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Siriたち、或いはGoogleたちについて

27歳 テクノロジー 人工知能 思想 情報科学 日常

 iPhoneに標準搭載されている音声ガイドのSiriは、使えば使うほど利用者の要求にあった対応ができるように学習していく。しかし多くの人はそこまで辛抱強くSiriを使い続けることはないのではないだろうか。一部のヘビーユーザーたちのSiriは、とってもとっても賢いだろう。そして他の多くの、おそらくは大部分のライトユーザーたちのSiriは、ずっと聞き間違いばかりしている。そしてそのうち、全く使われなくなる。Stay SilentなSiri。

 これは何も音声ガイドの領域にとどまらない。昨年から人工知能ブームが続いている。機械にどんどんデータを与えれば、機械はどんどん学習して賢くなっていくとされる。日常的に色々なことをググっている人のGoogleは、そうでない人のGoogleよりもずっと賢い検索ができるようになっているだろう。ヘビーユーザーとライトユーザーのギャップ。AさんのGoogleとBさんのGoogleは、おつむが違うのだ。

 ある企業の機械学習と別の企業の機械学習の学習スピードの違いよりもむしろ、同じ機械学習を使っていながら、ヘビーユーザーとライトユーザーの間で機械の側からのレスポンスの質に違いが生まれていることの方が、もっとずっと本質的な問題ではないかと思うのだが、そういう指摘はネットでは見当たらない。ネットでは人工知能といえば相も変わらず、「我々人類の仕事は人工知能にどれほど奪われてしまうのか」をめぐる冷静な研究者と熱狂的に恐怖を垂れ流す評論家の対立、或いは「介護ロボットで日本経済は復活するかも」のような、国家の行く末を特定の技術進歩によって打破しようといういかにも近代主義的な国民国家像を下敷きとする議論ばかりだ。世界の現実はグローバル化の方にある。

 さて本題に戻ろう。コンピュータをめぐる「デジタル・デバイド」というのであれば、FacebookユーザーとGoogleユーザーのギャップよりも、むしろFacebook内のライトユーザーとヘビーユーザーのギャップ、或いはGoogle内のライトユーザーとヘビーユーザーのギャップの方が問題だろう。なぜならそれは、個々の企業の方針の違いではなく、むしろ利用者の主体性によって、利用者たちが自ら生み出し拡大させているようなギャップであるからだ。何か気になることがあったときに、すぐにググる人のGoogleはどんどん使いやすくなっていくが、その場でパッと調べたりせず、「まあいっか」と流してしまう人のGoogleの精度はなかなか上がらない。もちろん協調フィルタリングによって、同じような類型の利用者どうしのデータの比較を通じたアップデートは進んでいるだろうが、ヘビーユーザーたちの精度よりは劣る。

 利用者がサービスからどれくらいの便益を享受できるかは、そのサービスをどれくらい使うかという利用者の主体性にかかっている。まるでポイントカードの割引サービスのようだ。しかし人工知能(正確には機械学習)を用いて展開されている主要なサービスの多くは、いわばこの「ポイントカードの割引サービス」自体がサービスの中核にある。それはアルゴリズムという形でサービスに体化されている。

 もう少し別の比喩を使うなら、これはいわば、手をかけた子どもが出世して親孝行するのと、放置した子どもがずっと親不孝のままであることの差に似ている。ヘビーユーザーの使うサービスは親孝行的であって、いやどんどん親孝行度を増していって、ライトユーザーの使うサービスは親不孝的であって、親であるライトユーザーはやがて、子どもを全く見なくなる。そんな光景が頭に浮かぶ。

 どんどん使ってください、そうすればどんどん使いやすくなっていきマスカラというマスカラが流行中のようだ。

 

 

※本製品の使いやすさは、マスカラを作っている当社ではなく、利用者皆様方それぞれの主体性、皆様方の自己責任によるところが少なくない点をどうぞご理解ください。

…という但し書きが、空中にふわふわと浮かんでいる。それはほとんど誰にも見えやしない。雲の中にいるときには、雲は見えない。クラウドの中に日常的に浸りきっている私たちは、クラウドがどんな姿をしているのか、ますます見えなくなってきている。

 これが、通販ではAmazon、検索ではGoogle、音声ガイドではApple、「友達」との交流とオススメによる情報収集ではFacebookというようないくつかのアメリカの大企業が自然と作り上げている「アーキテクチャ」の最も先端にあるものの本質である。

 誰にとっても見えにくいものがデバイドを生み出すとき、そのデバイドもまた誰にとっても見えにくい。しかしそのデバイドは、無視するにはあまりに根底的な変化をもたらしている。