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シャーロック・ホームズの社会的影響力

 シャーロック・ホームズは小学生のときに読み始めて以来、今でも読み続けている数少ない本のうちのひとつ。・・・いや、意外と小さいころに読んだ本というのを、私は繰り返し読んでいる。

 

 次のホームズのセリフはあまりにも有名だろう。短編小説「緑柱石の宝冠」のセリフ

ぼくは以前からひとつの信条を持っています。完全にありえないことを取り除けば、残ったものは、いかにありそうにないことでも、事実に間違いないということです。

実はこのセリフは他の作品でも登場していて、「ブルース・パーティントン型設計図」では

ほかのあらゆる可能性がダメだとなったら、どんなに起こりそうもないことでも残ったものが真実だ、という例の昔からの公理を思い出す必要がある。

また「白面の兵士」では

不可能なことがらを消去していくと、よしんばいかにあり得そうになくても、残ったものこそが真実である、とそう仮定するところから推理は出発します。

 

 ホームズ・シリーズは読みやすくて、理解もしやすい。それでいて、度肝を抜かれるというか、「たったこれだけのことでこれほど多くのことがわかるのか!」とか「こんなことからこんなことがわかってしまうのか!」と思わせられるポイントがたくさんあるから、他の多くの本と比べても印象に残りやすいように思う。ある程度時間が経ってから何かのきっかけで思い出したりもすることも多い。

 

 そんな読者は何も自分だけではなくて、少なくない数の人が似たようなことを感じているのでないかと思う。最近ホームズに関して、また面白そうな本*1が出ていた。新宿紀伊国屋書店の洋書フロアで見つけた。心理学で博士号をとったマリア・コニコヴァという人が、ホームズの思考術を心理学と絡めて解説する本のようだ。翻訳版*2も出ている。学部生だったころ、図書館でシャーロック・ホームズ記号論ーC.S.パースとホームズの比較研究』という本を見つけて、思わず手に取って読んだことがあった。タイトルにある C.S.パースと言えば、プラグマティズムの創始者として有名だが、彼の記号論シャーロック・ホームズの探偵術とが比較されている。 実はこの本の一節が、去年の大学院の入試の小論文の問題で出てきた。思わぬ形での遭遇だった。その出題箇所が特に面白かった。演繹(deduction)と帰納(induction)、そして推測(abduction)に関する一節。パースは演繹でも帰納でもない第三の思考法として「推測(abduction)」というのを提唱した。彼の定義によるとそれは「驚くような洞察につながる仮説のひらめきの行為」ということらしい。

  それについて、実はホームズの探偵術のポイントもこの推測にあるというのがシービオクの主張なのだけれど、それについてはちょっと保留したいと思う。なぜかというと、ホームズの考え方について私なりに振り返ってみると、パースによる「推測」の定義の中の「ひらめき」という所にひっかかってしまうからだ。 

有名な「踊る人形」の中でホームズは次のように言っている。

その一つ一つがその前の推理に基づいていて、しかも一つ一つは単純といった推理を一つながり築くことは、さして難しいことじゃない。しかる後に、もし中間の推理をことごとく消し去って、お客にはただ出発点と結論だけを示すとすると、いささか安っぽくはあるが、ともかく相手をびっくりさせる効果は十分だ。

 

  鋭い洞察というのは、それを披露された側からみれば、ひらめきとして映るかもしれないが、洞察を行う当人からすれば、しかるべき小さなステップを有限回踏んだに過ぎず、その最初と最後だけを相手に見せるから「ひらめき」に変わってしまうということなのではないかと思えるのだ。

 

 これは私自身の経験に照らしてもうなずけることで、アルバイトをしている個別指導塾で、生徒を観察して「今絶対○○って思ったでしょ?」なんて言うとけっこう当たっていて、言われた生徒はびっくりするのだが、私の側からすれば何ということはない、ただ私がこれまでに出会った他の数々の人たちも同じ状況では同じように反応していた、という過去の経験と結びつけて処理しただけのことなのだ。他愛もない観察である。占い師だって日常的にやっているし、統計学者だってやっていることだろう。

  そう、これくらいのことはおそらく少なくない数の人たちが日常的にやっているだろう。ほんの些細な手がかりをもとに、何か重要な結論を導きだす。何も現場の写真なんかなくたって、バスルームの排水溝に見慣れない髪の毛がたまっていたり、ワイシャツに自分とは違う香水の香りがついていたりするだけでも、浮気が疑われるには十分だということは、既に広く社会に共有された知識であるし、世の多くの男性・女性がこの知識をもとに「ではどうやって証拠を隠滅するか」と知恵を絞っていたりもするだろう。

