専門が複数にまたがる問題

大学にいたころ、開発経済学の授業ノートを友達に借りたことがあった。それを片っ端から読んでいると緑の革命(Green Revolution)」について書いてある箇所があった。そこでは緑の革命」が、途上国の経済発展にどのような恩恵をもたらしたかということについて、集中的に書かれていた。

 

緑の革命の内容については、以下のページが面白い書き方をしていた。理科系の本ばかり読んでいて、やや感覚が鈍っている感じがしている自分としてはもはやなんだか懐かしいような人文系の文章で、「ああ、そういえばこういう書き方だったな。」と改めて思った文章でもあった。

参考リンク:緑の革命

 

そして先日、例によって『炭水化物は人類を滅ぼす』を読み進めていたらこんな記述を発見した。ちょっと引用してみる。

 

 つまり、アメリカやオーストラリアで穫れたコムギで作られたパン屋うどんやお菓子を食べ、アメリカで穫れたトウモロコシをエサに育てられた牛や豚や鶏を食べているわけだ。

 また、アメリカの穀物瀬尾さんの中心地はアメリカ中西部であり、オーストラリアは南東部が中心である。

 これらの地域を、私たちは「世界の穀倉地帯」と呼んでいるが、それはまさに「穀倉地帯=穀物を作っている地域」である。穀物中心に成立している私たちの職を支えているのは、まさにこの「穀倉地帯」なのだ。つまり、これらの地域での農業が将来も安泰であれば、私たちの職も安泰と言える。

 ところが、この「日本の食を支える穀倉地帯の農業」が、じつは先行き不透明なのである。持続可能型農業だとばかり思っていたら、じつは持続不可能なシステム。すなわち環境破壊型農業、持続不可能な農業だったのである。

 理由は次の3つだ。

 ♢窒素肥料による「緑の革命」の弊害

 ♢塩害

 ♢地下水の枯渇

(アンダーラインはブログ記事筆者による。同書119、120ページより引用)

 

 大学にいた頃は今ほど「農業」に関心がなかったから、「緑の革命」の農学的なデメリットについて考える方向に想像力が働くことがなかったように思う。とはいえ、ここで述べられているような富栄養化(eutrophication)」の弊害というのは何も農学的な意味だけで重要ということはなく、経済学的にもちゃんと考えるべきポイントを含んでいる。それを知るための入り口が農学の方にあって、経済学の方にはないというだけのことで。

 

ここで考えたいのは「経済学的にも考えるべき問題」に、経済学を学んでいても気がつかず、別の学問を学んで初めてぶつかったということだ。学問Aの問題が、それ自身を学ぶことによってではなく、他の学問Bを学ぶことによってもたらされた。

 

ではそういう問題を見つけたい場合、どのように学べばいいのだろう。他の学問によってもたらされるかもしれない疑問はひとまず置いて、まずはその学問自体を学ぶことに集中した方がいいのか。それとも常に同時複数的にいくつかの異なる学問を学び、意識的にそれらを互いに橋渡ししていく、ということを続ければいいのか。

 

どんな形で学ぶにせよ、見つかるときには見つかるし、見つからないときは見つからないものだ、という様に割り切るのもなんだか癪なので、何かしらいい方法を見つけておきたい。

 

最近は一つの分野に集中して本を読むように心がけているので、同時複数的なやり方はできない。基礎を身につけるには同時複数は向かないということを経験的に感じたためだ。

 

ピーター・ドラッカーは専門を3年ごとに変えることを提唱したことでも知られている。実際、自分の経験に照らしてこの「3年」という長さについて考えてみても、まあ納得がいく。これくらいで専門、というか興味の対象が変わったよな〜と振り返ってみて思う。

 

脳には「デフォルトモードネットワーク(DMN: Default Mode Network)」という便利な機能があるそうで、安静時でも脳を意識的に使っているときと変わらずに使われている脳の領域があるらしい。

DMNはよく「車のアイドリング状態」に喩えられる。


浮かび上がる脳の陰の活動 | 日経サイエンス


脳科学 リハビリテーション - 「自己処理とデフォルトモードネットワーク:ミラーニューロンシステムとの相互作用」... | Facebook

 


インターネットをし過ぎた後はデフォルト・ネットワーク・モードを健常に戻すために瞑想せよ : 場末P科病院の精神科医のblog


デフォルトモードネットワークとは?ぼんやりと何もしていない時の脳の活動!サイエンスZERO - 気になるネタ

 

ちなみにこれらのページの中に記載されている日付をチェックすると、「DMN」という情報が社会の中でどんな風に流れているのかが大まかに見えてくる。(先日の記事との関連です。以下を参照)

 

「海藻を消化できる日本人」から考える伝言ゲーム - TOKYO/25/MALE

 

さて結果。

日経サイエンスさすがに早い。2010年6月号

Facebookの記事→2013年11月26日

精神科医さんのブログ→2013年5月16日

サイエンスZEROのブログ記事→2014年6月23日

 

 最後の「サイエンスZEROのブログ記事」は検索結果のトップに表示されていた。Googleの現在の検索エンジンアルゴリズムを理解していないのがつらいが、おそらくは世間的にDMNに対する関心が高まったのは2014年ということなのではないかと推測している。実際新聞やグノシー、スマートニュース辺りのキュレーション系アプリでも、DMNについての記事を見る様になったのは、今年(2014年)になってからだ。その一方で、元々そういうことに関心を持っていた人たちは、例えば日経サイエンスの2010年6月号で、既にこの情報を知ることができたことになる。そして「DMNの発見」という形も含めて、DMNに関する研究自体はもっと前からあっただろう。

 

DMNが記憶とどういう関係にあるのか、それもそれで気になるテーマではあるけれど、たとえば自分の場合、経済学から別の分野に関心が移って、そっちのことにばかり頭を使う様になっても、経済学的にものを考える神経回路の発火パターンが完全に消滅して、その後二度と使えなくなるか、というと、そんなことはないんじゃないか、という気がしている。

 

だからその辺の「まあ時間を置いても完全に消えたりはしないよね、過去に学んだことは。」というところを信じて、「選択と集中」的に学びつつ、今学んでいることが他の分野の問題にも使える視点でないか、常にチェックする感じでいこうと思う。うん。よし。