世論について考える

 「世論」(public opinion)がどのように生まれ、変化していくかということに、近頃の私の関心は集中している。その一環として、ジョン・デューイ『公衆とその諸問題』(ちくま学芸文庫を読んでいる。彼はウィリアム・ジェイムズの影響を受けたプラグマチスであり、その国家観は、なんらかの本性をもとに国家の成立の正当性を主張するような イデオロギー や レトリック とは無縁の、事務的・形式的なものである。「世論」という言葉は同書には登場しないのだが、彼が「公衆」(the public)と民主主義とのよりよい関係について展開する議論は、その公衆から生まれるところの「世論」について考えるための、いわば前提条件を提供してくれる。

 

 人と人とが相互作用する場合、当事者だけでその結果が完結する場合とそうでない場合がある。後者の場合には、その結果が問題とは直接関係ない「第三者」へと影響する。こうした相互作用を彼はトランザクション」(transaction)と呼ぶ。例えば家族であれば、メンバー同士のやりとりはメンバー内で完結することがほとんどであるが、これが数百人で構成される一族や数千から数万人で構成される一部族ともなると事情が変わってくる。そこでは、メンバー以外の人間にもその相互作用の影響が及ぶという意味で「外部性」(externality)がある。たとえ当事者たちがこの外部性を意識していても、彼らにはそれをコントロールすることは難しい。そこで「代理人」を立てて外部と内部との間で調整を行うという状況が生まれる。これが「公職者」(officer)の基本的な役割であるとデューイは述べる。そして公職者も含めた様々な利害関係者の総体を彼は「公衆」(the public)と呼ぶ。

 

 さてここからが肝心の「世論」についてである。世論とは、先の記事でも述べたとおり、互いを知らない者どうしがつながった大規模な集団を前提として成立している。もちろん局所的には人間関係のネットワークができていて、「互いを知っている」ということもあるが、それは世論を生み出す人間たちのネットワーク全体から見れば一部に過ぎない。こうした、外部性を認知できないほどの規模の集団を前提として世論は生まれ、変化していくことになる。それはまさにデューイのいうトランザクションの一例にあたる。通常「トランザクション」という言葉を使うときには、経済的政治的な取引をめぐって生じる相互作用が意図されているが、コミュニケーションをめぐって生じる場合にはそれを「世論」と呼んで差し支えないだろう。

 

 トランザクションを意識しながら世論について考えると、「外部性」を前提として変化するダイナミクスをどのように捉えるかということが問題になる。とりわけインターネットの中ではある特定の人物の発言が思わぬ形で大多数の人間に拡散されるために外部性は大きく、時には「炎上」、時には「祭り」といった形でオーバーヒートを生み出す。「こんなに大事になるとは思わなかった」ということが、リアルの場合に比べてはるかに生じやすいのがインターネット、特にSNSの世界である。少子高齢化が著しい日本の人口構造上、20〜50代を中心とするネット利用者は依然として世論を代表するとまではいえないが、世論に対するその影響力が高まってきていることもまた事実である。それでは世論における外部性をどのように考えるべきか。

 

 ネットワーク科学の分野に6次の隔たり」(six degrees of separation)という有名な概念がある。世界中の人間は平均6.6人を間にはさむと誰とでもつながっているというもので、私とオバマ大統領との間にも、適切に6、7人を選べばつながりを見つけることができるというわけだ。これは人間のネットワークにおける外部性を考えるときにしばしば言及されるもので、「世界は小さい」(It's a small world.)にちなんで「スモールワールド性」(small world property)の一例とされることもある。ちなみにFacebook上では全ユーザーは平均4.74人を介して互いにつながっているという指摘がある。*1Facebook上の方が、世界はより緊密につながっていることになる。これは世論を考える上で見落とせない条件のひとつであり、リアルな人間関係のネットワークとは別に、SNS上のネットワークについても別のレイヤーで同時に考えるのがよいように思われる。ネットワークについては、ネットとリアルについての「階層性」(layerを考慮したモデルを考えたい。これはネットワーク科学の分野ではネットワーク構造のひとつとして扱われているものである。

 

 コミュニケーションにおける外部性はネットとリアルのどちらでも生じるが、その効果を比べると、SNSの登場と普及もあってネットの方が外部性ははるかに大きい。またネットとリアルの間で、外部性の階層間の移動という現象も生じる。すなわちネット上で生じた外部性が、リアルにも波及したり、その逆の波及もある。Twitterでリツイート数の多かった記事について会社の同僚と話したことが取引先の人に伝わり、その家族を介して子供の学校の友達に伝わり・・・ということは容易に想定しうるし、反対にこうしたリアルでの外部性による波及が、ネット上への投稿を通じてさらに拡散される事態も同様に想定可能である。

