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「らしさ」ってなんだろう

 「〜らしい」という言葉がよく使われる。「女性らしい」とか「◯◯さんらしい」とか「日本人らしい」など、例はいくらでもある。しかしどれも「それってどういうこと?」と聞かれると、それほどうまく答えられるものではない。

 

 例えば「女性らしさ」というのは、いったいどういうものを指しているのだろう。

フニャフニャしたしゃべり方?

フワフワした服装?

「ピンクが好き」と言うこと?

グルメレポートに精を出すこと?

 

 おそらくこういうことを「うまくこなせる」ということそれ自体は、言葉の意味にこだわるならば、「女性らしい」ということとは何の関わりもなく、「ある種の演技やロールプレイがうまい」ということにしかならない。もしも上に挙げたようなこととは反対に、ハキハキしたしゃべり方やゴツゴツした服装、「ブルーが好き」と言うことなどが「女性らしい」と呼ばれるような社会があったとしたら、やはり「演技のうまい人たち」はそれに適応するのだろうと思う。しかしあらゆる演技が、それが演技であることを意識されると、途端にしらけてしまって、胡散臭い、わざとらしいものに思えてしまう。そして「らしさ」というのは「わざとらしさ」、いいかえれば「恣意性」とは反対に、自然に現れるものではないかと感じられる。女性らしさを示すと一般に考えられているものの多くは、女性の本質とは何の関わりもない、社会の側から恣意的に決められた特徴であるに過ぎない。その「恣意性」に敏感になったとき、フェミニズムが姿を見せるようになるのだろう。そういうことならば気持ちはわかる。しかしそれでいて、「女性らしさ」というのは確かにあると、そう考えられると私は思っている。あることがらの定義が誤って流通しているとしても、定義自体が存在しないということにはならない。

 

 「〜らしい」という表現は、特定の個人の性質を示すことにも使われるけれども、どちらかというと集団の性質を示すのに使われる方が多いように思われる。だからこそ、メディアで「〜らしさ」ということが問題とされるときには、集団としての〜らしさということが問題になる。特定の個人の「らしさ」を大多数の人々を対象として問題化しようとするのは難しいからだ。「日本人らしさ」(日本人論)や「若者らしさ」(若者論)は多くの人にとって「自分ごと(当事者)」であるが、「人事部の◯◯さんらしさ」というのをマスメディアで取り上げても、多くの人にとってそれは「他人ごと」でしかない。いわば「大規模ならしさ」と「小規模ならしさ」があって、大規模ならしさを極限まで進めれば、日本人らしさや人間らしさ、生命らしさという風になるし、小規模というのを極限まで進めれば特定の個人ということになるだろう。

 

 「らしさ」という言葉を、対象が満たすべき条件と捉えるならば、あらゆる人間は人間らしさという条件を満たしているし、その一部は日本人らしさを満たしているし、さらにその一部は東京の人らしさを満たし……、そうして最後にはその人らしさというのを満たしている、と言えるかもしれない。

 

 それではある個人が、「その人らしい」というとき、そうは言ってもその人は自分以外の誰かと、いろいろな「らしさ」を共有しているはずだが、それでいて、例えばその「らしさ」の組み合わせはその人の1通りしか例がないーーーらしさAとらしさMとらしさXを同時に満たすのは◯◯さんだけーーーとか、その人ひとりしか満たさない「らしさ」が少なくとも一つあるとか、そういう場合が考えられる。これは「集合Aと集合Bと集合Cを同時に満たすものを答えよ」というような、集合論的な捉え方だ。「条件」という言葉を出した時点で、このように考えるスイッチが入ったのかもしれない。

 

 しかしこういう捉え方とは別の「その人らしさ」ということも考えられる。たとえば性別について、男性でありながら女性らしいという人はいるし、国籍について、日本人でありながらアメリカ人らしいという人もいる。そういう人たちは、男性でありながら女性的であるとか、日本人でありながらアメリカ人らしいという点、つまり大多数の男性は男性らしく、大多数の日本人は日本人らしいという前提で、その条件に当てはまらないことがかえってその人のアイデンティティを形作っているということになる。そういうらしさもあるし、またあってもよいものだと思う。これは「例外的存在としてのらしさ」とでも呼ぶべきもので、「個人の自由」ということが問題になるときには、こちらの意味での「らしさ」というのが関わってくることが少なくない。

 

