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宗教を信じていなくても

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(写真はWikipediaの「トーテムポール」の記事より引用)

 公開される記事に宗教のことを書くのは避けるべきなのかもしれないけれど、あえて書こうと思う。近頃働いていてよく感じることについて。

「 いいか、観客はみんなカボチャだと思え。」について

 宗教を信じていなくても、何か自分なりの「儀式」のようなものが必要なときというのがある。緊張しそうなときに手のひらに3回「人」の字を書いたり、マッチポイントまで追い込まれたテニスプレイヤーが、自分のサービスのときにボールをつく(地面に跳ねさせる)回数を決めていたり、告白をする前に深呼吸したり…。日本語では「験を担ぐ(げんをかつぐ)」という表現になるのかな。

 

というか、順序を考えるとこういう素朴な必要性がまずあって、儀式に相当するようなものが生まれ、そしてやがてそれは宗教というまとまった形態を取る様になり・・・ということだろう。だから自分が宗教から隔たったところにいると頑に信じている人も、こうした「儀式」の延長線上に宗教が生まれる素地があるということは認識として持っておいた方がいいのではないかと思う・・・というのはちょっと要らぬおせっかいかな。笑

ここらでさらっと映画を紹介。「夢」は出てきてもフロイトは出てこないよ。 

好きなSF映画の一つにインセプションがある。

インセプション [DVD]

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誰かの夢の中に侵入する*1ことが可能になった世界で、大企業のトップの夢の中に侵入し、その人の潜在意識の中から有用な情報を盗み出す、そんな新種の産業スパイ*2、というのが主人公コブの仕事。

 

この中で「トーテム(totem)」という概念・言葉が出てくる。こういうときに「概念」という言葉と「言葉」という言葉を峻別できる頭が欲しいんだよなあ…(脳内のぼやき)

 

産業スパイが、侵入した夢の世界からちゃんと現実の世界に戻ってくるために、夢と現実を区別できる何らかの「指標」が必要になる。もし侵入した夢があまりに現実味があって、「これは夢か現かわからない」という気持ちになり、結果的に夢の世界に留まり続ける、ということを防ぐためである。

 

そのために使われる小道具が「トーテム」で、本人だけがわかり、「こうなれば夢、こうならなければ現実」と区別がつけられるものを利用する。

 

これは現実でも似たような例がある。小道具ではないけれど、自分の頬をつねって痛ければそれは現実、痛くなければ残念ながら夢の中、というやつだ。

 

作中の例で言えば、主人公コブの場合、小さな独楽を使う。独楽が回るのをやめなければ自分は夢の中、そのうち回るのをやめればそこは物理化学法則に制約された現実世界、というわけだ。なるほどね、という感じである。

 

インセプション』についてはこのサイトが徹底解説を行っている。興味のある方は覗いてみるといいかもしれない。※ネタバレあり

映画「インセプション[INCEPTION]」徹底解説サイト

 

儀式とトーテム

「トーテム」という言葉には色々な意味があって、それだけで何冊もの本が書けるくらい奥深いものを含む言葉だ。そのうち「トーテム」をテーマにした記事も書こうと思う。日本で身近なものでは「トーテム・ポール」だろう。

 

ちょっとWikipediaから定義を引用。

トーテム(英語:totem)とは、特定の集団や人物、「部族」や「血縁血統)」に宗教的に結び付けられた野生の動物や植物などの象徴のこと。

 

冒頭で「儀式」という言葉を使った。「儀式」「トーテム」はもちろん違う言葉だけれども、「それに向き合う個人に、ある行動を起こさせるきっかけとなるもの」という視点でみると、少なくとも「機能」は同じではないだろうか。

 

『無思想の発見』*3ではないけれど

「日本人は無宗教と言われることがある。日常生活の素朴な感覚でも、自分の周りで何らかの宗教を信仰していることが明らかにわかる人というのは少数派という人が多いのではないか。しかし数字を調べてみると、実際にはそうでもないということがわかる。

 

宗教の信仰を持っていなくても、日常の中で、験を担がなければ乗り切れなそうだと思えるようなことというのは色々ある。自分と仲のいい人に厳しいことを言わなければならないときなど。

 

それは言葉としては「友達としての責任」「親としての責任」などの形で、すでに社会の中で流通している。それがある個人にどれくらい「伝わっている言葉」*4かどうかはわからないが。ただ伝わっていない個人からすれば、それはあくまで「言葉」或いはもっと言えば「文字列」「音声(ノイズ?)」に過ぎない。

 

そういう言葉と競合関係にあるものが「儀式」であり、「トーテム」であり、「験(げん)」なのではないか。

*1:作品の中では「エクストラクション」と呼ばれている。

*2:作中の言葉では「エクトラクター」

*3:養老孟司さんの著書。

*4:「伝わる」という言葉は奥深いなあと近頃思う。「相手にしゃべれば伝わる」という素朴な理解は覆され、相手の中で腑に落ちるとか得心が行くというレベルまでもっていって初めて「伝わる」と言えるのだ、というような理解に変わった。ビジネス的な視点で考えるならば、一方的にコンテンツや広告を発信していても、それは潜在的な顧客に伝わっているとは言えず、伝える相手が何か具体的なアクションを起こさせるところまで行って初めて、「伝わった」と言えるのだ、という風に言えるだろうか。