  こうした「重要な事実につながりうる些細な手がかり」というのは、一方で個人の疑り深さを助長するようにはたらくこともある。厳密に言えば、もともと特に疑り深かった人々がより一層疑り深い状態になることを促すようにはたらく、という風になるだろうか。

  メールの返信が遅いとか帰りが遅かったというだけで浮気を疑われたりするのはこうしたことの例と言えるだろう。それはもはや「原因と結果がいつも同じ対応関係にあるわけではないにも関わらず、いつでも同一の対応関係があると信じられてしまう」という意味では偏見と紙一重のところまできているかもしれない。

  ホームズがすごいと言えるのは、些細なことを手がかりとして重要な事実に至るという思考方法を徹底している点だけにあるのではなくて、こうした偏見への落とし穴にはまることもなく、推理を展開していくことができるという点にもある。うっかり偏見に至るということは、彼の場合はまずない。私はまだ、些細なことをどういかして考えるかということについてすら未熟だ。落とし穴以前の話で、社会で今まさに起きていることについて、何か見落としている重要な手がかりがないかと気になっている。「事実そのもの」が気になっているのではなくて、事実に至るために必要な「手がかり」の方が気になっている。

  人工知能が発達した現在では、大規模なデータさえあればコンピュータが「何に注意を向けるべきか」「何を重要な指標として採用するべきか」ということについての回答を出すということも増えてきた。その回答は人間がどれほど束になって頭を悩ませても出てくることのないもので、たとえそれが極めて優れた頭脳の持ち主たちから成る集団の場合でも同様だろう。それを人間の側が納得できればまだいいのだが、厄介なのは人間の側が理解できないことであっても、実際に試してみると確かに硬貨を発揮するような実践的な回答を人工知能が提出することもあるということだろう。

  同じ人間同士あってさえ、「あの人の考えていることは、よくわからないんだけどとりあえず正しいよね。ちゃんと効果も出てるわけだし。」ということはあるが、人間とコンピュータの関係でそれが常に起きるというようになるとどうなるだろう。人間は人工知能にどの程度、またどのような範囲で判断を委ねるようになるのだろうか。この辺りはディストピア小説」としてSFの伝統的なテーマのひとつであり続けている。ウィリアム・ギブスンフィリップ・K・ディックグレッグ・イーガン伊藤計劃長谷敏司などなど…。

  ではここでこの記事のタイトルに戻る。シャーロック・ホームズの社会的影響力。

コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズの作品群を読んだことのある人だけでなく、読んだことのない人でも、読んだ人からの影響という間接的な形で、ホームズの思考法の影響を陰に陽に受けているかもしれない。もちろんこんなことは定量的に示すことは難しい。「冒頭で引用したセリフを知っているか聞いてみる」ということでどれくらい定量的に示すことになるのか、よくわからない。そのセリフを知っているものであれば、それが何らかの形で脳内に記憶されているはずで、それは必要に応じて思い出され、活用される可能性がある…と素朴に考えても大丈夫だとは言えないだろう。

  ただ、「小さい頃に読むことができて、かつ理解できて印象に残る作品というのは、社会で広く共有されやすい」ということは言えるのではないかと思う。「子供が読んでも理解できる作品である」というのはかなり重要で、聖書やハリーポッターが世界中でベストセラーかつロングセラーであり続けていることも、この点と無関係ではないんじゃないかとすら思う。もしこうした作品に本当に社会的インパクトがあることが示され、それが個々人の日常の思考プロセスにも根を張っているとしたら、ホームズの推理は人工知能の発達によってどんな影響を受けるのだろう。人工知能の方が人間社会の偏見から自由である点では、むしろ人間たちよりホームズに近い気もする。

  人間も人工知能も、考える目的については共通の土台に経っており、「特定の価値基準に基づいて、何か重要な結論を導きだすこと」のためにそれぞれの資源が最適化を意識して使われている。

*1:

Mastermind: How to Think Like Sherlock Holmes

Mastermind: How to Think Like Sherlock Holmes

 

 

*2:

シャーロック・ホームズの思考術

シャーロック・ホームズの思考術