日本でもフランスでもなく、ベルギーのとある地区からテロ事件を見るということ

 今週出たニューズウィーク日本版*1「この戦いは「文明の衝突」ではない」というタイトルの記事を見て、虐げられる側の立場の思いを汲み取ることの難しさということについて考えた。記事から少し引用しよう。

 欧米でテロを行う「聖戦士」の特徴は今やおなじみだ。貧しい移民地区で育ち、盗みなどの犯罪や麻薬とアルコールに走る無軌道な若者で、学校を中退し、失業するか、落ちこぼれの疎外感を抱いている。

 そんな彼らに転機が訪れる。欧米社会を逆恨みする若者なら、誰でものめり込む憎悪に満ちた「宗教」との出会いだ。

 こうした経歴はそのままアブデルハミド・アバウドに当てはまる。パリ同時多発テロの首謀者とみられ、18日に警察との銃撃戦で死亡したアバウドは、ベルギーの首都ブリュッセルの貧しい移民の街モレンベーク地区の出身。多くの移民と同様、両親は子供たちに十分な教育を受けさせようと、身を粉にして働いた。アバウドは首都の裕福な地区にあるカトリックのエリート校に入学した。

  ここで取り上げられているイスラム国のテロの首謀者の一人アブデルハミド・アバウドの出自と育ち方、出会いを丹念に追っていくことによって、イスラム国を一枚岩の総体として捉え、いきなりそれとフランスという国とを対立させたり、さらには欧米社会を対立させたりする短絡から距離を置くことができるかもしれない。このアバウドという一人の若者を見ていると、カトリックのエリート校に入学したと書かれてある。初めからイスラム教圏に身を置き、その文明圏の中でアイデンティティを獲得したのではなく、初めはキリスト教圏の側にいたのである。それでは彼はどのようにしてイスラム教圏の側へ移ったのか。記事からもう少し引用しよう。

 その後の彼の軌跡は典型的だ。非行で退学になった彼は麻薬に手を出し、アラブ系の不良グループと付き合い、刑務所にも入った。この頃の仲間が今回のテロの共犯者ブラヒムとサラのアブデスラム兄弟だ。彼らもアバウドと似たような経歴を持つ。

 昨年にある時期、アバウドはシリアに渡り、新たなアイデンティティーを獲得した。テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)に忠誠を誓う「聖戦士」だ。宣伝動画に登場する彼はまるで水を得た魚のよう。トラックで遺体を引きずり回しながら、不敵な笑みすら浮かべている。反社会性人格障害と思われるアバウドはISISにうってつけの人材だった。

 「類は友を呼ぶ」という。同じような育ち、同じような境遇を抱える人間同士は簡単に結びつく。それ自体がいいとか悪いと決めることはできない。今回はその結びつき(刑務所でのアバウドとアブデスラム兄弟の結びつき)が、「テロ」という形で悪い方へ展開したケースだと言えるだろうが、類は友を呼ぶが一般に悪いということはできない。

 記事は1ページで終わっているから、アバウドの生涯についてはそれほど詳しく語られていない。それだけにいろいろな疑問が浮かんでくる。そもそも彼はどうして非行に走るようになったのか。何か家庭内に問題があったのか。彼の非行、あるいは彼の家庭は、彼が育ったブリュッセルの街、モレンベーク地区の治安や行政サービス、地域社会などと関係があるのか。反社会性人格障害*2というのは、私たちの暮らす社会と無縁ではないのではないか。彼の場合はISISへの関与という方向に進んだが、この障害を抱えると思われる人々は他にどういう方向へ進むものなのか。そしてそもそもこういう障害は疫学的にどう扱われているのか…。

 こうした様々な疑問点の中で、例えば「非行に走る若者」という点を取り上げると、何もベルギーに限った問題ではなく、日本でもおなじみの問題ではないだろうか。ベルギーという国はそもそも、フラマン語*3公用語とするフランデレン地区、フランス語を公用語とするワロン地区、そして人口比では1%であるもののドイツ語が公用語である一部の地区の3つが同居して成り立っている国だ。それでは今回のテロで特にクローズアップされているモレンベーク地区とはどのような地区なのだろうか。私は同地区について、全く知らなかった。おそらく人生で初めて見聞きした地区ではないかと思う。そこで調べてみると、すでにモレンベークがどういう地であるかということを書いた記事があった。

blogos.com

  テロが起きてすぐという頃に書いた記事では、記憶ということを焦点にして記事*4を書いた。そしてその数日後には、記憶ということについて、立場の違いによって記憶がどう異なるかということを「ドラえもん」を使いながら論じた記事*5を書いた。

