箱に答えが載ってないジグソーパズルについて

 ジグソーパズルは、普通箱に答えが載っている。モンサンミッシェルの写真、ミッキーのキャラクターたちが勢ぞろいした画像、金閣寺などなど、パズルを始める人は、答えを知ってしまっている状態でピースを並べていく。これを「ジグソーパズルN」と呼ぶことにしよう。Nは「Normal」の略だ。

 

 もちろん答えが事前にわかっていても、3000ピースのモンサンミッシェルを完成させるのは大変だ。それは間違いない。

 

 しかしもし、箱に答えが載っていないジグソーパズルだったらどうか。小さい頃、箱に入ったおもちゃ付きのお菓子を買ったことのある人ならば、一度は思ったことがあるだろう。「ああ、買う前に中身がわかっていれば」と。「こっちの仮面ライダーはすでに2個持っている。どうして目当ての仮面ライダーは当たらないのか」と。そんな風に、答えが前もってわからないまま始めて、そのジグソーパズルを完成させることは、きっと冒頭で挙げた普通のジグソーパズルよりも難しい。こっちのジグソーパズルを「ジグソーパズルH」と呼ぶことにする。Hは「Hidden(隠された)」の略だ。

 

 それでは現実で起きる問題は、どっちのジグソーパズルに近いだろう。NHか。カンペ付きのジグソーパズルか、実力勝負のジグソーパズルか。

 

 職場で起きる問題を、職場のメンバー全員で解決しようという場合、答えを前もって知っている人はいないから、この問題はジグソーパズルHに近い。まずは起きていることの全体像を把握しなければならないが、職場内の伝言ゲームによって、オリジナルの情報は段階を追うごとに変容し、初めは赤のピースだったものが、5段階を経たのちには紫のピースに変わっているということもありうる。くらいだったらまだマシだが、これがたったの2段階でに変わってしまうこともありうるから厄介だ。初めは賛成派だったものが、気づけば反対派になっている。それはもはや「反転」だ。赤のピースでなければならないのに、青のピースを渡されても、解けるわけがない。トマトの絵を完成させるのに、青のピースはどうあっても不要だ。

 

 職場のメンバーが、互いによく人柄のわかっている状態であれば、「おそらくあの人が伝える時に、赤のピースが青のピースに変わったんだろう」という予想を立てることができるから、逆にそれを元に戻すこともできる。各プレイヤーの「伝言のクセ」を考慮してピースを並べるのだ。

 

 それではこの伝言ゲームに顔も名前も知らない、話したこともないプレイヤーが混じっていたらどうだろう。自分の元に青のピースが渡って来たとき、それが初めから青のピースだったのか、元は違う色をしていたのか、どうやって判別すればいいのか。そんな伝言ゲームの混じったジグソーパズルは解けるわけがないと思うだろうか。これをジグソーパズルIHと呼ぼう。IHは「Insanely Hard(尋常じゃなく難しい)」の略だ。そして残念ながら、現実に起きる問題は、ジグソーパズルIHであることも少なくない。いや、厳密に言えば、ほとんどの問題はこのタイプだ。なんてこった!

 

 突然話が飛ぶようだが、近頃「ファッション」について考えている。ファッションといっても高級ブランドの動向に目を光らせ、今後のファッションのあるべき姿について考えているわけでも、ファストファッションについて考えているわけでもない。「組み合わせ論としてのファッション」を考えているのだ。たとえばトップスを4着、ボトムスを4着、靴を3足持っていたとしよう。単純化のために、インナーや靴下などは無視して、「ファッションとはトップス、ボトムス、靴の組み合わせである」と考えることにする。

 

 すると上の条件では、考えられる服の組み合わせは 4・4・3=48(通り)

実際にはその中に「この組み合わせは変かな」とか「この組み合わせはあり得ない」というものがあるから、そういうものを消去していったとして、たとえば10通りくらいまで減らせたとする。それではここからどうやってその日着ていく組み合わせを決めるのか。自分がこれまでに見てきたファッション誌、最近テレビやネットで見た芸能人、モデル、街中で見た見知らぬ他人の着方、職場の同僚の服装、色々な要素がありうる。そしてその要素は一つだけでなく、組み合わさっていることの方が多い。

 

 こういう風にファッションを捉えたとき、それがとても言語的なものであるということを感じずにいられない。つまり人は世界を有限の要素に分解し、それを組み合わせることで表現を行う、それこそが言語の本質であるならば、それは同時にファッションの本質でもあると思えてくる。

 

 ファッション、そして言語。あるものとあるものを対応させる作業。頭の中と、現実を対応させる作業。ジグソーパズル。

 

 ファッションの分析を通して、ジグソーパズル的に見た世界の問題を、よりクリアな形で捉えることができるのではないか、そんな気がしている。それをどのように表現するかといえば、それはおそらくなんらかの数学的な形式に則ることになるのだろう。今の自分にその能力があるとは思えないが、勉強を続けていずれは表現できるレベルに到達したいと思う。

 

 年末はジグソーパズルをやって過ごそうかな。