誰かが1を言えば、すぐに100になってしまう風潮への違和感

 安部総理の「我が軍」発言が左翼(「安部政権は日本を滅ぼす」論者、日本亡国論者、軍国主義*1反対論者など)の間で問題になっている。20日の参院予算委員会自衛隊を指してこのように発言した。総理自身のその後の発言では、

 

「共同訓練に関する質疑の流れの中で答えた。相手国である他国軍との対比をイメージして自衛隊を『我が軍』と述べた。それ以上でもそれ以下でもない。自衛隊は私の軍隊とは違う」

 

ということである。私は別に問題になるほどのことではないと思うのだが、案の定ネット上では左翼を中心に「とんでもない」ということで盛り上がっている。「軍靴の足音が聞こえる」ではないが、「やっぱり安部内閣は戦争を始めるつもりなんだ」というような自分の「信念」(belief)を裏付ける証拠を得たというところだろうか。

 

  このところ政治家の発言をめぐって炎上する例をよく目にする。もちろんこれは私の主観的な観察の結果にすぎず、客観的には炎上の頻度や数がここ最近になって増加したとは言い切れない。

 

 ただ炎上のメカニズムについて考えていると、誰かの「1」の発言が、勝手に拡大解釈され、すぐに「100」や「1000」に「かさ増し」されているように思われてならない。

 

「我が軍」という言葉ひとつで「戦争」まで話がつながってしまうのだ。誰かが「我が軍」と言ったからといって、その人物が戦争をするつもりであるとは言えない。両者を論理的に結びつけるにはせめてもうちょっと丁寧に議論をするべきだ。もちろんこれまでにも戦争と結びつくような発言が他にもあった。しかし私はそのいずれも、「戦争をするつもりである」と読み取るには不十分だと考えている。

 

 行間を読むことと、ありもしないことを読み取った気になることは違う。

 

ネット上で誰かが不用意に付け加えた「解釈」に、他の多数の人々が乗っかって解釈を膨張させていく。そして簡単に集団極化(group polarization)が生まれる。

 

「我が軍」発言よりも、インターネットというテクノロジーにこれほど簡単に振り回されている人々の方が私にはよっぽど恐ろしい。

*1:「実際に軍国主義かどうか」は問題にならないらしい。「とにかく現政権は軍国主義的である」という結論ありきで、それに少しでも合致するような「兆候」が現れるとすぐさま「それみたことか」とばかりに自説の正当化の材料リストにそれを加える。言葉の本来の意味での軍国主義かどうかは私には疑わしいので、カッコつきの「軍国主義」で表記する。