 しかしイスラム国を実際に構成している個々人の出自を記した記事*6をいくつか見ていくにつれて、単に「虐げられた」というその記憶だけに問題を還元しきれない複雑さがあるように思われてきた。歴史上の出来事をそれぞれの立場の人間がどう記憶するかという意味で、記憶という問題は重要だと思いつつ、そこへ至る思考のプロセス、どういう意味で記憶が問題とされなければならないかという点について、問題をもういちど捉え直す必要に迫られているように思われてきたのだ。

 現実には、テロ活動の暴力性の中に生きる目的や方向性を見出すという関わり方でISISに加わる若者たちもいる。混迷を極める政治情勢と、それに輪をかけて進む治安の悪化によって、仕事や希望を失った若者たちも、それぞれなりの関わり方でISISに加わっているという現実もある。

 ISISを生み出した初期衝動はおそらく記憶の問題だろう。しかしそのISISが世界各地でテロ活動を展開していく中で、記憶の問題にとどまらない複雑さが生まれてきた。活動の中では、地縁的な結びつきによって共有された虐げられたる者としての記憶にとどまらないメッセージが用いられ、そのメッセージに共感する者たちがヨーロッパの中からも現れてISISに加わるようになっている。

  キリスト教文明とイスラム教文明という異なる文明間の衝突というような、ハンチントン的な対立図式をもとに、私たちは平和へ向けて何ができるだろうかと問う論調が目だちがちになるが、ことはそう一面的に捉えられるものでもないのだな、と記事を読んで再考を迫れらる思いがした。「イスラム国」という集団がどのようにして生まれ、現在のような姿をとるようになったのか、ということをもう一度遡って考え直さなければならないように感ぜられてきた。イスラム国はイスラム教徒の大多数からも否定的に捉えられている。そしてイスラム教徒の人々は、私たちは彼らのようなテロ組織とは根本的に考え方が違う、一緒にしないでほしいと訴える。それには半分同意できると同時にもう半分では異論がある。

 同意できるというのは、イスラム国の人々とスンニ派シーア派などの宗派を問わず他の多くのイスラム教の人々のあいだでコーランの解釈が異なるために一緒にするのはおかしいと考えることは妥当だと思えるためである。異論というのは、イスラム教徒の人々がなぜ彼らの内側からイスラム国やボコハラムや、さらに遡ればアルカイダといったイスラム教を背景にしたテロ組織が生まれてきたのかということを引き受けて考えることを拒否しているように見えるためである。イスラム国が自分たちと異なる解釈を持っているというのはいい。それは特にイスラム教の場合に限らず、さらには宗教の場合に限らず、人が二人いれば解釈の違いは簡単に起こる。しかしキリスト教徒の中から生まれたのでも、仏教の中からでも、あるいは無宗教の人々の中からでもなく、どうしてイスラム教徒の中からイスラム国が生まれてきたのか、そこのところを不問に伏すことはできないだろう。そこに向き合わない限りは、イスラム国が空爆によって殲滅されたとしても、また新たなイスラム国が生まれるだけではないか。

 そこで、異なる二者間で、文明と文明の対立でない形で対立が起こっているというときに、それぞれの側に自分や相手の主張や思いを客観的に捉えることのできる第三者が一人ずつ必要なのではないかということを私は考え始めた。それは三者関係でなく四者関係、或いは二者のどちらの立場にも立たない場所から見られる第五者も必要かもしれない。どんな対立も、四者関係や五者関係という関係性によってしか乗り越えられないということが、原理的に言えるのではないか。四者関係や五者関係の図式というものを考えた思想家や哲学者はこれまでにいただろうか。二者関係や三者関係はよく見るが

  文学にはそういう多者関係を描いた作品がありそうだ。とっかかりとしては、まずそこから当たってみるのもいいのかもしれない。

 

*1:

 

*2:一般には人格のところが英語になっていて、「反社会性パーソナリティ障害」(ASPD: Antisocial Personality Disorderと呼ばれる。

*3:オランダ語の一種。

*4: 

plousia-philodoxee.hatenablog.com

*5: 

plousia-philodoxee.hatenablog.com

*6:

 この記事で取り上げられている少女はオーストリア人である。彼女はまた彼女なりに、アバウドとは違ったきっかけでイスラム国に出会っている。アバウドと同じように、非行によって刑務所に入れられ、そこでイスラム国の人間と出会う…ということであったなら、まだ話はわかりやすかった。しかし実際にはそうではない。そしてその違いに、このイスラム国という存在のもつ誘引力の不気味さが潜んでいる。

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 この記事で取り上げられている17歳の少年タルハ・アスマルの場合は、イギリス人である。出身はウエスト・ヨークシャーのデューズベリー。

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