や思考を記憶することの苦手なために、ことの発端や原因を突き止めるのは困難だ。

 しかしひとつ、「これは関係しているな」と思えることがある。それがロードバイクを買ってそれで移動するようになったことだ。これは発端とか原因というよりも結果の方なのかもしれないが、時間の順序でいうとロードバイクに乗るようになってから思考があちこちで生まれるようになったことは確かだ。しかしその前からブログを毎日のように更新するようにはなっていた。

 もう一つ、原因なのか結果なのかわからない要因を挙げるとすると、スマホやパソコンの画面をいじったこともある。スマホであればホーム画面の下にメモのアプリとはてなブログのアプリを配置して、パソコンであればブラウザを起動すると自動ではてなブログの編集画面を開くように設定してみたりした。

 と、ここまで書いてようやく原因らしい原因に思い至った。ニュースアプリで記事を読むようになったことだ。これだ。まずこれがあって、ツイッターで記事にコメントをしてツイートをするようになって、140字の制限を窮屈に感じ続けるうちにまとまった文章を書きたくなってきて、メモのアプリやはてなブログフリック入力とキーボードのタイピングが日常のそこかしこに入り込んできて、もはやラジオ体操のような存在になっている。まあラジオ体操なんてふだんほとんどやらないのに、「毎日行う習慣的なもの」の比喩としてこれを使った。この比喩はかつての自分の経験をもとに生み出したものであって、最近の自分の感覚とは乖離していながら、それでいて自分にとってなぜかしっくりくる表現なのだ。

 そしてアウトプットの量が増えたのは私が道具との間に切り結ぶ身体性の変化とも関連がある。これについては別の記事で主題にしようと思う。