読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

言葉と行動

27歳 コミュニケーション 仕事 内省

 言葉ではなんとでも言える。けれど人間は、言葉ではわかっていても行動できないことが多い。言葉と行動とはそれほど密接につながってはいないからだ。ToDoリストやタスクリストを作ったり、予定表に書いたり、他人に宣言したりしても、行動できないままの人はいるものだ。親と子のやりとりでもこの点で衝突が起こったりする。

 

親:どうしてもっと勉強しないの?受験生なのに。

子:うるさいなあ。そんなことはわかってるよ。

 

という風に。人間はわかっていても行動できないままなのだ。わかっているけどできないまま、或いは「わかっちゃいるけどやめられない」というやつだ。おそらく上の親子のやりとりは戦後に始まったものでもなく人類がずっと昔からいろいろな地域や状況で繰り返してきたことだろう。それでも一向にこのやりとりの不毛さから抜け出せないままでいる。がんは未だに克服できない病だが、この不毛なやりとりよりはがんの方が先に克服されるのではないだろうかとさえ思う。こういう不毛なやりとりというのは他にもまだまだたくさんあるだろう。

 

 カマキリは交尾を終えると、メスのカマキリがオスのカマキリを食べてしまう場合がある。いわゆる「共食い」(cannibalism)である。これは何も、メスの好物が紅玉りんごでも黒毛和牛でもなくてオスだからというわけではない。リアル「食べちゃうぞ♡」でもない。或いは交尾があまりにも苦痛で、オスへの怒りが爆発して…ということでもない。産卵に必要な栄養をオスの個体を食べることで摂取するのだ。もっとも「場合がある」という表現に注意してほしい。中には交尾の後でメスから食べられるのを逃れるオスもいるそうだ。オスも自分の命は惜しいと見える。 

 またある種のシロアリ*1は、集団で生活する社会性昆虫であり、自分の属する集団に危機が迫ると、自分の体をひねって体を破裂させ、体内に含まれる毒物を周囲に撒き散らして敵を殺害し、それによって集団を守る。人間の感覚でいえば「自己犠牲の精神」というところだろうか。

 どちらの例でも、そこに言葉は存在せず、ただ具体的な行動があるのみである。ああだこうだと言い訳もしない。ただ人間だけが、言葉に頼って行動から遠ざかっているようにすら見える。言葉は便利だ。記録できるから後から振り返ることもできるし、その場にいない相手に自分の思いや考えを伝えることもできる。アリだってフェロモンを通してコミュニケーションをしているのだ。また自分の考えをまとめることにも役立つ。だが一方で言葉は、行動から遠ざかることに一役買っている面もある。なにも職人的に黙って行動で示せというわけでもないが、言葉の使い方には気をつけたいと改めて感じた。

 不毛なやりとりは、文字どおり不毛であることがわかったならば、口を閉じて行動するだけだ。その点では人間よりも他の動物の方がよほど立派だと思う。

 

参考記事

[1] 共食いについて:共食い - Wikipedia

[2] シロアリについて:

karapaia.livedoor.biz

 

*1:正確な学名は「Neocapritermes taracua」