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階段

 両脇には壁も手すりもなにもない、終わりの見えない階段がある。その階段の上にいるのは私だけであって、辺りを見回すと、私の見知った人や、見知らぬ人びとが、それぞれに階段を上ったり下りたり、目を瞑って階段の脇へジャンプして、底の見えない遥か下の方へ落ちていったりしている。

 私は私の階段の上で、上を目指して上り続けるということを止めてしまい、ずっとうずくまったままでいる。私はいつになれば立ち上がり、また階段を上り始めるのか、わからないまま、階段は下の方から少しずつ崩れてきている。モタモタしていたら、やがて私の足元の階段もやがて崩れて、私も遥か下に落ちていってしまうだろう。

 そういえば昔、誰かにこんなことを聞かれたことがある。階段を上りきったら、その頂上にはドアがあって、そのドアを開けると、実は遥か下の暗闇とつながっている。私たちの誰一人として、遥か下の暗闇へ行かずに済む者はいない。それならばなぜ、わざわざ階段を上り続ける必要があるのかと。

 他の人びとよりもずっと歩みの早い者や、スタートを切るのが早かった者、運良く階段の段数をスキップして飛ばした者のいくらかは、まだ自分たちよりもずっと下の方から、それぞれ自分用の階段を上ってくる他の者たちにこう言う。

「階段の上の方はすばらしい景色が広がっている。あなたたちもきっと、ここまでやってこられるはずだ。」

 階段を上るのをやめた者もいる。実はもっと上まで段は続いているのに、それは透明だから、本人には見えておらず、彼・彼女はもう、自分は上りつめたと心の底から信じきっている。或いは、実は上にはまだまだ段が続いていることを知っていながら、そんな段などないし、私はもう疲れたからこの辺でいいだろうとまくし立てる者もいる。

 階段は一人一人、別々になっているものの、階段の姿形や色、その勾配などは似通っているものも少なくない。初めはそれぞれ全く違っていた階段は、その上を歩く者が上へ上へと歩みを進めるにしたがって、次第に他の者の階段と似通ってくるのだ。

 また、自分用の階段のすぐ隣に、並行して続いている別の階段があり、自分と同じ速さでそちらの階段を上り続ける者もいる。それは大抵は二人であったり、数人であったりするけれども、時にはもっと多くの階段が一列に横に並んでいることもある。

 並んでいる階段の数が、二つであったり十を超えないくらいの数の時には、その上を歩く人びとは同じペースで上り続けることが多い。けれども並んでいる階段の数が数十、数百ともなると、一見ペースが揃っているけれども、皆が全力で上へ駆け上がっていく。皆が全力であるがために、その全力のペースゆえに、横並びになっている。

 私は、今もうずくまっている。立ち上がらなければならないという声が、私の内側から聞こえてくる。誰かにそう言われているような気がする。本当は誰も、そんなことは言っていないにも拘らず、私は皆からそう言われているような気がする。

 階段の脇には、そのまままっすぐ上と下へ向かって暗闇が広がっている。よろめいたり、少しジャンプをしたりすれば、私はその暗闇の中に音もなくすうっと飲み込まれて、もしかしたら誰も気がつかないままかもしれない。しかし私はまだ、階段の上にいる。上ってはいないけれども、よろめいて踏み外したり、あるいはジャンプすることもなく、階段の上にいる。

 時々暗闇に吸い込まれた者の話を耳にする。そのほとんどは私の知らない誰かであって、しかし私はなぜか、階段を上り続ける私の知り合いの人びとよりも、顔も名前も知らない、やりとりを交わしたこともない、そしてもう交わすこともできない、暗闇へ飲み込まれた人びとの方に、親しみを覚えるような思いがする。

 暗闇を遠ざけようとしながらも、私は今は、暗闇に随分近いところにいるのかもしれない。階段の下の段は、比較的はっきり見ることができるが、私の上に続く段の方は、一段先すらよく見えない。

 階段は、エスカレーターでもない。ましてやエレベーターでもない。足を使って上るしかない。せめてそれが、私の好きな螺旋階段であってほしいなあと思う。