 

 また外部性が生まれるときには、人間どうしのコミュニケーションを媒介として情報が拡散されるために、情報の内容に変化を伴うことがしばしばである。これは大掛かりな伝言ゲームについて考えると容易に納得できる事態であろう。直感的には、「外部性はその大きさに比例して内容の累積的な変質を伴う」と仮定できる。ある社会問題についてある新聞が報道した事柄が、まず著名人によって解釈され、ネット上に投稿される。この段階ですでに、複数人の著名人の解釈のあいだにはバラツキが生まれ、オリジナルの記事(0次情報)は共通していても1次情報、2次情報……と伝播していく過程で全く正反対の解釈が生まれたりする。それは意図的である場合もあれば意図せざる場合もある。

 

 近頃の例では、ISILの日本人人質殺害事件について、世論は現地に赴いた後藤健二さんの行動についての評価をめぐり、「自己責任だった。殺されてもしかたがない。」と否定的に考えるグループ(仮に「グループA」とする)と、「勇敢な行動について、同じ日本人として誇りに思う」と肯定的に考えるグループ(仮に「グループB」とする)とに二分された。もちろんいずれにも与しない意見も様々に存在しており、それらはグループA・Bが形成する多数派(majority)に対する少数派(minority)として、それ相応に慎重に扱う必要がある。

 

 またSNSで顕著な現象であるが、特定の人物をフォローするかしないかが「自らの価値観と似ているか否か」という目安で判断されることがしばしばであるから、自己責任派の人々のネット上には自己責任派の投稿が多くなりやすく、また同様に勇敢派の人々のネット上には勇敢派の投稿が多くなりやすい。またたとえはじめのうちは賛成派と反対派の両方の意見に触れる機会があった個人も、一方の意見へのなんらかのコミットメントを通じて他方の意見は次第に彼の画面に表示されなくなっていく。これは「類は友を呼ぶ」という同類性(homophily)の一例であるが、これは単に我々人間に備わった特性だけがもとで生じているのではない。こうした我々にとって「快適な状況」を計算ずくで作り出すために、企業によるサービスという形で、コンピュータのアルゴリズムが存在し、SNS上は「意見の断絶」が発生しやすい環境になってしまっている。*2

 

 さてこうした「断絶」は、リアルのレイヤーに波及する経路を条件づける。すなわち賛成派と反対派とを問わず、それぞれの主張は一方だけが伝わり、他方の主張の根拠や妥当性については言及されにくくなってしまう。これは正のフィードバックであり、意見の伝播において、それを伝えられる側の下す賛否の評価に「偏り」(bias / polarization)を生みやすい。

 

 社会心理学の分野における世論の研究では、世論が集団極性化」(group polarization)を生じやすいことが昔から指摘されているが、SNSというレイヤーが加わった状態で伝播する世論については、そのアルゴリズムの特性上、集団極性化が生じやすい構造があると考えることができる。こうしてわれわれは、SNSとリアルの2つのレイヤーにおいて伝播していく大規模集団の情報、すなわち「世論」について、「外部性→断絶→集団極性化という流れを捉えることができる。

 

 

 以上、冒頭の内容から一見するとずいぶんかけ離れたところに話が進んだような印象をもたれるかもしれないが、ジョン・デューイの「transaction」の概念をもとに、世論における外部性を考慮し、そこにリアルとは別のネット、とりわけSNSというレイヤーを追加することにより、外部性は正のフィードバックを通じて意見の断絶を生み、集団極性化を生じやすいというレイヤーについての構造を指摘した。この構造特性は、ある問題について大規模集団が世論を通じて意見の相互作用を行う場合の問題点を明確にし、その回避を考えるにあたって重要な意味をもつ。近年ではiPS細胞やSTAP細胞アベノミクス原発事故など、専門的な知識を前提としなければ議論することの難し問題が世論の的になることも少なくない。そうした状況においては、世論を制約する構造特性について集団の構成員が自覚的であることが必要であろう。

 

 

 

 

*1:Facebookでは4.74人を介せば全ユーザーとつながることが判明 -INTERNET Watch

*2:イーライ・パリサーはこうした断絶状態について、「パーソナライズ(個人化)」(personalize)というキーワードをもとに、ネットをめぐるユーザーごとの環境の変化を考察している。

【参考】

イーライ・パリサー『閉じこもるインターネットーーグーグル・パーソナライズ・民主主義』(早川書房)[2012]