私と元号

 今年のクリスマスイブは、27年間で最悪のクリスマスであった。私はその日、職場に自宅の鍵を忘れてきてしまい、自転車で深夜に帰宅して鍵を開けようとしたときにそのことにようやく気がついて呆然とした。隣人に一晩だけ泊めてもらえないか頼んでみたが、案の定断られた。もとより期待などしていなかったが、折に触れ私がその隣人に対して抱き続け、あるいは強まっていった侮蔑の念が、そのときより一層強まっただけであった。

 私は仕方無く外で一夜を明かした。思えばこうして外で一夜を明かすのは、数年前に自転車で箱根まで行き、現地で旅費に事欠いて、仕方なく箱根港のバス停で野宿した時以来であった。私はその当時の寒さと、腰を下ろし凭れ掛かった壁の硬さとをこの時思い返し、このイブの出来事を「第二次箱根フェノメノン」と名付けてTwitterでツイートした。私は玄関の脇の階段に座り込み、蹲って数時間を過ごした。

 やがて夜が明けて、大家さんに電話をかけた。私は大家さんの自宅の電話番号を以前に伺っていたのだが、それを書いた紙は私の自宅の中で、私はそれを携帯の連絡帳に記録していなかったので、別の隣人に事情を説明して番号を聞き、電話を貸してもらった。電話でやりとりした結果、鍵の業者を呼んで開錠してもらうことになった。

 

 業者は30分もしないうちにやってきて、早速作業を始めた。作業が済むまでの間、私は大家さんと少し話す時間を得た。母の歳を聞かれたので「19××年生まれです」と西暦で答えたところ、大家さんは私が元号でなく西暦で覚えていることに感心の意を示した。その反応は、私にとって妙に印象的であったので、その後も何度か思い返し、その意味を考えた。

 

 私にとっては、元号で歳を記憶するよりも、むしろ西暦の方で記憶する方が自然な感覚であったのだが、大家さんにとってはそうではなく、元号の方で記憶する方が覚えやすいらしい。リーマンショックといえば2008年であり、東日本大震災といえば2011年であり、9.11といえば2001年であるという風に、私は出来事を西暦で覚えることにすっかりなじんでいる。私自身そう思っていた。

 

 しかし、後になってこのことを思い返してみると、私もまた、西暦で出来事を記憶するよりも、元号の方で記憶する方が都合がいいのではないかという風に、一転して考えを改めるようになった。それは、アルバイト先のことが関係している。私が塾講師をしている塾の生徒には中学3年生が多く、彼らの歳に私はどんなことを考え、どんな気分で過ごしていたかということを、いわば考古学的に調べてみようと思い立ったことが、この考えの一転のきっかけだろうと思う。当時の自分を知るために、私は自分が中学3年生の頃にどんなテレビ番組(主にドラマ)や映画を見ていたかということをインターネットで調べた。私が中学3年生だったその年は、西暦でいえば2003年の4月からから2004年の3月にかけてであり、私は始め、計算を誤って2004年のテレビ番組を調べていた。私は高校1年生の頃ということになる。後でその間違いに気付き、2003年で調べ直したが、どうしてこういうミスをしたかと考えてみると、そもそも私が自分の中学3年生だった年をすぐに思い浮かべることができず、「計算」していたからだということに思い至った。

 そもそも私はどうして計算する必要があったのだろうか。自分の身に起こったことなのだから、そんなことをしなくても、「ああ、中学3年生の頃といえば○○年か」とすぐにわかりそうなものである。私がそんな風にすぐにわからなかったのは、時系列の記憶に私はめっぽう弱いという、以前から自覚している私の欠点のためだろうと思い至った。しかし、そこで止まっていてはいつまでも先へ進めず、暗いところは暗いままになってしまう。私はそこでいつも、「それでは何故、私は時系列の記憶が弱いのか。他のことならば人並み以上に記憶しているという自負さえある私が、どうしてこの時系列上の出来事なると、途端に人並み以下のお粗末な記憶しか持たないのか。」という更なる疑問を思い浮かべ、遺伝的な要因でもなければ、歴史への無関心でもない、何かうまく表現できないでいる要因によってであるという漠然とした解答以上の解答を、私は持てないまま、ついに27歳を迎えてしまっていたのであった。私が小学1年生の頃の担任だったO先生は、時系列に強かったか覚えていないが、おそらくは私よりは強かったのだろうと思う。27年分生きてきても、私はO先生に並ぶことのできないままでいるところがあるということが、私を不穏な気分にさせた。

 

 しかし、そんな私の以前からの疑問は、ここへきてようやく氷解した。私は昭和63年生まれであるから、元号に合わせて自分の年を考えることができる世代である。つまり平成27年に私は27歳を迎えることになるし、あと数時間もすればやってくる平成28年には、私は28歳を迎えることになるとすぐにわかる、そんな都合のよい歳に生まれている。だから、私は元号の方で年代を記憶しておれば、その出来事が起こったとき、自分は何歳であったか、したがって自分は学校でいえば学年がいくつであったのか、そういうことがすぐに割り出せるはずである。こんな単純なことに今まで気がつかないで、私は何故か、出来事を西暦の方で記憶していたのだ。だから、リーマンショックといえば2008年と、私はすぐに答えることができても、ではそのとき私は何歳であったかという問いには、すぐに答えることができない。だから、そこから先に控えているいくつもの問い、例えば「ではあなたはその歳にどんなことを考え、どんな気分で日々を過ごしていたのか。」といった問いに、答える準備さえできない。しかし、もしも西暦2008年が、元号でいえば平成20年であるとわかっていれば、私の視界は一擧に開けてくる。平成20年ということは私が20歳を迎える年であり、したがって私は成人式に参加するために地元の福岡県に帰省したことを思い出すことができる。それはリーマンショックが起こる数か月前の出来事であることもわかる。そのときはまだ、その年の後半に金融危機が起こるなどとは露ほども知らず、成人式で羽目を外して騒ぐ地元の一部の人間たちを軽蔑しながら、そしてその軽蔑の眼差しは、私がかつて東京へ上京する前、地元で過ごしていた頃に私が読書を通じて強めていった、周囲の人々への眼差しの原型であったということを漠然と感じていたことも、私は次々と思い出すことができる。

 

 私はこれから、過去の出来事について、それが起こったのは元号でいえば何年であったのかということを、はっきりさせる作業に取り掛かろうと思う。その作業を通して、私は少しずつ、私自身についての歴史を回復させることができるだろう。そしてまた、西暦でなく元号を通じて出来事を考えるという、大家さんがごく自然に体得していたあの感覚を通して、私は明治や江戸(寛永や文久などのいくつもの元号)に生きた人間たち、あるいはもっと遡り、元から攻撃を受けた文永と弘安の人々、さらには大化の人々の心情に、これまでの西暦式とは異った気分で、入り込んでいくことができるかもしれない。