箪笥(たんす)と街路樹

 一番上の抽斗(ひきだし)には、手袋やマフラーや帽子の様なアクセサリーや下着を、二番目にはTシャツやワイシャツなどのトップスを、三番目にはボトムスを、その下には…という風に、箪笥のそれぞれの抽斗へ、衣類を仕分けてしまっていく。服を着るときになれば、どの抽斗からどれを出して着るかをすぐに決めることができるように。

 箪笥の中にあまり洋服が入っていないと、どこか寂しい様な気がして、もっと多くの服を入れたくなってくる。同じ抽斗の中に色々な服が並べられていて、どれにするか選べるくらいに。箪笥が大きければ大きいほど、そういう願望は大きくなるのかもしれないけれども、家がそれほど大きくなければ、そんなに大きな箪笥を置くわけにもいかないから、ある程度は箪笥の大きさに制約がつく。私の実家の箪笥は、確か五段の箪笥だった。一人暮らしをしている今の自宅には箪笥はなく、私の衣類は幾つかの場所に分散して収納されているが、ベッドの下部に付いているわずか二つの抽斗に、その殆どがしまわれている。

 洗濯をして、暖房の効いた部屋で干していると、洋服は割とすぐに乾く。だから乾いたものからせっせと畳んでいくのだが、ベッドの下に入りきらないこともある。そういうときは仕方なく、ひとまずフローリングの上に重ねておく。ベッド下の衣類から着る様にしているから、ある程度空きができたら、外に置かれた服をしまっていく。抽斗というのは、どの抽斗であるかによって中身がわかる様に分類するから、外に放置しているよりも、物を把握しておくのに却って都合がよい。散らかった状態の方が好ましいというタイプの人もたまにいるけれども、整理魔の気がある私の様な者の場合には、完全に逆であり、外に出しているよりも自分で決めたルールに沿ってそれぞれのものをそれぞれの場所にしまっている方が、全体像をつかみやすい。特に私の場合は、今は一人暮らしであるから洋服の数に限りもあるし、またその管理は全て私一人で行っていることもあって、洗濯機の中にある洗濯物まで、常に把握しておくことができる。これが女性との同棲ともなれば、そうはいかなくなるだろう。それは別に悪いことでもない。ただそうだというだけだ。

 抽斗にしまわれた洋服たちを全て把握しているのと同様に、私は数百冊ある自分の本も、おそらくは全て把握している。本のタイトルを言っていけば、時間はかかっても網羅することができるだろうと素朴に信じている。もちろん単なる過信かもしれないが。

 さてそれでは、私の頭の中はどうだろう。私の頭の中というのは、ワンルームの私の自宅や、市営住宅である実家の様に、スペースにほぼ限りがない。その気になりさえすれば、実にたくさんのことを、たくさんの抽斗にしまっていくことができる。それはまるで高層ビルのように巨大な箪笥を連想させる。高層ビルの一室一室が、それぞれ抽斗になっており、鍵を開けると中にはまた高層ビルのミニチュアが並び、そのミニチュアの一室一室がそれぞれ抽斗になっており、ミニチュアの鍵でドアを開けるとさらにその中も…という風に、私の頭の中では、マトリョーシカ状に抽斗が続く。マトリョーシカは、私のこの脳内の高層ビル状の箪笥の極めて単純化されたバージョンであると言える。なぜならそれはある階層の一つ下の階層には、常に単一の階層しか存在しないからだ。1の中に小さな1があり、その中にまた1が…という風に、実に単純な階層をなしている。一方でこれをもう少し一般化すると、1の中に複数(例えば10)があって、その複数のそれぞれの中にもまた複数がしまわれていて…という様な場合も考えられる。一つの部屋の中には10のミニチュア高層ビルが、そのミニチュア高層ビルには100の部屋があり、そのそれぞれの部屋の中にはやはり10のミニチュア版ミニチュア高層ビルが…という風に。

 アルバイト先の校舎へ向かう道には、枝がむき出しになった街路樹が立ち並ぶ。一本の幹から複数の大枝が伸び、大枝のそれぞれから複数の中枝が分岐し、さらにそこから複数の小枝が分岐している。そんな街路樹が、何本も何本も並んで道路の脇に整列している。箪笥は、自分の抱える抽斗を、自分自身で作り出すことはできない。誰かが作った様にできているだけであって、抽斗の数も、大きさも変わったりしない。ただし、もしも同じ大きさの抽斗があるならば、それらは入れ替えることができる。それぞれの抽斗は独立している。ちょうど高層ビルの住人たちが、それぞれ独立している様に。一方で樹は、幹のサブカテゴリーたるその全ての枝を、環境という「外」との関係から、自分自身の造形力によって生み出す。しかしその造形力は、全ての枝との間に連絡通路を必要とする。それは幹自身、或いは枝自身が、枝を分岐させるための水と養分との、通り道になっている。だから樹は全てつながっている。だからどこかとどこかを入れ替えることなどできない。

 箪笥と街路樹と、私の頭の中と、この三つはどう整理をつければいいだろう。そしてまた、そもそもこの整理自体、箪笥−抽斗〔断絶〕的なアプローチがいいのか、樹−枝〔連続〕的なアプローチがいいのか。私はひとまず、後者で進めてみることにした。