心境の変化

 なんだかここ数日の間、いや1、2週間の間かもしれないが、最近自分の中で心境の変化が起こっているのを感じる。それもいい意味で。「心境の変化」というと、はじめのうちは自覚がなくて、だいぶ時間が経ってから「思い返してみればあのとき…」と気が付くものだと思っていたけれども、今回のようにリアルタイムに近い状態でそれに気付く場合もあるらしい。

 特に何か大きな外的変化に直面したというわけではない。職場が変わったわけでもないし、恋人と別れたわけでも、身内に不幸があったわけでも、優れた書物に出会ったというわけでも、旅に出たわけでもない。1ヶ月前の生活と、ここ最近の生活の間で大きく違うところは特にない。それなのに心境は確かに変化し、それに呼応するように私の行動も後から変化した。

 

I→P→O

 インプット(I)があって、それについて内部で処理(P)が行われ、それがアウトプット(O)として外へ出てくる。これはコンピュータの情報処理の基本図式だ。さしあたってこれを参考に、私に起こった心境の変化について考えてみる。

 心境の変化は内部での処理だとすると、それを引き起こすようななんらかのインプットが外から与えられているはずなのだが、そういうものが何も思い当たらない。何があったっけ…。

 アウトプットの方の変化ならいくつか挙げることができる。

  • 自炊をちゃんとするようになったこと。
  • 以前よりも一層感情に流されないでしゃべるようになったこと。
  • 職場での自分の動き方が変わったこと。
  • 頭の中だけで考えずに、必ずアプリにメモを取るようになったこと。(いわゆる「ゼロ秒思考」の実験として)
  • 以前よりも他人に色々なことを気軽に相談できるようになったこと。

 

…と、ざっと思いつくものを挙げただけでも5つの変化が起こっている。これらは自分の心の中での変化に対応した、アウトプットということになるだろう。心境の変化に対応するアウトプットは、どれもよいアウトプットばかりが浮かんでくる。

I→P→Oについて、I→A→Oをもとに考える

 では「これらの変化を引き起こした原因である『インプット』は何なのか」という問題に戻ろう。ここで一つ補助線を引いてみる。意図(I)と行為(A)と結果(O)の対応関係というのがそれだ。先ほどのI→P→Oに倣って、これを「I→A→O」と表現することもできる。

 ここで一つ具体的なケースを考えてみる。電車で席が空き、自分以外の誰もそこに座らないという状況に私はたまに遭遇する。そういう時、私の中では二つの思いが浮かんでくる。

「座れば楽だなあ」・・・(どちらかと言えば)よからぬ意図

「自分が座れば車内の混雑率の軽減に貢献するなあ」・・・よい意図

私がどちらの意図で席に座ったとしても、引き起こされる結果は「車内の混雑率の軽減」だ。もしもその場に優先的に座るべき人物が特にいなければ、これは「よい結果」と言えるだろう。私の意図がどうであれ、それは変わらない。

 よい意図からはよい結果がもたらされ、よからぬ意図からはよからぬ結果がもたらされると考えられがちであるが、必ずしもそうとは限らない。

意図→よい意図+悪い意図

結果→よい結果+悪い結果

と分解して考えると、最大で次の4通りの対応関係が考えられる。

 

①よい意図からよい結果が生まれる場合(英雄パターン)

②よい意図から悪い結果が生まれる場合(悲劇パターン)

③悪い意図からよい結果が生まれる場合(結果オーライパターン)

④悪い意図から悪い結果が生まれる場合(悪人パターン)

 

 上の4つのうち、①が高く評価され、②と③は同等、④が最も低く評価される。が、②と③は①と④に比べるとあまり意識されないでいる。人間を評価するときには基本的には①か④のどちらかに分類されがちであるように思われる。

 ここで「ところで行為(A)はどうなったのか」と思われるかもしれない。意図と結果はよいと悪いに分けることができたが、「行為」というのはそれ自体によいも悪いもない。「よい行為」とか「悪い行為」と呼ばれるものは、厳密に言えば「行為の結果」のことを言っているのであって、行為そのものを指しているわけではない。ある行為がよい結果をもたらせば、「よい行為」と呼ばれるし、逆もしかり。行為は単独では評価されず、その結果と結びついて評価される。

 また行為は、意図と結びつけられることもある。ただしこの場合も最終的には結果の良し悪しが優先される。よかれと思ってやったことなのに、悪い結果をもたらしてしまったというとき、多少の酌量はされても、やはり結果が悪ければ評価は高くない。

 さてこのように、意図と結果は「よいーよい」「悪いー悪い」という風に単純には対応していないことがわかる。*1これをI→P→Oの方に当てはめると、よいインプットがよいアウトプットにつながるとは限らないし、逆もまた然りということになる。

 

とある言い草とI→P→O

 ここで心境の変化をもたらしたインプットは何だったのかという問題に戻る。よいアウトプットが必ずしもよいインプットに対応しているとは限らないのだとしたら、今回の心境の変化をもたらした原因も、よいものだったとは限らない。もしかしたら何かに悩んでいるうちに、結果としてはよいアウトプットにつながったということかもしれない。「人は悩み苦しんで成長する」とはよく聞くけれども、あれは満更でもないということなのか。これはI→P→Oのフレームワークに当てはめると、

I:悩みの原因となるよからぬこと(マイナス)

P:悩み苦しむこと(マイナス→プラス)

O:成長(プラス)

という風に振り分けることができる。これはさきほど考えたI→A→Oの分類で言えば③の結果オーライパターンということになる。今回私が経験した心境の変化もこのパターンなのかどうかはわからない。インプットがマイナスなのかプラスなのかがわからないからだ。

 そこで今度は、インプットの性質がよいものであれ悪いものであれ、それがわかっていなくても結果の良し悪しを別の方法で予測することは可能かという問題が立つ。

…たかだか一つの心境の変化に対して、こんな「フレームワーク」だの何だのと小難しいことを持ち出すのはどうかしていると思われるかもしれないが、考えを整理するのにはいくらか役に立った。

*1:そうだとしたら、因果律を厳密に信じるなら結果に対応する「真の原因」は何かということを考えたくなる。だがこれはまた別の機会に譲る