 ちなみに「自分らしさ」言い換えればアイデンティティー」ということについてずいぶん前に記事を書いたことがあった。

 アイデンティティ - ありそうでないもの

 

 

 女性の場合で考えたけれども、こうした色々な「らしさ」というのは、たとえ「らしさへの逆行」をもって「その人らしさ」を主張する場合であっても、そもそも様々な「らしさ」を規定している、なんらかの外的な条件から自由であるということはありうるのだろうか。つまり、あらゆる「らしさ」は「恣意性」ということを本質的にもっているのであって、たとえそれに抗うことで「自分らしさ」というものを主張してみたところで、抗っている時点でその恣意性の生み出す対立構造に絡め取られていることになり、それは「自由である」とは言えないということになるのだろうか。

 

 ユニークであることを示すのに「変な人」という言葉が使われることがある。「あの人変わってるよね〜」とか「あの人はちょっとね…。」というような言い方でもいい。しかしこの「変な人」というのも、ある基準、つまり平均的な、あるいは「普通の人」というようなーーーちゃんと考えるとよくわからないものだがーーーそういうものを基準として、その基準を満たさない、あるいはその基準となんらかの意味で逆行するという理由で「変な人」と呼ばれていることが多い。しかしそれは、やはり言葉の使い方にこだわるならば、「本質的に変な人」とは言えないのではないか。それは「変な人」と言う側すらも関与し得ないような、外部からもたらされたなんらかの恣意性をもってして定義された人ということであって、「女性らしさ」の例と同様、「変な人らしさ」ということとはなんの関わりもないのではないか。もちろんこんな風に書いたからといって、本質的に変な人というのがいないかと言われれば、私は「本質的に変な人」というのは確かにいると思っている。おそらくその人は、「その人らしさ」を備えた人とそう違わないのではないかとも思う。もしかしたら両者は重なるとすらいえるのではないかと思うこともある。

 

 「その人らしさ」や「変な人らしさ」というのは、ごく個人的なものである。近頃は個人や集団ということを扱う記事をいくつか書いている。

 ①好きということ - ありそうでないもの

 この記事では「好き」ということが、本質的にその人らしさに触れる行為であるということを書いた。私たちは誰かを好きになることを通して、初めてその人らしさ、その人のその人であるゆえんに触れることができる。特定の条件に対応させることを拒み、その人自体を見つめるということによって、私たちは、相対的でない「らしさ」を発見することができるのかもしれない。

 ②祭りをめぐる集合意識と個人の同質性 - ありそうでないもの

 この記事では、「フェストゥム」(祭)を通じて、個人が個人であることをやめ、集団に溶け込んでいくさまを書いた。そこでは個人以前の個人、いわば集団的な存在としての「原個人」とでもいうべきものを考えた。

 ③私は他者と出会っているか - ありそうでないもの

 この記事では、他者の他者性というものに「私」の側から触れることはできるのだろうかということを考えた。私が他者を、自分の中の何事かを基準にして見るとき、それは他者を見ているようで自分の一部を見ているに過ぎないのではないか、そのとき私の眼の前にいる他者は、他者であることをやめ、私を映し出す鏡でしかないのではないかということを考えた。

言葉以前の世界にどう触れるか - ありそうでないもの

 この記事では、「◯◯以前の世界」ということについて、男女以前の世界や、人間が言葉を獲得する以前の世界ということについて、猿や海の中の魚たちに目を向けることで考えることができるのではないかということを書いた。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』なども取り上げつつ、言葉以前の世界ということを考えた。

 

 

 人間にとっては、個人が先か集団が先かと言われれば、私は断然、後者が先だろうと思う。「個人が集まって集団が生まれる」とか「個人が集団的に〜」というような表現がよく使われるし、また私自身もそういう表現を使うけれども、個人がまず先にあって、それが集団を後から作るのだという風に捉えるのは誤解である。類的な存在としての「人類」から分節されることで「個人」が生まれたと考える方が自然である。それではあらゆる類的な性質、類的ならしさというものから独立した、絶対的な「そのものらしさ」「その人らしさ」というのは存在するのだろうか。人間についてのあらゆる「らしさ」は、そもそも人間が類的な存在として誕生しているという発生条件ゆえに、相対的でしかありえないのではないか。まるで「変な人」という言葉が、「普通の人」と相対的な関係によってのみ成立する言葉であるように。

 

「らしさ」ってなんだろう。

 

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“女らしさ”の文化史―性・モード・風俗 (中公文庫)

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