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証明書

27歳 内省 日常 文学 東京

 これさえ満たしていれば一人前であると、人々から認めてもらえるもの、他のことが全てアウトであろうとも、そこで結果が出せてさえいれば、他の過ちは全て大目に見てもらえる、営業成績だとか、数字だとか、そういうものにだけ自分を捧げてしまって、電車の中ではマナーを守ることさえできなくなってしまった様な人間を、たまに目にする。彼は、きっと会社ではすごくよく働いていて、或いは学校ではすごく勉強して、すごくいい成績を収めているのだろう。いかにもという感じのスーツを着て、いかにもという感じの身のこなしと、いかにもという感じの喋り方を身につけて、それらをアリバイに、電車の中で酔いつぶれて、或いは大きな声で喋ったりして、平気な顔をしている。或いは、恋人を相手にするときだけ優しくて、注文を取る店員には横柄な態度をとる。初対面なのにタメ口を聞いて消費者は偉いという考えを無自覚に信奉しているかのようなそぶりを見せる。

 

端的に言って、私はずいぶん前からそういう人間が嫌いだ。「ずいぶん前」というのは、私が東京に出てくる前からだ。こうして振り返ると、上京してきてもう7年以上が経った。

みっともない、

だらしない、

品がない、

低俗だ、

そういう人間を見ていると心の中にありとあらゆる罵倒の文句がどこにあるかもよくわからない泉からどんどん湧き出してくる。それらは外へは出てこないで、もう一度内側へしまい込まれる。

 反芻動物である牛は、一度食べたものを胃で消化するとき、胃に入ったものを再び口に押し上げてきて、口の中でそれをまた咀嚼し、また胃袋へ返すということをやる。そうして胃と口の中とを往復させられた食べ物は、きわめてよく消化される。私が私の中から喉元まで上がってきたものを再び飲み込むとき、私は何かをよく消化することができているのだろうか。

 トラウマを克服するためには、トラウマを生み出す原因となった記憶を書き換えることが有効であると、フロイトは考えた。一度自分の中へ奥深く沈み込み、そこでずっと沈殿しきって図々しく居座り続け、時として自分がそこにいることを証明しようとしているかのように、私をして思ってもみなかった言葉を走らせたり、或いは正気でなければしなかった様なことをさせたりすることで、奥深くに沈み込んだそれは、外へ向かって自己主張を行う。

 うっかり外へ漏らさない様に飲み込んでしまった私の不満の思いは、牛とフロイトのどちらの側に置けばいいだろう。

 二つのものがあって、それは互いに対応している。一方がこうであれば、他方はこうなる。他方がそうなれば、一方はそうなる。そういう二つのものがあるとき、どちらかが現実であって、どちらかはその「写し」、或いは「印」なのだとしたら、もしもその現実と写しとの関係がはっきりしていれば、現実の方を直接確かめなくとも、写しの方を見ていればよい。科学はそういう風に考える。もしも現実の方が気になれば、いつでも実験によって確かめてみればいい。そこには、先人が既に打ち立てた現実と写しとの関係が、確かにあるということがわかるだろう。そうして二つのものが結びつけられた後には、大抵は写しの方へ目が移っていって、写しの方に問題がなければ、現実の方にも問題はないという風に、自然と判断するようになる。

会計に不審な点がなければ、その会社はきっとうまくいっているのだろうという風に。

或いは営業成績トップのあいつが、まさか電車の中で足を投げ出して平然としたりはしないだろうという風に。

 現実の方は、いつでも情報が多すぎて、誰かが他の誰かの全ての現実をフォローし続けることは原理的に不可能だ。親や恋人や親しい友人であったって、誰かの全てを見ているわけにはいかない。それぞれの人生がある。だからどうしたって、現実はそのままでは評価できず、圧縮されなければならない。そうして圧縮されたものが、ある種の評価のものさしとして、その人間の様々な側面を物語ってくれると考える。便利な考え方だ。経済学を学んだ者としては、この考え方にそれほど強い異存はない。しかし、対応関係を誤るのは困りものだ。ある一つのことだけで、その人の10や20の言動を説明できたとしても、そこに掬い取られない30や40の別の言動が、常に存在している。それはその人個人の存在が持っている存在の広がりの大きさであって、また同時にそのときの世界の広がりの大きさでもある。

 金魚すくいで掬い取られた金魚が、掬い取られなかった金魚までも代理することはない。線路に誰かが立ち入って、そうして電車が遅延し、改札で受け取った遅延証明書は、遅延の証明書にはなっても、線路に人が立ち入ったことの証明書にはならない。

 何が何の証明書であるのか、何が何の圧縮されたものであるのか、何が何の写しであるのか、牛にもフロイトにも金魚にも伺いを立てることができない私は、彼らをよく見て自分で考えることにした。