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理論家と脚本家

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   人と話をしているとたまに感じることがある。

 

ああ、自分が考える筋書きの中でしか、人は生きられないし、理解することもできないし、現実を受け入れることもできないんだなあ、と。

 

自分が想像できる筋書きの範囲で現実を捉え、想像できる筋書きの範囲で自分や他人を評価し、想像できる筋書きの範囲で行動する。

 

物語の主人公を自分にして、自分が考えた物語の範囲で生きる。

 

自分の周りで起きる色々なことも、結局のところ、自分が受け入れられそうな何らかの筋書きに仕立て直した後でしか受け入れることはできない。

 

もしかしたら、そもそも私たちは、筋書きそのものの方にしか興味がなく、現実にすら興味がないのかもしれない。そういう人はけっこういそうだ。たとえば洋服にこだわる人というのは多かれ少なかれそんな気がする。

 

純粋に理屈の方を追いかけること、追いかけ続ける人というのはほとんどいなくて、初めはそうだった人も途中で切り替わる。そして物語を作り始める。理論家から脚本家に変わる。

 

個人の心の中で、理屈は次第に勢力を弱めて、精神論がそこに取って代わる。ビジネス書のほとんどが精神論なのは、この辺に理由がある。理論なんかよりも自分の心の置き所を求める人の方が圧倒的に多いのだろう。それは理屈でなく、精神論でこそ得られるものだと思われているのだろう。

 

自分の体がタンパク質でできていて、タンパク質はどんな風に細胞を作り出し、そしてその細胞は集団でどんな風に機能するかを理解することができれば、生活の中で取る行動は色々に変わってくるけれど、多くの人にとってはそんなことはどうでもよく、ダイエットは気の持ちよう、体型の管理は精神の問題だ、という話になっているみたいだ。

 

もちろんダイエットは気の持ちよう、ということを理屈で考えるならば面白いのだが、ただただ精神論一辺倒だとはっきり言って面白くもなんともない。

 

理論をもとに筋書きを考えればいい。初めから筋書きを考えるよりも、けっこう面白いものが書けたりする。

 

理論家と脚本家のバランスを取って生きることができたらいいなあ。