マッチングってなんだろう

テクノロジーが進歩しても、買いたい人と買いたいモノのマッチングは未だに洗練されていないと感じる。

 

最近はこのマッチングにも科学的な視点が活用される部分が増えてきた。いや、「浸透してきた」と言った方が正確かもしれない。ニューロマーケティングGoogleAmazonのレコメンデーション機能、サジェスチョン機能などは、その土台を確かに「科学(science)」に置いているなと感じられる。それにしてもまだまだであることは否めない。

 

インターネットのしくみについて考え直す機会を得た。『アカマイ 知られざるインターネットの巨人』という本を読んだためだ。

アカマイ―知られざるインターネットの巨人 (角川EPUB選書)

アカマイ―知られざるインターネットの巨人 (角川EPUB選書)

 

 インターネットでも「見たい人」と「見たいページ」或いは「望みのコンテンツ」とを結びつけるマッチングを巡って、今も企業間の熾烈な競争が続いている。検索エンジンSNSポータルサイトなどを中心に「あなたが探している・望んでいるモノはこれですか?」の精度を競っている。他社とは競っていないにせよ、過去の自社と競っている。

 

一方で、「買いたい人」と「買いたいモノ」のマッチングは、うまくいっていない。この記事を書く直接のきっかけになったのは、さきほど下の階の大家さんの元を訪れた、訪問販売の勧誘員が、いつものごとく(他の訪問販売員たちと同様に)断られているのが聞こえてきたことだ。

 

訪問販売では、たとえば新聞の勧誘員と宗教の勧誘員は、まず間違いなく没交渉で、「この人の家は訪問販売を一律で断っている」というような情報を共有するプラットフォームがない。だから例えばこの「この家は訪問販売を一律で断っている」という情報が、訪問販売を行う会社の垣根を越えて共有されるようにするだけでも、コストがいくらか削減できる。

 

しかし、である。「訪問販売」という行為そのものについて考えてみると、それは「買いたい人」と「買いたくない人」の両方をターゲットに展開され、「望んでもいないのにいきなり押し掛けられる」という、効率的なマッチングとは全く異なる行為である。いや、もっと広く言えば、少なくとも今存在している「営業」という行為そのものが、「買いたい人」と「買いたいモノ」をマッチングすることへの、ある種の「敗北宣言」のような意味をもってはいないだろうか。

 

広告は増え続ける。ウイルスより蔓延している。ウイルスなら、ワクチンや感染者の隔離を通じて感染拡大が押さえられるが、広告は市場の原理で動くから、お金を払って有料会員になったり、お金を払って有料版を買ったりしなければならない。

 

考えてみれば不思議なものだ。どうして買いもしないものを薦められ、それを断るためにこちらがお金を払わなければならないのか。こんなマッチングは他にない。まるでお小遣いをもらうまで騒ぎ続ける子供ではないか。

 

無料アプリの中は広告で溢れかえっているし、動画を再生すれば途中で広告に遮られる。なんと鬱陶しいことか!課金目当てのソーシャルゲームなんて、何度出てきても絶対インストールしないのに。

 

磁石であれば、どんな磁石同士でもN極とS極とは互いに引き合う。これになぞらえて考えると、「マッチング」というのは「特異的な磁石」なんじゃないかと思う。

 

つまり人とモノとがどんな組み合わせでも引き合うということはないが、ある組み合わせの場合には強く引き合う。そういう「特異的な組み合わせ」がマッチングなのだ、と。

 

それは近くにあればすぐに引き合うが、もし近くにない場合に、 「では近づけたら互いに引き合うか」ということを確かめるために、どんな工夫をするか。そこにマッチングの本質があるのだろう。