つめこみ教育とゆとり教育

 「つめこみ教育とゆとり教育のどちらがよいか」ということがしばしば議論される。つめこみ教育はとにかく多くの知識を生徒につめこみ、ゆとり教育は知識の量を抑えつつ、生徒自身に考えるゆとりを作ることを強調する。

 

 私はどちらにも反対だ。そもそも「あれかこれか」という二者択一で問題を捉えること自体が疑問である。知識は多ければ多いほどよいというものではない。しかしその一方で、知識が少ないよりは多いほうがいい判断が下せるに決まっている。

 

 そもそも「知識の量」が問題になるのは何故なのかというところを考えるべきだろう。そこをすっぽ抜かして議論をしてもしょうがない。知識の量が問題になるのは、より多くの知識をつなぎ合わせ、筋道の通った考えをまとめ上げることに価値があるからだ。

 

 10の知識をまとめるのは大したことではないが、100の知識を矛盾なくまとめるにはかなり頭を使うだろう。より多くのことを矛盾なくまとめるためには、より多くの知識に触れる必要があるのだ。そして重要なのは知識の量それ自体ではなく、それらを「まとめる」というところである。

 

 知識の量をいたずらに強調する「つめこみ教育」も、知識の量を減らして「考える」ことを説く「ゆとり教育」もこの点で誤りであると私は考える。矛盾のように思われること、雑然としていてまとまりのないような複数のことがらをうまくまとめることが知性なのではないか。