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何を自動化し、何を自動化しないか

 普段ニュースといったらSmartnewsとNewsifyというアプリの2つを中心に使っている。ちなみにテレビは見ない。そのNewsifyで読んでいた記事の中に、「Newsphere」という見慣れないニュースサイト(記事は日本語)があった。

newsphere.jp

 そのサイトをMacBook Airのブラウザで見てみたら、たまたまベーシックインカムの記事を見つけた。

newsphere.jp

 ちょうど最近ベーシックインカムに関する記事を読んだところだったから目に留まりやすかったのかもしれない。オランダのいくつかの市で導入されるかもしれないという記事だった。その記事を読んでいたら、「ZME Science」という別のニュースサイト(記事は英語)が本文に出てきた。

www.zmescience.com

www.zmescience.com

 今度はそのサイトを新しいタブで開いて、ベーシックインカムについて書いた記事を探した。すると2つの記事を見つけた。ベーシックインカムの導入を検討しているのはユトレヒト、ついでティルブルフという町であることがわかった。…と、こうしてニュースアプリやニュースサイトをいくつも「はしご」しているうちに、ベーシックインカムについての自分の視野が開けてくると同時に、頭がうまく回るようにもなっているように感じられて、いいなあと思ったわけだが、同時にふと別のことを思った。

 こういう「はしご」のような経験を通した学習というのは、まだ人間が自分で手間をかけて行わなければ身にならない。こういう「はしご行動」についても、ネット上のデータをしっかりとってトレースしてみると、それなりに自動化できるプロセスがたぶん存在していて、そこをプログラムで書ければより効率的な情報収集が行えるだろう。でもそれは、「道具を使う本人がものを考える能力を高めること」にはつながらないように思える。便利ではあるかもしれないが、人間の能力を高めることに寄与しない道具は、あまり好きになれない。もちろん道具の側からすればそんなことはお構いなしだろうけれど。笑

 そんなこんなで、最近は自分の生活の中で「生活の中にはどんなルーティンがあるのか、そしてあるとしたら、それらはどうすれば自動化できるだろうか」ということを考えることが増えた。IFTTTを使い始めたせいもあるかもしれない。どんな「レシピ」が作れるか考えたりしていた時間がある。人生は一度しかない。繰り返し行う作業を自動化できれば、それによって節約できた時間を使って何か別のことを行うことができる。全自動洗濯機が生まれなければ、人々は今も洗濯にわずらわされてしょうがなかったことだろう。

 サイエンス・ライターのマット・リドレーが『繁栄』(原題『The Rational Optimist』)の中で書いていることでもあるが、人類は自分がしたいと思うことに集中できるように、雑事にかける時間を短縮させることによって社会を発展させてきた。それは技術進歩によってもたらされる場合もあれば、他者との間の分業によってもたらされる場合もある。経済学ならば、「後者の行動によってどれほどの経済厚生の余剰が生まれるか」ということを考えたりする。

 

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

 では今回のような、ニュースアプリとニュースサイトの「はしご」をしながら特定の社会問題を深く理解していくというプロセスは自動化した方がいいだろうか。よくわからない。自動化しても人間の思考を拡張することの妨げになったり、その機会を奪ったりするわけではないならば、自動化しようという気になるし、そんな自動化をするようになったら、ただでさえ読書感想文や論文をネットのコピペで済ませようとしたりする人間が少なくない時代にはかえって逆効果しか生まないと思う部分もある。

 

何を自動化し、何を自動化しないか(或いは「すべきでないか」)という問題は、やっかいだなあ。