告白

   今回は僕のこれまでの数々の挫折について告白しようと思います。

   一番伝えたいメッセージをまず書くと、「思った様に進めなかった後悔よりも、進めなかったことで新しく見えるようになったものの方が、遥かに重要だと感じる。」ということです。

 

   このところいくつか書いた記事ですでに何度か書いたことですが、僕は先日、東大大学院の工学系研究科システム創成学専攻(「シス創」と呼ばれています)というところの入試に落ちました。去年から続けて二度目の挑戦でしたが、今回もダメでした。

思い返すと僕は一番進みたいところに進むことに失敗してばかりだと今回改めて感じさせられました。

 

   まずは高校受験のとき、僕はまだ地元の福岡にいた頃ですが、「東筑高校」という学区内では一番偏差値の高い高校を受けようとしていました。でも内申が足りず、一つ下のレベルだった「八幡高校」の理数科を受験しました。ここは理数科を第一志望にした場合、もし落ちても普通科に合格するチャンスがあるという高校で、結局僕は理数科に落ち、普通科に入りました。入試の成績は確認していませんが、おそらく合格ラインぎりぎりで、合格者の中では最低レベルだったのではないかと思います。まずこの高校受験が一度目でした。

 

   大学受験の時、現役の頃は京都大学の経済学部を受けようと考えたのですが、入試科目が国数英だけでなく社会もあることを知って愕然とし、それを知った日は平日の昼間でしたが、まだ学校は終わっていないにも関わらず勝手に自宅まで帰ってしまったことがありました。あの時は同じクラスの人たちや担任の先生、学年主任の先生を中心に大騒ぎになりました。これが二度目でした。

結局九州大学の経済学部を受験したものの、落ちてしまい、予備校に通うことにしました。人生で初めて「塾」のようなものにお世話になる経験でした。これが三度目でした。

 

   予備校時代、僕はせっかく浪人したからには九大ではなく、東京に出ようと考え、東京大学を受験しようと思い立ち、東京大学の文科Ⅱ類を受験しましたが、センター試験の出来が悪くて「足切り」でした。一般受験で青山学院大学の国際政治経済学部国際経済学科に入りました。これが四度目でした。

 

そして今回の大学院受験で五度目です。

 

振り返ると、いったい何度失敗すれば学習するのかというくらい、第一志望に落ち続けるこれまでの人生でした。

 

すべて第一志望でなく、ストレートに進めず、かならず人より遅れて前に進む…そんなイメージが付きまといました。そんな自分はもう25歳のフリーターです。

 

普通なら就職を考えるでしょう。それが妥当だと言えるでしょう。いつまでも親の世話になっているわけにはいかない。また一つ年上の彼女もいるので、いつまでも経済的に安定しないようではいけない。

 

それでも僕はまた大学院を受験しようと考えるに至りました。「懲りずに」という表現がふさわしいのかもしれませんが、やっぱり僕の人生の中心には「専門的かつ分野横断的に学び続け、それを活かすこと」があると考えているからです。

 

「それは会社で仕事をしていてもできることではないのか」という言葉をもらうことが何度もありました。でもやはりそれは違うとしか思えませんでした。「専門的に学ぶには大学が一番だ」というのは僕の中ではどうしても譲れないものでした。色々な人から勧められた、シンクタンクやコンサル業界に就職することと比べても、大学の方がよいという思いは変わりませんでした。

 

   大学院に落ちてから、他の大学院を改めて色々調べ直しました。できるだけ都内の大学院をと考えていましたが、関西や東北の方も調べました。そして次に受験する大学院を決めました。それはやっぱり都内でした。

 

そこを受験しようと思い立って、更にその大学院について色々調べていくと、とても気持ちが明るくなり、またワクワクするような感覚を覚えました。脳内でドーパミンがどんどん分泌されているのがハッキリわかるような感じすらありました。よーし、やってやろう、と。どうしてもっと早くここを受験しなかったのかという気持ちになりました。

 

第一志望に進めなかったことによって逆に新しく見えてきたものが、とても大きくて驚かされる。今回改めてそれを経験することになりました。

 

思えば青山学院大学に入ったからこそ、僕は専門だった経済学以外のことを学ぼうという気になれたのでした。複雑系やネットワーク科学、DNAコンピュータ、待ち行列理論、流体力学など、ただ経済学を専門にしていた学生だったら出会うことはなかっただろうという分野に出会い、これから専門にしたいと考えている分野も、もとはと言えば青学でゆとりを持って学び続けたことで見つけることができたのでした。

 

もし第一志望だった東筑高校に進み、第一志望だった京大や東大に受かっていたら、僕はおそらく一直線に、最短距離で、経済学の最先端へと突き進み、そのほかの分野に目が行くことはなかったのではないかと思うのです。そう思うと妙に灌漑深い気持ちになります。人生なんて本当にどう転ぶかわからないものです。

 

そして一番面白いと思うのは、「第一志望に進めなかったこと」への後悔以上に、「進めなかったことによって新たに見えるようになったもの」の方が自分にとっては重要なことだとハッキリ言えるということです。

 

この記事が第一志望に進めなかった人やストレートに進めなかった人はもちろん、それらで躓くことのなかった人にも読んでもらえたら、とても嬉しく思います。