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甲州街道につかまって

 先週の金曜日に経験した、鳥肌の立った出来事について、その印象の強度が弱まっていく前に、文章にしておこうと思う。

 私はその日、深夜の3:30まで開いている渋谷のスクランブル交差点のところのスターバックスの店へ行った。私は店にいるとき、ふと思い立って、いつもとは違う道を使って帰ってみようと考えた。いつもであれば、私はまず西武百貨店のところから井の頭通りに入り、そのままずっと井の頭通りを走っていって、甲州街道高井戸通りや環状八号線を突っ切って、山崎パン杉並工場の近くの、ローソンのある交差点から左に曲がって、両側に住宅が並ぶ道を、井の頭通りに平行にずっと進み、久我山4丁目の交差点を左折して、突き当たりに出るまで200mばかり走り、突き当たりを右へ曲がって、やはり井の頭通りと平行に走る道を進み、あるところで左で曲がって、その道を下り、井の頭線の線路と平行に走る道を進んで、やがて踏切に差し掛かったところで線路の向こうへ渡り、三鷹台駅前通りを走って交番が見えたらそこで左に曲がって…と、そういう経路で自宅へ帰る。

 しかし、この時の私は、西武百貨店の方へは行かずに、まずは道玄坂を上って、そこから淡島通りに入って、その道をずっとまっすぐ進んで環状八号線に出て、井の頭通りにぶつかったら井の頭通りに入って、あとは山崎パン杉並工場以下のルートを進めばいいと、そういう風に思っていた。そういう経路を使えば、もしかしたらいつものルートよりも早く自宅に着くかもしれない。新しい方法を試してみることが重要なのだ、そういう風に思っていた。そしてそういう心積もりにしたがって淡島通りを進んでいった。

 道をずっと進むと、途中で右の道を行くか左の道を行くか選ばなければならないような地点があった。私はそこで左の道を選んだが、後で確認したところそれが間違いのもとで、私はそこで右の道を選ぶべきだったのだ。左の道を選んだ私は、やがて京王線八幡山駅を通った。想定していたルートでは、この駅を通るはずはない。私はそのとき、道を誤ったことに気が付いた。いや、本当は左の道を選んだときに薄々間違ったような感じがしていたのだが、八幡山駅を通ったところで、ようやく自分の間違いを認めたという方が正しいかもしれない。しかし、私はそこで引き返さず、そのまま道を進み続けた。するとまた5つか6つほどの道が合流する場所へ差し掛かった。2度目の選択である。私はまっすぐ進んだところで直感的にこれは違うと感じ、引き返して右へ曲がった。電柱に記された町の番地を確認しながら進んでいった。そこには久我山と書かれていて、思いがけず自宅のかなり近くまでやってきていたことが知れた。私はそこでいささか得意げな気分になった。新しい道を見出した、この道は、今まで通ってきた馴染みの道に比べて、車通りもはるかに少なく、慣れれば時間を短縮することができるかもしれない。冒険の甲斐があったと、そう思いながらペダルをこぎ続けた。もう直ぐ自宅の近くのどこか見慣れた道に出るに違いない。もともと想定していた道とは違って環八通りを通らなかったが、それはまあよしとしよう。結果オーライだ。私は深夜の疲れも忘れて、意気揚々と走り続けた。

 やがて大きな通りに出た。私はその道を環八通りと思い誤って、右へ曲がって道沿いに進み続けた。ところがなんだか様子がおかしい。私はこの通りに出る前、久我山と書かれた標識を見たはずだが、通り沿いにあるコンビニには「杉並区」とか「高井戸」と書かれている。おまけに標識には新宿まで「○○km」とある。こんな通りは自宅の近くにはなかったはずだ。しかしそれでも、「高井戸」という表記から、私はこの通りがやはり高井戸通りなのだと素朴に信じた。そうだとすれば、やがて井の頭通りとぶつかるはずだ。まあいい、いささか遠回りになってしまうが、一応環八通りに出たのだから、これはこれでまた結果オーライだと考えることにしよう、そう思いながら走り続けた。

 自転車に毎日乗っていると、どれくらいペダルを漕いだら、どれくらいの距離を走ったことになるかということが、体感でわかるようになってくる。だから、通りをいくら走っても井の頭通りにぶつからないことが不可解で、もう自分は3kmくらいは走っているはずなのに、一向に大きな通りにぶつからないのはどうしたことかと思った。そして私は、一度自転車を止めて、iPhoneの地図のアプリで現在地を確認しようとした。しかし、iPhoneは画面がつくとまたすぐに消えてしまった。バッテリーが切れたらしい。仕方がないので通りをそのまま走り続けていると、私の目に入った標識には信じられないことが書かれていた。

 

「永福町」

 

 内心では一体何が何やら全くわからない状態のまま、私は淡々とペダルをこぎ続けた。やがて私は井の頭通りにぶつかったが、それは環八通りを走っていたらぶつかるはずのない地点であって、私はここでようやく、自分が環八通りだと思っていたこの通りが、実は甲州街道であったことを知った。私は甲州街道に絡め取られて、信じられないことに自宅から遠ざかるように数kmも走っていたのである。この事実にぶつかった私は、打ちひしがれたような気分になりながら、それでもペダルをこぎ続けた。井の頭通りは走り慣れた道だから、私は何も考えなくても淡々と走り続けて自宅まで行くことができる。自宅に着くまでの間に私の心を捉えていたのは、この一連の予想外のもつ意味であった。

 

 この出来事は、私にとって象徴的に思われた。こちらの方がいいのではないかと生意気に思いつきを実行し、その結果全くもって非効率な結果に陥る。結果に至るまでの間に、自分自身どこかおかしいと感じ続けているのに、それをうまく活かすことができず、盲目であるのと変わらないような状態になってしまっている。そして自分が進むべき道を示すはずのコンパスが、ちゃんと機能しない。私が今生きているこの時代そのものを示す縮図のようなこの経験に、私は鳥肌が立つのを感じた。