群選択における群の階層

 「群選択」(group selection)という言葉を使う場合、通常は自分個人ではなく、自分の所属する集団にとって望ましい選択とされる。気になるのはこの「自分の所属する集団」というところで、互いに階層の異なる複数の集団にある個人が所属している場合、個人は意思決定においてどのレベルの集団を想定して群選択を行うのだろう。

 

 たとえば私はアルバイトをしている。だからその会社に所属している。もちろん私には家族がいるので、家族という集団にも所属している。そして私がこれまでに通った複数の学校についても、「いま現在所属している」とは言えなくても、ゆるい所属意識をもっている。そして私は日本人である。また特定の価値観をめぐって、それを共有する人間の集団に所属しているという感覚ももっている。

 

 考えていけば他にもいろいろな集団に私は所属していることがわかるだろう。いま挙げたものだけでも、私は8つ*1の異なるレベルの集団に所属している。

 

 たとえば私がある問題について判断を下すとしよう。それは

①自分自身

②自分の家族

③自分のバイト先の企業*2

④日本

⑤世界全体(ヒトという種全体、あるいは他の生物種も含む)

という、5つのレベルで捉えられる。

 

 ①だけをもとに判断するなら私は「利己的」(selfish)ということになるし、②〜④のうち1つ以上のレベルも考慮するなら、私はなんらかの意味で「利他的」(altruistic)ということになるだろう。②のレベルなら「血縁選択」(kin selection)[W.D.Hamilton, 1964]に与することになるし、③や④のレベルだと、評判などの「間接互恵性」[M.Novac]を通じた「互恵的利他主義」(reciprocal altruism)ということになる。

 

 「利他主義」という言葉は、利他とはいっても基本的には「種」(species)の内側での話である。今のところ、「他の種」の生存まで考慮して行動の選択を行う生物種の存在を裏付けるものはない。世界平和を願う人々、生態系の破壊に反対する人々、宇宙船地球号の乗客(と考えている人々)などは、果たしてその「証拠」といえるのだろうか。

 

 さて、話を戻そう。上記の5つのどのレベルを優先すべきか、私は迷うだろう。ある判断が、これら5つのすべてのレベルで互いに逆立しないなら問題ないが、いつもそんなに都合よくいくとは思えない。いや、経験的には逆立する場合の方が多いように感じる。そのとき、賛成か反対かの2つで逆立するから、5つのレベルの集団のうち、たとえば①と②では賛成、③〜⑤では反対というように、あるいくつかのレベルの集団では賛成、別のいくつかのレベルの集団では反対だとして、5つの集団は私にとって二分されるだろう。

 

 しかも特定のレベルでの選択が常に優先されるという固定的なものではなくて、ケースバイケースで優先される集団のレベルは変わってくるだろう。たとえば政治的な問題についての判断(投票行動など)においては、世界全体ということをそれほど意識しないかもしれない。それもある政治的な問題についてはそうであり、別の政治的な問題ではまた事情が違うということになるだろう。原発問題では他国との関係もあるので、日本よりも広い集団(中国やロシア、中東諸国、アメリカとの関係など)のレベルを考えたりもするが、財政政策については「日本」という国のレベルを中心に選択を考えるというように。

 

 「どのレベルでの選択を行うのか」という問題は、「世論」(public opinion)ということを考えるにあたって避けては通れない。ある世論は、国や(国を超えた)地域レベルでの選択が重要なファクターであって、別の世論においては国よりも小さな単位、家族や地域社会のレベルでの選択が重要なファクターであるということがありうる。

 

 意思決定の最小単位は「個人」(生物学ならば「個体」。いずれも英語は"individual")であるが、それぞれの個人がどのレベルでの選択を行うかはバラバラだろう。その分布によって全体としての選択が変わってくる。そういう問題は基本的には生物学の範疇では論じられていないように思われる。もちろん他の生物種においても、複数のレベルでの選択が行われていることはすでに指摘されているけれども、そのレベルの個体ごとのバラツキが集団レベルの選択に及ぼす影響という視点は、少なくとも世論について論じる研究においては見つからない。

 

 群選択には、群を構成する個体が「選択の集団レベル(単位)」を一致させていることが必要になる。古典的には、群選択は「フリーライダー問題をどう解決するのか」という挑戦を受けた。この問題を解決するのに「宗教」による集団の結束が役に立つということが多くの研究によって示されている。「フリーライダー」という場合には「自分ー所属集団」間の違い(利己ー利他)であるが、「所属集団Xー所属集団Y」(XとYは異なるレベル*3という場合にはどうなるのだろうか。

 

 選択のレベルの選好のバラツキとその状況に応じた可変性を考慮した世論の形成・展開メカニズムについて、現実に測定可能な指標をもとにどうやって議論を組み立てるか。

 

【参考文献】

[1] ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか:対立を越えるための道徳心理学』(紀伊国屋書店)[2014](原題:"The Righteous Mind: Why Good People Are Divided by Politics and Religion" [2013])

[2] 岩島奈緒美、有田隆也「間接的互恵関係モデルにおける価値観の進化」[2004]

[3] Martin A. Novac,  "Five Rules for the Evolution of Cooperation" Science [2006]

[4] 古 田 二 雄 、森 野 耕 平「世論形成のマルチエージェントモデルによるシミュレーション」計測自動制御学会 [2006]

[5] Richard Sosis, "Religion and Intragroup Cooperation: Preliminary Results of a Comparative Analysis of Utopian Communities" Cross-Cultural Research, Vol. 34 No. 1, February 70-87 [2000]

[6] ニコラス・ウェイド『宗教を生み出す本能』(NTT出版)[2011](原題 ”The Faith Instinct” [2009])

[7] リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子<増補新装版>』(紀伊国屋書店)[2006](原題 "The Selfish Gene" [1990])

[8] David Sloan Wilson,  "Darwin's Cathedral: Evolution, Religion, and the Nature of Society" [2003] 

 

*1:学校については小中高大の4つとした。小中学校については、上京してきた今となってはかなり所属意識が希薄であるが、状況によっては私はやはり所属意識を感じるだろうと思われたので、数に入れた。

*2:フランチャイズなので、所属の所在は少し入り組んでいる。

*3:通常、群選択という場合には「自分の所属する集団(味方)ー所属しない集団(敵)」の間で味方側を優先するという形で話が進む。この場合「群」とは単に「味方」である。