アダム・スミス批判を展開するバリー・シュワルツの記事を読んで

『なぜ選ぶたびに後悔するのか オプション過剰時代の賢い選択術』*1という本を書いたバリー・シュワルツ(Barry Schwartz)という人がいる。TEDで講演*2もしている。私が彼のことを知ったのはTEDの「The Paradox of Choice」(選択のパラドックス)という講演の動画を見たのがきっかけだった。いつものようにFeedlyで記事を読んでいたら、そんな彼の記事を見つけた。いや、正確にいえば、はじめは彼の記事とは知らず、タイトルが面白そうだったので読み進めていたら、途中で彼の執筆によるものだということに気がついたという順序だ。

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タイトルをざっと日本語にすると、「『国富論』は労働者から幸福を盗んだー私たちがいかにしてそれを取り戻すか」というところ。『国富論』の著者アダム・スミスが後世に及ぼした労働観について批判を展開しているのだが、どうもこの大前提のところの筋が悪い。冒頭を少し引用する。

Many Americans today are assembly-line workersーwhether they know it or not. The reason can be traced back to Adam Smith, the father of modern economics.

 (知っていようといまいと、今日のアメリカ人の多くはアセンブリーライン労働者だ。その理由は現代経済学の父、アダム・スミスにまで遡ることができる。)

Smith believed that when it came to work, people were fundermentally lazy. If you want people to work, he argued in his classic 1776 book The Wealth of Nations,  you have to make it worth their while. And if you do make it worth their whileーby paying them a decent wageーwhat they actually do doesn't matter very much.

 (人間というものは仕事となると基本的には怠慢だとスミスは信じた。彼が1776年の著作『諸国民の富』で論じているように、誰かを 働かせようと思ったら、その者に報酬を与えなければならない。そしてもし、それなりの給料というような形で報酬を与えれば、実際に何をするかは問題にならない。)

This line of thinking helped Smith to envision the rise of the assembly line. In one passage he describes the workings of an imaginary pin factory: "One man draws out the wire, another strails it, a third cuts, a fourth points it, a fifth grinds it at the top for receiving the head," he writes, describing how much faster and more efficient this approach is than if workers "had all wrought separately and independently." 

 アセンブリーライン(asssembly-line)」(ライン生産方式という、大量生産方式に関する今ではすっかりお馴染みの概念がアダム・スミスによって生まれたとし、彼が現在の社会のおかしな労働観の原因だと考えるのには論理の飛躍がある。『国富論』における「分業」の説明は必ずしもアセンブリーライン的だとは思わないし、他の視点、たとえば「見えざる手」の議論や『道徳感情論』における「公平な観察者」の視点など、スミスは色々なことを指摘しているのだが、この2つの著作の関係は取り上げず、しかも『国富論』の方は「概念としてのライン生産方式の起源はここにあり」とミスリーディングに矮小化する。どうもアダム・スミスといえば『国富論』の作者」という、経済学専攻の人間にありがちなスミス観を持ってしまっている節がある。

国富論』におけるスミスの記述に沿って、シュワルツの議論の「矮小化」に批判を加えることにする。

Of the Principle which gives Occasion to the Division of Labour

"Nobody purposely invented industrial specialization with all its advantages for wealth creation. Rather, specialization evolved gradually – as a by-product of the natural human propensity to truck, barter and exchange one thing for another.The precise nature of that propensity and its connection to our faculties of reason and speech is beyond the scope of the present enquiry. Here, I simply note that the propensity is common to all human beings and that it is unique to humanity."("The Wealth of nations" Book I: Of the Causes of Improvement in the productive Powers of Labour)

ざっと訳すと次のようになる。

「分業をもたらす原則について

 そのすべての利点から、富を生み出すために誰かが意図的に産業の専門化を発明したというわけではない。むしろ、専門化というのは徐々に生まれてきたーあるものを他のものと交換しようとする人間の自然な性向の副産物として。こうした性向についての厳密な性質と、私たちの判断したりしゃべったりする能力との関係は、現在の研究の展望を超えたものだ。私はここで、そうした性向というのはあらゆる人間に共通のものであって、なおかつ人間に固有のものであるということを指摘しているにすぎない。」

 『道徳感情論』を書いたスミスである。分業についても「人間の本性」との関係から考えている。シュワルツは冒頭の引用のあと、次のように続ける。

Facitories developed in the image of Smith's hyper-efficient pin manufacturer during the industrial revolution. Today his influence has spread even further. Schools force teachers to follow detailed scripts for each day's lesson plan. Doctors are pressed to perform "one-size-fits-all" medical care and usher patients through rapid-fire office visits to keep costs down. Micro-measuring and micro-managing employees' performance has turned all kinds of work into factory work.

