問題と解答はホモトピー?

 最近にわかに海外ドラマにハマり、ここ1週間は『ナンバーズ 天才数学者の事件ファイル』を見続けている。尤も、これは海外ドラマにハマっているのか、それとも数学の色んな応用事例に興味があるということのか、錯綜していてよくわからない部分があるけれど。笑

 

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 さてこのドラマのシーズン1、 vol.3で「偽札事件を追え」というのがある。その中で主要登場人物であるFBIの女性エージェントが「1738  52」という、被害者の女性からの暗号メッセージの意味を解読し、それが以前に聞き込みを行った男が所持している「warehouse」(倉庫)の住所、すなわち「被害者(犯人)がいる番地を表す数字」であることを指摘するシーンがある。そこで同僚のエージェントが、その「気付き」に対して「Nice pull, Terry.」日本語字幕では「お手柄だわ」になっている)と言う。

 

 この「nice pull」というのがいい言葉だなあと思ったことが、この記事を書くことになったキッカケだ。

 

最近読んだ中垣俊之『粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う』に書かれていたこととも関係するのだが、「答え」というのは、実は「問題」よりも先に存在していて、私たちがやっている『問題解決』というのは、「答えを探すことと」いうよりもむしろ、答えにぴったりハマるような「問題を見つけること」である場合もあるのではないか。

 

少し長いが、同書から引用する。

 粘菌は生物材料として世界中で使われていますから、粘菌のネットワークは誰もが見ていたものです。このみんながいつも見ているものに対して、「粘菌はあちこちの餌場所をどれほど機能的につないでいるか」という問いかけを提示しました。そうすることで、これまで皆が漫然と見てきたものに、「意味」が生じました。新しい問いかけが、ただそれだけのものを「意味あるもの」に変えました。このように、それまで気づかれなかったことをあからさまにすることでも一つの「発見」といってよいでしょう。

 長らく共同研究をしてきたKさんは、このことを「目の前に答えはある。それが何の答えなのかがわからない。適切な問いを探すことが我々の問いである」と表現しました。それを聞いた私は、思わず膝を打ちました。

 問いかけがあってはじめて答えを探す——。問と答えの順序は多くの人がそう思いがちですが、必ずしもそうではありません。粘菌のエサ経路に関しては、すでに答えは目の前にあって、実はそれが一体どんな問いかけの答えなのかを見つけたのだといえます。つまり適切な「問」を発見したわけです。こうした発見は生命科学の研究ではよくあることですが、この問を発見するというのはやはり、科学者の一つの力量なのでしょう(もちろん常識的なように、はじめに問いがあってその答えを探すという研究もあります。場合によっては必ずしもそうではないということがポイントです)。

(同書164、165ページより)

 

 この疑問について、以前に自分が書いた記事を参考に考えると、「問題」と「答え」は同じ粘土でできた違う形態で、一方の形態から他方の形態へ変形する場合には、どちらが先でどちらが後というのは問題ではない、という風になるだろうか。

 結局のところ、「問題を解く」というのは何をどうすること? - TOKYO/25/MALE

これについて、トポロジー位相幾何学におけるホモトピー」(homotopy)という概念が参考になる。

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これはWikipediaの「位相幾何学」のページから引用したものだが、このアニメーションにおいて、ドーナツとコーヒーカップのどちらかが他方に優先されるということは言えない。両者は連続していて、切れ目がない。

 

 

 さて「nice pull」に戻ろう。これの場合、「被害者のメッセージが何を意味するか」という問いに対する「答え」として、エージェントの記憶の中から「以前に聞き込みした男に関するファイル」が思い出され(pullされ)、そこから「メッセージが被害者の居場所を表す」を得た。そう見える。

 

 しかし暗号(code)の場合、果たしてそういう対応関係で捉えていいものだろうか。というのも、すべての情報は特定の形式で表現された暗号であり、私たちが通常使っている言語もまた、特定の形式で表現された暗号であるという見方ができるからである。

 

 この見方で捉えると、被害者のメッセージは形式①で表現された暗号、倉庫の場所は形式②で表現された暗号ということに過ぎなくて、どちらが問いでどちらが答えかを決めることができないとも言える。まあ直感的には、あくまで人間にとってなじみのある形式(この場合は形式②)の表現に変換することがすなわち「暗号解読」ということであり、その意味では

形式①=問い 形式②=答え 問題解決(暗号解読):形式①→形式②

という捉え方になると言えなくもない。しかし人間ということを抜きにして問題を考えた場合、特定の形式が他の形式に優先するということは起きない。特にある形式が他の形式と対応関係を作り出している場合、その双方、或いは関係する諸形式は、いわば対等な関係であるということにならないだろうか。

 

問題と答えとは、比喩的に言えば、ホモトピーなのではないか。