遠ざかるほど強くなるもの

 

    アリストテレスの著作、例えば『ニコマコス倫理学』を読むと、原発チェルノブイリなどの現実の個々のエピソードを当然参照できなかったあの時代に「技術」ということについて「テクネー」や「エピステーメー」という概念を作ってものを考えたことの中に色んなものが詰まっていると感じさせられます。

 

あの時代の人々はたぶんこんな風に、考えるための歴史的な個々の事実、材料がほぼない状況の中で普遍的なものについて原理的に考えるということをごく日常的にやっていたんだろうなぁと。

 

ある時期ある人が、個々のものから離れて、普遍的なものを考える。後世の人間が個々の体験、経験とそれを結びつけることで普遍性を確認するプロセスが続く。その意味では普遍的なものは、後世になればなるほど生まれにくくなるような感覚があって。「確認」はできても。

 

皮肉なもんだけど、そういうものとして「世界」を受け入れる態度はあっていいんじゃないか。そんなことをふと感じました。