Do people like doing work this way? Of coursenot. But if Smith was right, they wouldn't like any kind of work. All that matterd is that they get paid. 

 アセンブリーラインのことを言うならばむしろ、自動車の生産にライン生産方式を応用したヘンリー・フォードにその起源を求める方がまだ自然な発想だと思う。或いはWikipediaを引用するなら、ライン生産方式の歴史は次のようになる。もちろんこれは「概念としての」ではなく、「実用上の」ライン生産方式の歴史であることに注意が必要だろうけれども。

工場生産に応用したのは英国マーク・イザムバード・ブルネル(en:Marc Isambard Brunel)が英国海軍用に滑車装置(en:Block and tackle)を作るためにアセンブリー・ライン(en:Assembly line)を用いたのが最初といわれている。1801年のことであった。

米国ではアルバート・ポープ1890年代アセンブリーラインによる流れ作業での生産を開始している。ポープは英国で自転車製造を見学、米国初の自転車製造会社を創業し、かつ、米国自転車産業界を特許闘争で独占し、米国自転車の帝王とよばれた人物である。

米国での自動車生産におけるアセンブリーラインによる流れ作業の第一号は1901年ランサム・E・オールズオールズモビル・カーブドダッシュ生産でおこない、特許も取得している。第二号は、トマス・B・ジェフリーが1902年にランブラーC型でおこない、フォード社1903年に初期のA型フォードでその後に続く。フォード社の技術者は1906年にコンセプトを形作っており、フォード社は工場全体にわたってこのコンセプトを適用した初の会社だった。さらにフォード社は、1914年に建造したフォード・モデルTの新生産工場でベルトコンベアを導入し、流れ作業をさらに効率化した。

Wikipediaライン生産方式」における「歴史」の項より引用)

 しかし、いかにしてアセンブリーラインの概念の起源をアダムスミスに帰すことができるのかというところの論理の鎖については、彼はあっさりとした説明を加えただけで、そのまま議論を進める。引用の中でも指摘があるように、スミスがピンの生産について、複数の人間が分担することで生産が効率化されることを指摘しているのは確かだが、それがすぐさまアセンブリーラインに結びつくわけではないだろう。彼は相手にするべき「敵」(あるいは「何が問題なのか」)を見間違え、そこから先の論の展開がいかに論理的で隙のないものであろうと、はじめの一歩を誤ったせいで全体としてはナンセンスということにしかならなくなっているように思える

 もちろん、総論でなく各論を個別に見ていくと、シュワルツの議論には同意できるところや改めて気づかされるところなど、学べるところもなくはない。まず「発見」(discovery)と「発明」(invention)の違いについての説明などはわかりやすいし、「人間の本性」(human nature)についての社会科学の議論においては、この違いはぼやけがちだという指摘にも頷ける。そして人間の本性に関して私たちが生み出した理論というのは、社会的な制度として形をもつと、私たちの本性を変えることすらあるという点には同意するが、「自然科学の理論は私たちを変えたりしないが、社会科学の理論は制度というシステムを通して私たちを変えうる」という見方には同意できない。自然科学も人間の本性を変える力をもっていると私は考える。脳科学がこれだけブームになっていて、それは人々が人間という生きものをどう捉えるかを変える力を持っているし、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』が与えた社会的インパクトを思い返してみればいい。またそうした自然科学における知見に応じて新しく作られた一企業におけるルールや社会を取り巻く制度が、社会科学における理論と同様に「制度」を媒介として人々に影響を与えることもある。

 「経済学の父」とすら言われるアダム・スミスをよく理解していない、いや『道徳感情論』や『法学講義』など、『国富論』以外の彼の著作も合わせて彼の主張を理解していないように見えたために、どうも反論したくなってしまったのであったが、他にも反論したい点が見つかった。

*1:

新装版 なぜ選ぶたびに後悔するのか オプション過剰時代の賢い選択術

新装版 なぜ選ぶたびに後悔するのか オプション過剰時代の賢い選択術

 

 

*2:

www.ted.com

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